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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■失くした銀貨 / 関根弘興

2023年09月19日 | Weblog

2023/7/4放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 今週は、イエス・キリストがお語りになった例え話からご一緒に人生を考えていきましょう。

 新約聖書のルカの福音書15章に書かれているお話です。女の人が銀貨を十枚を持っていました。当時の銀貨一枚は一日の労賃程度の価値のものでした。しかし、この人はなくした一枚を見つけたら、友だちや近所の人を集めて一緒に大喜びしたというのです。なんだか、大げさに思える話ですよね。

 実は、この地方では、既婚女性のしるしとして、銀の鎖に十個の銀貨をつけた髪飾りがあったそうです。今で言えば、結婚指輪と同じような意味を持っていたわけですねえ。そしてその銀貨の飾りは、どんな借金をしていたとしても、これだけは返済のために取り上げることはできなかった、と言われるほど大切なものだったそうです。今日の例え話の銀貨も、たぶんその髪飾りの銀貨のことではないかと考えられているんです。

 ですからこの人にとっては、この銀貨は一日分の労賃では換算できないほどの価値があったわけです。しかし、この銀貨の一枚が、何かの拍子にはずれて家のどこかに落ちてしまいました。当時の家の多くは、乾いた草を敷いた土間のような場所で生活をしていました。小さな窓が壁に一つか二つあるだけです。家の中は薄暗いので明かりをつけて、一所懸命捜しました。するとついに銀貨を見つけ、友だちや近所の人を呼んで大喜びしたのです。

 イエス様は最後にこう締めくくりました。「一人の罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちの前には喜びがあるのです。」と。

 昨日は、迷子の羊が私たちに例えられていましたが、今回は銀貨に例えられているんです。罪人が悔い改めるなら、とありますが、「悔い改める」ということばには「帰る」という意味があります。つまり、神様から離れて失われた状態になっている私たちが神様のもとに帰るなら、天に大きな喜びがわき起こるのですよ、というのです。

 でも、「あれっ?」と思いませんか? 昨日の迷子の羊も、無くした銀貨も、自分から元の場所に戻ったわけではありませんね? どちらも持ち主が懸命に捜して見つけ出したのです。イエス様はこのたとえを通して、神様が私たちを捜して捜して見いだし、本来あるべき場所に戻るようにと働かれているお方だ、と教えているのです。だから私たちの応答は、単純に悔い改めて生きること、つまり捜してくださっているイエス様に自分の右手を差し出して、引き上げてもらい生きていくことなのですね。

 ( PBA制作「世の光」 2023.7.4放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■失われた一匹の羊 / 関根弘興

2023年09月18日 | Weblog

2023/7/3放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 今週は、イエス・キリストがお語りになった例え話からご一緒に人生を考えていきましょう。新約聖書のルカの福音書15章に書かれているお話です。ある人の百匹の羊のうちの一匹が迷い出てしまったという話です。

 パレスチナ地方の狭い高地の両側には、岩のごつごつした荒れ地が続いています。羊がそこに迷い込んでしまい迷子になると大変危険です。また、迷子になれば外敵にもすぐにやられてしまいますねえ。またこの地方は特に乾季のときには、羊飼いにとっては緑の牧草地を見つけるのは大変な仕事でした。そして羊飼いはそれぞれの羊に名前をつけて見分けることができたそうです。

 さて、今日の「たとえ」に登場する人は百匹の羊を持っていました。しかし、その中の一匹がいなくなってしまったのです。するとその人は、九十九匹を野原に残して、一匹を捜しに出かけて行きました。羊飼いは懸命に迷子になった羊を捜しまわりました。
 そしてついに羊を見つけると、その羊を担いで帰ってきたのです。羊はさまよい歩いて疲れていたことでしょう。怪我をしていたかもしれません。不安や恐怖で震えていたかもしれません。ですから途中で暴れ出さないように両足をしっかりとつかんでこの羊飼いは帰ってきたことでしょう。そして友だちや近所の人を呼び集めて、羊が見つかったことを周りの人たちと大喜びした、というそういう誰でもよくわかるお話です。

 そこでイエス様は、このたとえの締めくくりにこう言われました。
 「一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」と。
 
 実は、迷い出た羊は罪人の一人だ、というわけですねえ。罪人とは犯罪人という意味ではありません。神様と自分との関係がずれてしまい、切れてしまっているという状態、断線しているような、そのような状態のことを指すのです。

