♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■カナの婚礼 / 板倉邦雄

2022年12月08日 | Weblog

2022/7/7放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「カナの婚礼」という題でお話ししましょう。イエス・キリストが最初のしるし、まあ奇跡、をガリラヤのカナという所の婚礼で行ったお話しです。ヨハネの福音書の2章に入ります。

 ガリラヤ地方のカナの町で婚礼が開かれ、イエス様の母がそこにいました。恐らく親族の結婚でしたので、イエスも弟子たちもその婚礼に招かれていました。

 ところが婚礼の祝宴の最中、ぶどう酒が切れてしまったのです。予想以上の客が来てしまったのかもしれません。イエス様の母は困り果てて、イエスに「ぶどう酒がなくなってしまいました。」と相談したのです。

 ところが息子のイエスからとんでもない返事が返ってきました。
 「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの関りがありますか。わたしの時は、まだきていません。」

 すると母はしもべたちにこう伝えました。
 「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい。」

 ところで、この婚礼の家には、手足を洗うための石の水瓶(みずがめ)が六つ置いてありました。一つの水瓶は4斗から5斗すなわち80リットルから120リットルの水が入りました。

 イエス様はしもべたちに
  「瓶に水を一杯入れなさい。」

 イエス様の言われるままに、彼らは水がめの口のところまでいっぱいに水を入れたのです。

 「さあ、その水瓶から水を汲んで料理長のところへ持って行きなさい。」

 しもべたちは、水瓶から水を汲んで料理長のもとへ持って行ったのです。

 料理長はぶどう酒になった水を舐めて驚きました。急いで花婿を呼んで言ったのです。 「どんな人でも初めに良いぶどう酒を出して、酔いが回った頃に水で割ったぶどう酒を出すものだ。婿さんよ、あんたは良いぶどう酒を今まで取っておかれましたねえ。」
 
 私たちの人生には結婚というお祝いと喜びの途中でありましても不足や問題が起こるものです。しかしそのときにイエス様がともにいてくださるならば、不足や問題が不思議と解決されていくのではないでしょうか。そしてさらに良いものがイエス様によって用意されるのです。

 聖書のことばです。
 「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」 ペテロの第一の手紙 5章7節


    ( PBA制作「世の光」 2022.7.7放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■選ばれる人生 / 板倉邦雄

2022年12月07日 | Weblog

2022/7/6放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 自分で選ぶ人生と、神に選ばれる人生とで、どちらが幸いであるのか考えましょう。ヨハネの福音書1章の43節から51節です。

 イエス様はピリポに出会って言われました。「わたしに従ってきなさい。」 ピリポは漁師であるアンデレとペテロ兄弟の住むガリラヤ湖畔の町ベツサイダの人でした。ピリポはイエス・キリストによって選ばれた十二弟子の一人となります。

 このピリポが友人のナタナエルに出会って言いました。
 「私たちはモーセが律法の書の中に記しており、預言者たちが記していた人、ヨセフの子ナザレのイエスに今、出会いました。」

 すると、ナタナエルは言います。
 「ナザレから、なんのよいものが出ようか。」

 ナザレの町はガリラヤ地方にありました。ガリラヤ地方は「異邦人の地」と呼ばれ、「暗黒の地」「死の影の地」と呼ばれていた地方でした。そのような地方のナザレから「良いものは出ない」とナタナエルはピリポに答えたのです。

 ピリポはナタナエルに言いました。
 「とにかく、来てみてください。」

 イエス様は、ピリポに連れられてナタナエルが自分のほうに来るのを見て、彼について言われました。
 「見よ。あの人こそ本当のイスラエル人である。その心には偽りがない。」
 
 そのことばを聞いたナタナエルはイエスに言います。
 「どうして私をご存じですか?」

 「ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたが、いちじくの木の下にいるのを見えました。」

 ナタナエルは答えます。
 「先生、あなたは神の子です。イスラエルの王です。」

 さて、イエス様がピリポを選んで、「わたしに従ってきなさい。」とお呼びになって、ピリポはイエス様を信じて従いました。また、ピリポは友人のナタナエルをイエス様のもとへ連れて行ったとき、イエス様はピリポがナタナエルを呼ぶ前にあらかじめナタナエルのことを知っていたのを見ることができました。

 私たちは、自分で選ぶ人生ではなく神の子イエス・キリストに選ばれる人生を歩きたいものです。
 
 キリストのことばです。
 「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。」 (ヨハネの福音書15章16節 新改訳聖書2017)


    ( PBA制作「世の光」 2022.7.6放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■人生は出会いで決まる / 板倉邦雄

