2023/7/4放送
「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
今週は、イエス・キリストがお語りになった例え話からご一緒に人生を考えていきましょう。
新約聖書のルカの福音書15章に書かれているお話です。女の人が銀貨を十枚を持っていました。当時の銀貨一枚は一日の労賃程度の価値のものでした。しかし、この人はなくした一枚を見つけたら、友だちや近所の人を集めて一緒に大喜びしたというのです。なんだか、大げさに思える話ですよね。
実は、この地方では、既婚女性のしるしとして、銀の鎖に十個の銀貨をつけた髪飾りがあったそうです。今で言えば、結婚指輪と同じような意味を持っていたわけですねえ。そしてその銀貨の飾りは、どんな借金をしていたとしても、これだけは返済のために取り上げることはできなかった、と言われるほど大切なものだったそうです。今日の例え話の銀貨も、たぶんその髪飾りの銀貨のことではないかと考えられているんです。
ですからこの人にとっては、この銀貨は一日分の労賃では換算できないほどの価値があったわけです。しかし、この銀貨の一枚が、何かの拍子にはずれて家のどこかに落ちてしまいました。当時の家の多くは、乾いた草を敷いた土間のような場所で生活をしていました。小さな窓が壁に一つか二つあるだけです。家の中は薄暗いので明かりをつけて、一所懸命捜しました。するとついに銀貨を見つけ、友だちや近所の人を呼んで大喜びしたのです。
イエス様は最後にこう締めくくりました。「一人の罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちの前には喜びがあるのです。」と。
昨日は、迷子の羊が私たちに例えられていましたが、今回は銀貨に例えられているんです。罪人が悔い改めるなら、とありますが、「悔い改める」ということばには「帰る」という意味があります。つまり、神様から離れて失われた状態になっている私たちが神様のもとに帰るなら、天に大きな喜びがわき起こるのですよ、というのです。
でも、「あれっ?」と思いませんか? 昨日の迷子の羊も、無くした銀貨も、自分から元の場所に戻ったわけではありませんね? どちらも持ち主が懸命に捜して見つけ出したのです。イエス様はこのたとえを通して、神様が私たちを捜して捜して見いだし、本来あるべき場所に戻るようにと働かれているお方だ、と教えているのです。だから私たちの応答は、単純に悔い改めて生きること、つまり捜してくださっているイエス様に自分の右手を差し出して、引き上げてもらい生きていくことなのですね。
( PBA制作「世の光」 2023.7.4放送でのお話しより )
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