 この例えで言うなら、あるべき所から離れてしまい、「迷子になっている」という状態です。もちろん今は優秀なナビケーションシステムもあるので迷子にはならないかもしれません。でも人生においてはどうでしょうか。あなたはどこからきて、どこへ向かっているのですか? あなたは自分自身の存在の価値を見失っていませんか? イエス様は、そんな迷子になった羊を私たち一人ひとりに例えて、そんな一人ひとりを救うために来たのですよと、このたとえをもってお話になったのです。


 ( PBA制作「世の光」 2023.7.3放送でのお話しより )


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■悪に報いてやろう / 福井 誠

2023年09月16日 | Weblog

2023/7/1放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井誠です。
 「継続は力なり」 日々聖書を手に取り心の糧とするなら自然に養われてくるものがあるものです。

 今日は「悪に報いてやろう」と題してメッセージをいたします。初めに聖書のことばをお読みします。

 「『悪に報いてやろう』と言ってはならない。主を待ち望め。主があなたを救われる。」
              旧約聖書 箴言20章22節

 20章の後半、少し箴言の著者が語っていることをなぞっていくような形で見てまいりましょう。まず箴言の著者は勤労を大事にすることを教えます。また人間をよく知ることだ、と言います。人間というのは、散々ケチをつけて物を値切りながら、ひとたびこれを手にすれば掘り出し物と自慢するものだ、と。また、よそ者はどこまでもよそ者です。そう簡単に身内にはならない。・・・ 確かにわかる気がしますね。さらにお金を貸したら戻ってくるとは考えないことだ、と言います。そして人を騙したらそのしっぺ返しは必ずあると思いなさい、と言います。

 物事はよく考えて実行すべきです。つまり人の意見をよく聞いて、落としどころを見つけながら実行可能な計画を立てることだ、と言います。口の軽い人とは付き合わないことです。あれやこれや言いふらされて恥を見るのは明らかです。神の正義が貫かれると信じるなら、復讐は神に委ねることです。自分で何とかしようと思わずとも神が片を付けてくださいます。たとえ、このままじゃ浮かばれないと焦ることがあっても慌てない、神が動いてくださいます。神はごまかしや嘘が大嫌いですから、いずれものごとの帳尻を合わせてくださるのです。
 ですから、神の正義がこの世を支配していると信じ、余計な心配をせず、神に一切をお任せして誠実にすべきことをすることだ、と言います。この世の社会は神の正義が貫かれる方向に動いているのです。そして人間には神から与えられた霊、すなわち良心があるというのなら、やはり、神が教えられていることによく耳を傾けることです。それは、人間のよりよい明日を築くためのものだからです。

 では、今日もよき一日となるように祈ります。


 ( PBA制作「世の光」 2023.7.1放送でのお話しより )


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■聞く耳と見る目 / 福井 誠

2023年09月15日 | Weblog

2023/6/30放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井誠です。

  「継続は力なり」 日々聖書を手に取り心の糧とするなら、自然に養われてくるものがあるものです。

 今日は「聞く耳と見る目」と題してメッセージをいたします。初めに聖書のことばをお読みします。

   「聞く耳と見る目は、二つとも主が造られた」
       旧約聖書 箴言20章12節

 箴言の20章は、様々な格言が寄せ集められたような感じがします。しかし全体を貫いている大事な思想は、知恵、物事をよく理解し見通す力を持つことの大切さです。
 
 たとえば、1節に酒に飲まれて失敗する人が出てきます。そのような人は知恵がない、つまり、自分の弱さを理解せず、酒に飲まれる性質をわきまえもしないと言います。

 また、支配者や上司を怒らせる者、争い好きな人、収穫期に慌てる者、つまり期限ぎりぎりに慌てて仕事に取り掛かるような者、みな物事をよく理解し、先を見通す力がありません。

 逆に物事をよく理解し先を見通す力のある人は、人の心の中にあることを上手につかまえ、汲み取る力をもっています。 「そうそう、それを言いたかったんだよ」と言わせる人が時々いるものですが、それは物事をよく理解し先を見通す力のある人と会話すればこそです。

 そのような人は人を簡単に信用することもありません。人は誰でも悪くは言われたくないものでしょう。だから親切な素振り、誠実なふりをする、そういうものだと心得ています。なんでも簡単に真(ま)に受けないのです。