2022年12月06日 | Weblog

2022/7/5放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。

 「人生は出会いで決まる」とよく言われています。なぜなら、人生の出会いを私たちは自分で選ぶことはできないからです。私も生まれて気がついたら職人の父と失明した母がいて、すでに上に二人の兄と一人の姉がいました。そのような選ぶことのできない家族との出会いの中で、私という人格が、またその人生が決められてきたのです。

 ヨハネの福音書の1章35節から42節、からお話ししましょう。さて、洗礼者ヨハネは二人の弟子たちと一緒に立っていましたが、そこにイエスが歩いておられるのが目に留まりました。

 二人の弟子に向かってヨハネははっきりと言いました。「見なさい。あの方は神の小羊です。」二人はイエス様についていきました。

 するとイエス様は振り向き、二人がついてくるのを見て言われました。
 「何か願いがあるのか?」
 「先生、どこにお泊まりでしょうか。」
 「来てごらんなさい。そうしたら、わかるでしょう」

 そこで二人はついて行ってイエス様の泊まっておられるところを見ました。そして、その日、イエス様のところに泊まったのです。一晩だけのイエス様との出会いでしたが、ヨハネの二人の弟子たちにとっては素晴らしい時だったと思います。この二人の弟子の一人はシモン・ペテロの兄弟アンデレでした。シモン・ペテロとアンデレはガリラヤ湖畔の漁師でした。

 さて、次の日です。アンデレは、まず自分の兄弟シモンと出会いまして、興奮しながら言いました。「シモン兄さん。昨日、私はメシア(キリスト)に出会いました。」アンデレは兄弟シモンをイエス様の下に連れていきました。イエス様はシモンを一目見て、あだ名をつけたのです。「あなたはヨハネの息子シモンですね。あなたを今日からケパ(訳せばペテロ)と呼びましょう。」
私が高校2年生の秋です。高校生だけの聖書クラブに初めて参加したとき、集会が終わってM君という学生が私のところに来て言いました。「板倉さん。今度の日曜日、僕の行っている教会に来ませんか」そこで私は救い主イエス・キリストと出会うことができました。選ぶ人生から選ばれる人生のスタートだったのです。


    ( PBA制作「世の光」 2022.7.5放送でのお話しより )


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■焦らず一歩ずつ / 関根弘興

2022年12月03日 | Weblog

2022/7/2放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 日本の昔話に、兎と亀の話がありますねえ。向こうのお山の麓までどちらが先に着くか、競争しよう、というお話です。

 でもこれは誰が考えても常識的には兎が勝つに決まっていますよね。ところがこのお話は勝利したのは何と亀さんでした。どうしてそんなことになったのでしょうねえ。兎が怠け者であったからですか? 自己過信していためでしょうか。もちろんそういうこともあったでしょう。でもよく考えると、兎の敵は誰かといえば亀でした。兎にとって亀に勝つこと自体が目標でした。しかし亀にとっては兎と競争しても勝てるはずがありません。
ですから亀の目標はあくまで、「向こうのお山の麓まで」完走することだった訳です。

 私はこの兎と亀の話を聞くと、どうも私たちはこの兎のような感覚を持ってしまうことが多いのではないかと思うんですねえ。周りの存在があまりにも気になるわけです。いつのまにかゴールを目指す生き方ではなくて、周りの存在が自分の目標にすり替わってしまい、一喜一憂しているということがとても多いように思います。

 新約聖書のピリピ人への手紙3章13節~14節にはこのように書かれています。

 「兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。」

 パウロという人が記したことばですが、パウロは自分の過去を振り返って生きるのではなく、前を見つめ一歩ずつ目標を目指して走っている、と彼は記しました。

 私たちの人生はどうでしょうか。私たちは永遠の天の都をめざすランナーでありたいですね。過去に囚われ生きるのではなく、また周りと比べながら一喜一憂しながら歩むのもこれ疲れますね。せっかくの一度限りの人生なのですから、一歩ずつ前に前に、永遠のゴールを目指す人生でありたいものです。亀のように歩みがのろい、何と歩みの遅い人だ、と言われようが、いいではありませんか。気にしないことです。大切なのは、イエス・キリストがあなたの永遠を目指す人生のレースに同伴してくださっているということです。
 「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」と約束されるイエス様とともに、焦らず、一歩ずつ進んでいくことにいたしましょう。


    ( PBA制作「世の光」 2022.7.2放送でのお話しより )