 そこでそのような力に劣ると悩む時には、聞く耳と見る目を造って与えてくださった神を仰ぐことでしょう。
 かつてモーセという人がイスラエルの指導者に立てられた時、自分は口下手なので指導者に相応しくない、と神の命令を拒みました。すると神は、「誰がモーセの口を造ったのか」と諭されました。神は人のあらゆるごまかしや嘘を見抜くお方です。その神が正しいと言われることを正しいとし、悪いと言われることを悪いとしていく。神に学ぶ心が大事なのです。

 では今日もよき一日となるように祈ります。


 ( PBA制作「世の光」 2023.6.30放送でのお話しより )


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■運が悪い と逃げるな / 福井 誠

2023年09月14日 | Weblog

2023/6/29放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井誠です。

 「継続は力なり」 日々聖書を手に取り心の糧とするなら自然に養われてくるものがあるものです。

 今日は「運が悪いと逃げるな」と題してメッセージをいたします。初めに聖書のことばをお読みします。

     「人の愚かさは自らの道を滅ぼす。その心は主に向かって激しく怒る。」
          旧約聖書 箴言19章3節

 箴言の著者は言います。人間は人生に失敗すると、自分の愚かさを棚に上げて天の神に向かって毒づくと。「神がこんな災いをくだしたのだ」と。「なんだよ、神っていう存在は」というわけです。「いや、私はそんなふうには言わない。そもそも神なんているわけがない」「まあ、運が悪いんだ」という人もいるでしょう。しかし、それも同じです。
 著者が言いたいのは、災いだと思われる状況の中で安易に神や運を持ち出して逃げない、むしろ自分の失敗の原因をよく考えることだと言うことでしょう。

 松下幸之助という大会社の社長は、採用面接で「あなたは運がよいですか? 運が悪いですか?」と質問して「運が悪い」と答えた人を不採用にしたといいます。というのは、人は失敗をすると自分の能力が劣っていたためだとは思いたがらないし、かと言って能力を高めようと辛い努力をするわけでもない。「運が悪い」と物事をごまかして生きることが多いからです。

 本当に評価されるべき人間は、自分の愚かさや手に負えない状況によって失敗したと思わされるようなことがあったら、そのことを素直に認められる人です。そして誰彼のせいにするのではなくて、すべては自分のせいと認めて、諦めずに努力する人です。

 そもそも、人間は裸で何も持たずに生まれて来たものです。そしてすべては神に与えられているものです。恵み豊かな神を信頼し、必ず道は開ける、と勇気をもって失敗を見直し、学んで悟り、必要な力を身に着けて、再度物事にチャレンジしていく者でありたいものです。

 では、今日もよき一日となるように祈ります。


 ( PBA制作「世の光」 2023.6.29放送でのお話しより )


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■お金のあるなしではない / 福井 誠

2023年09月13日 | Weblog

2023/6/28放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井誠です。

 「継続は力なり」 日々聖書を手に取り心の糧とするなら自然に養われてくるものがあるものです。
 今日は「お金のあるなしではない」と題してメッセージをいたします。初めに聖書のことばをお読みします。

    「貧しくても誠実に歩む者は、唇の曲がった愚かな者にまさる。」
               旧約聖書 箴言19章1節

 19章の鍵となることばは「貧しい者」です。どうやら貧しい者にも二つのタイプが考えられているようです。一つは、貧しくても堅実に人生を築き上げようとするタイプ。もう一つは、貧しさの中で是が非でも金持ちになりたいと欲望丸出しのタイプです。

 既に著者は箴言の中で、人間にとって決定的に重要なのは人柄や品格というべきものであって、お金や物のあるなしではないと語ってきました。ですから、著者は二つのタイプの内、「貧しくても誠実に歩む者」を高く評価しています。人間お金のあるなしではないのです。

 ですから、金持ちについても二つのタイプの金持ちを想定しています。つまり、持っている財産を正しく活用することのできない金持ちと、自分の財産を神様に与えられたものと心得てこれを忠実に管理しようとする金持ちです。

 人間はお金のあるなしで評価されることがあります。しかし本当の価値はお金のあるなしでは決められないものです。実際、人の価値はお金では測れず、物のあるなしによらない人間の満足や幸福もあるのです。

 そもそも、人は裸で生まれて裸であの世に帰っていきます。人は物を持った自分を評価しますが、親と子が別物であるように、人と物も別物です。親が子によって評価されたいと思うのは、子が自慢に値する時だけです。

 結局問われるのは、裸身の人間としての価値でしょう。貧乏人も金持ちも人間としての品格が問われているのです。

 では、今日もよき一日となるように祈ります。


 ( PBA制作「世の光」 2023.6.28放送でのお話しより )


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■くじは争いをやめさせる / 福井 誠

2023年09月12日 | Weblog

2023/6/27放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井誠です。

 「継続は力なり」 日々聖書を手に取り心の糧とするなら自然に養われてくるものがあるものです。今日は「くじは争いをやめさせる」と題してメッセージをいたします。初めに聖書のことばをお読みします。

 「最初に訴える者は、相手が来て彼を調べるまでは、正しく見える。
  くじは争いをやめさせ、強い者の間に決着をつける」
             旧約聖書 箴言18章17節、18節

 人間関係に争いごとはつきものです。皆さんの中にも色々と苦労しておられる方々は多いでしょう。家庭や職場、さらには教会においてもよくあるものです。そこで箴言の著者は、争いごとは慎重に受け止めるべきだと言います。

 随分昔の話、私が作業療法士として働いていた頃のこと、毎週新規に入院してきた患者さんの初期状態を評価するケースカンファレンスがありました。そこで私が、「この患者さんはかくかくしかじかで、こういう課題があるので、こういう治療方針を立てた」と報告をすると、病院長が「裏を取ったのか?」と問いかけてくることがありました。確かに、後で意外な事実がわかって治療方針が変わることもあったのです。物事は表面的に一面で判断してはならない、しっかり見ていくことを教えられた経験でした。

 まして争いごとの場合はそうなのです。一方の言い分を真(ま)に受けない。もっともと思われることがあっても裏を取ってみる。つまり双方の言い分をよく聞いて全貌を理解すべきだと言うわけです。しかし、それは解決のためかというと、そうではないのです。

 著者は言います。争い事を終結させる最もよい方法はくじだと。そして、争いを仲裁するのは堅固な城を攻め落とすよりも難しいと。つまり、争いごとというのはそんなに簡単に解決できるものではなくて、最終的に不合理な決着しかつけられないというのが著者の本当に言いたいことなのです。

 争いごとに下手に介入してさらに混乱を深めてしまう人間の愚かさを覚えておきたいものです。


 ( PBA制作「世の光」 2023.6.27放送でのお話しより )


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■はっきり目を覚まして生きる / 福井 誠

2023年09月11日 | Weblog

2023/6/26放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井誠です。

 今日は、「はっきり目を覚まして生きる」と題してメッセージをいたします。初めに聖書のことばをお読みします。
  「主の名は堅固なやぐら。正しい人はその中に駆け込み、保護される。
   富む者の財産はその堅固な城。自分ではそそり立つ城壁のように思い描いている。」
        旧約聖書 箴言18章10節、11節

 今日お読みした箴言の10節と11節は対比的な内容になっています。「主の名」という「堅固なやぐら」と、「財産」という「堅固な城」。どっちがどっちなのか。

 箴言の著者は、「神に信頼することは堅固な城門の中にいるようなものだ。安心だ。」と言うのです。

 しかし、普通、人はそのようには考えないでしょう。神を信じたところで、「何の役に立つ」とぐらいに思っているのではないでしょうか。そして、目に見えない神よりはお金、目に見える確実な物が大事と思うものでしょう。ですから、通帳の残高では安心できないので、タンス預金をして、これだけお金があれば安心だと思ったりすることもあるように思います。

 けれども、これが意外と考えられている通りではなかったりするのです。
 新約聖書において、イエスはその点について実にわかりやすいエピソードを語っています。

 つまり、たくさんの財産を蓄えた金持ちが、「これから先は安泰だ! 飲めや、歌えや」と思っていたその矢先に倒れて死んでしまったというエピソードです。人のいのちも生活も実は神に握られている。ですから神を恐れることだ、神とともに生きることが最も人生を保障することだ、というわけです。

 確かに人間のいのちというものはわからないものです。しかし、それでも「富む者の財産はその堅固な城、自分ではそそり立つ城壁のように思い描いている。」 はっきり目を覚まして人生を生きることが勧められています。

 

 ( PBA制作「世の光」 2023.6.26放送でのお話しより )


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■家康に仕えた悲劇のキリシタン「ジュリアおたあ」 / 岩井基雄

2023年09月09日 | Weblog

2023/6/24放送

 「世の光」の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 今日は、歴史の中を歩んだクリスチャンやキリシタンの生涯から学んでみましょう。今日は、以前も一緒に学んだ「ジュリアおたあ」の2回目です。