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■信仰は生きること / 関根弘興

2022年12月02日 | Weblog

2022/7/1放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。

 今日は最初に聖書のことばを紹介しましょう。ヘブル人への手紙11章1節

 「信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです」

 こんな話を聞いたことがあります。ある植物学者が、数人のシェルパを連れて植物を採取していました。すると断崖絶壁にとても貴重な植物があったのです。彼はなんとかその植物をサンプルとして採取したかったのです。

 しかしどのシェルパも、そんな植物のために危険を冒す気にはなりませんでした。すると一人の子どもが、「ねえ、僕が取ってきてあげるよ」と言いだしたのです。「駄目だよ、まだ子どもなんだから、そんな危険なことはさせられないよ」と学者は断りました。
しかしその子どもは「大丈夫だよ」と言い続けるのです。そしてこう言いました。「おじちゃん、その植物を取ってきてあげるけど、一つだけ条件があるんだ」「なんだい?」「うん、僕の命綱はお父さん以外の人に持たせないでね。お父さんが持っていれば安心さ。」 そう言ったというのです。

 さて、あなたの人生の命綱を一体だれが握っていますか? それによって安心の度合いはだいぶ変わってきますねえ。

 私たちは信仰ということばを聞くと、どうも何か宗教的な特殊なことばのように考えてしまいます。しかし信仰とは信頼と同じ意味です。私たちはいろいろな情報を信じ、行動しています。つまり、生きることは信じることであり、信じることは生きることなのです。ですから、もし私たちの生活の中で信じることが失われていったとき、生きることはとても難しくなっていきます。

 たとえば朝起きて出された朝食を疑ったらどうでしょう。通勤の駅のホームで電車の時刻を疑ったらどうでしょう。そんなことをしていたら、いつまでたっても会社にたどりつきませんね。

 聖書が教える信仰とは思い込みの世界ではありません。聖書のことばを受け入れて、そのことばに委ね、実際に生きていくことなのです。

 神様はあなたを愛してくださっている、と聖書では語っています。ですから私たちはそれを聞いて、「ああ、私は愛されている」という安心をもって生きていくことができるのだなということを、うなずきながら進んでいくことができるのです。

 そしてイエス・キリストは救い主なる方であり、私たちの人生を導く方です。ですから、この方が人生の命綱を握ってくださるなら最も安心ではありませんか? 


    ( PBA制作「世の光」 2022.7.1放送でのお話しより )


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■「こころ」のサプリメント / 関根弘興

2022年12月01日 | Weblog

2022/6/30放送

「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 だれでも生まれた時から持っているもの、それは微笑みです。でも、人生には微笑みを消し去ってしまうという悲しい出来事が起こるのも現実です。

 旧約聖書の中にエレミヤという神様からのことばを預かって人々に語る預言者がいました。彼が生きていた時代は、自分の国が滅ぼされてしまうという悲劇的な時代でした。多くの人が敵国に捕虜として連れて行かれてしまい、笑顔なんてまったく消えてしまう状況でした。

 しかし、そんな絶望的な状況の中で、エレミヤは神様から告げられたことばを手紙に書き記しました。それは、驚くべき内容でした。

 まず第一に、「捕らえ移されたその土地で落ち着き、普通の生活をして長期滞在に備えなさい」と記したのです。それどころかエレミヤは、何と「捕えられた町の繁栄を祈りなさい」とも書き記しました。

 エレミヤは、捕えられた同胞に向かって、「バビロニアを憎め! 呪え!」と記したのでなくて、「その町の繁栄を祈れ」と書いたのです。

 あなたならどうしますか? 「そんな手紙は破り捨ててしまえ!」と怒鳴り散らすかも知れませんねえ。

 でもエレミヤは、「あなたがたの平安は、その町の平安と密接に関係しているんだよ」と記しているのです。

 エレミヤ書29章11節にはこう記されています。
 「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」

 絶望の中にいる人たちにエレミヤは、「問題の解決はすぐには来ません。」、正直に告げました。しかし、「絶望とつぶやきの中を生きるのではなく、その町の繁栄を祈れ。それは、あなたの平安に結びついているんだよ。」と記した訳です。

 きっとエレミヤの手紙を読んだ人たちは、「エレミヤは何を言っているんだ?」と眉をひそめ、とんでもないという態度を取った人もいたでしょう。

 しかし神様の約束は平安を与える計画であり将来と希望を与えるものであるなら、今、困難な状況の中でも、このことばを信じ生きるとき、そこに少しずつ笑顔が回復していくと思いませんか? 

 あなたは今、辛い苦しい状況におられるかも知れません。平安と将来と希望の計画をあなたに立てておられる神様がおられることを信じ生きてください。そこから生まれる微笑みは素晴らしい心のサプリメントになるはずです。


    ( PBA制作「世の光」 2022.6.30放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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