 実は今年の4月に彼女の直筆の書面が発見されました。彼女がどのような人生を歩み、どのような信仰を貫いたのか、より具体的に示されたのです。

 「ジュリアおたあ」は、豊臣秀吉の朝鮮出兵で朝鮮半島から連れてこられた当時14歳の女性でした。キリシタン大名の小西行長に養われ、日本でキリストを信じるキリシタンとなったのです。
 「ジュリア」とは洗礼名です。この小西行長が関ケ原の戦いに敗れて処刑された後、彼女は徳川家康に仕えることになったのですが、キリスト信仰を捨てるようにとの命令を拒み流刑となった悲劇のキリシタン女性です。

 彼女の直筆の書状が初めて発見されたのです。その書状は旧長州藩士の村田家に伝わったもので、発見された3通のうち1通は1609年に記されたと考えられています。徳川家康に仕えていた「ジュリアおたあ」が、朝鮮半島で生き別れた弟に似た男性が毛利家にいると伝え聞き、その素性などを尋ねる内容などが記されている書状だそうです。

 今回分かったことは、「ジュリアおたあ」が朝鮮王朝の貴族階級の出身だったということ。そして自分の家族と生き別れにされるという屈辱的な扱いを受ける深い悲しみの中でも、彼女はその後出会ったキリスト信仰によって希望を失わず、神様への信頼を深めたことだと言われます。

 「ジュリアおたあ」は、その後もどんな迫害や棄教の命令を受けても決して屈しなかったのです。
どんな状況にあっても恐れる必要がないこと、神様がどんなときにもともにいてくださることを彼女はその生き様を通して表したのです。
 そしてそれは私たちにも与えられている人生のチャレンジです。どんな困難や迫害があろうとも、神様はどんな時にも私たちとともにいてくださるからです。

 聖書のことば 
  「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。
   たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
  わたしはあなたを強くし、あなたを助け、
   わたしの義の右の手で、あなたを守る。」
         旧約聖書 イザヤ書41章10節


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■世界宣教へのチャレンジ / 岩井基雄

2023年09月08日 | Weblog

2023/6/23放送

 「世の光」の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 聖書が語る神様は、弱く愚かなキリストの弟子たちを通して、キリストがこの地上で歩まれた出来事を人々に伝えるようにと計画されました。

 聖書は、イエス・キリストがすべての人の罪の裁きを身代わりに受けて十字架で死なれたことを記しています。しかし、キリストの弟子たちはその意味が分からず、最初は人々を恐れて隠れていたのです。

 しかし、死に打ち勝ってよみがえられたキリストに出会ってからは、キリストの弟子たちの人生は大きく変わりました。人々を恐れることなく、キリストのよみがえりの勝利と永遠のいのちの希望を大胆に語り始めたのです。

 弱い者をあえて用いてくださるキリストは、弱く愚かな弟子たちを内側から変え続け、彼らに世界大のチャレンジを与えます。聖書はこう記しています。
  「それから、イエスは彼らに言われた。『全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。』」
            新約聖書 マルコの福音書16章15節

 人々を恐れやすい弟子たちに、全世界に出ていってすべての人々に福音を伝えるように、と命じました。すなわち、あらゆる国の、あらゆる立場にいる、あらゆる苦しみや痛みを抱える人々に、キリストの十字架による罪の赦しと復活の勝利による永遠の希望を伝えるように、と命じたのです。

 愚かな弟子たちよりももっと効果的に福音を人々に伝えられる人はいたでしょう。しかしキリストは、弱く愚かな弟子たちが力を受け、強められ、互いに励まし合い、助け合って福音を語り伝えることを望まれたのです。

 この後の彼らのことを聖書はこう記しています。
  「弟子たちは出て行って、いたるところで福音を宣べ伝えた。」
              マルコの福音書 16章20節

 「福音」は良き音信(おとずれ)・グッドニュースという意味を持ちます。それは、神の愛とキリストの復活の勝利こそ人々の人生を内側から変え、失望が永遠の希望に、死や滅びがいのちと勝利に変えられていく、というメッセージなのです。

 あなたが今どんな悩みや恐れを抱えていらしたとしても、このイエス・キリストの十字架と復活の救いと勝利はあなたにも備えられ、あなたがいのち輝く人生を歩む秘訣としてあなたに備えられ、そしてここに示されているのです。


 ( PBA制作「世の光」 2023.6.23放送でのお話しより )


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