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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■こすい弟、太っ腹の兄 / 板倉邦雄

2013年09月18日 | Weblog
2013/9/18放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「こすい弟、太っ腹の兄」という題でお話ししましょう。

 人の持った性格や気質というものは生涯変わらないと聞いたことがあります。創世記33章に入ります。

 さてヤコブは目をあげ兄エサウが400人の部下を率いて来るのを見ました。そこでヤコブは二人のそばめたちとその子どもたちを先頭に置き、妻の一人レアとその子どもたちを次に置き、最愛の妻ラケルとヨセフを最後に置いたのです。いざという時のためでした。昨晩の神の使いとの祈りの格闘はどこへ飛んでしまったのでしょう。そしてヤコブ自らは足を引きずりながら家族の前に進み、7回体を地に屈めて兄エサウに近づきました。

 すると兄エサウは走ってきてヤコブを迎えヤコブを抱きしめました。二人は感極まって泣き続けたのです。

 しばらくして兄エサウは目をあげて女性たちと子どもたちを見て言いました。
 「あなたと一緒にいるこれらの者は誰ですか。」

 ヤコブは答えました。
 「神がしもべに授けられた子どもたちです。」 そこで二人のそばめたちはその子どもたちと共に近寄ってお辞儀をしました。レアもその子どもたちと共に近寄っておじぎをし、それからヨセフとラケルが近寄っておじぎをしました。

 兄エサウは太っ腹と言いますか、単純で率直な性格を持った人ですね。
 「私が来る途中で出会った家畜の群れはどうしたのですか。」

 ヤコブは答えました。
 「私からの贈り物です。」

 「弟よ。私は十分持っている。あなたのものはあなたのものにしなさい。」

 ヤコブは答えました。
 「どうか私の手から贈り物を受け取ってください。あなたが喜んで私を迎えてくださったので、あなたの顔を見て神の顔を見るように思います。」

 こうしてヤコブが強いたので兄は受け取りました。

 それにしても兄さんの顔を見て神の顔を見てるようだとは言い過ぎでしょう。慇懃無礼とはこのことでしょうかねえ。ずるい弟の性格はまだまだ続きそうです。ヤコブは自分の性格のいやらしさを知ったからこそ神様が自分には必要だと自覚していたのです。


(PBA制作「世の光」2013.9.18放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■祈りによらなければ / 山中直義

2013年09月17日 | Weblog
2013/9/17放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。私たちが抱える問題には様々な種類のものがあります。その中にはどれだけ知恵や力を増し加えてもどうしても解決することができない問題がある、聖書はそう言います。今日は「祈りによらなければ」と題してのバイブル・メッセージです。

 ある時ひとりの人が助けを求めてイエス・キリストの元にやってきました。息子が悪い霊に憑かれて長い間苦しみ続けているというのです。この霊的な問題の解決をこの父親は最初イエス・キリストの弟子たちに依頼しました。しかし弟子たちはいろいろと考えて議論はするものの、結局何もすることができなかったと言います。

 その事を知らされた時イエス・キリストは次のように嘆かれました。
 「ああ、不信仰な世だ。」(マルコ 9章19節)

 イエス・キリストが嘆かれたもの、それは弟子たちの知恵のなさや能力のなさではありませんでした。そうではなく弟子たちの信仰が欠けていたこと、神様を信頼し神様に助けを求めて心から祈るということをしなかったこと、その事をイエス・キリストは深く嘆かれたのでした。

 そしてイエス・キリストは続けてこう言われました。
 「その子をわたしのところに連れて来なさい。」(マルコ 9章19節)

 そこで人々がその子をイエス・キリストのもとに連れて行き、またその父親が心から助けを求めて叫ぶと、あのどうしようもなく絶望的に思えた問題が奇跡的に解決され、あの息子は完全に解き放たれたと言います。

 目の当たりにした弟子たちは驚いてイエス様に尋ねました。
 「どうしてでしょう。私たちにはできなかったのですが。」(マルコ 9章28節参照)

 するとイエス様は彼らにこう言われました。
 「この種のものは祈りによらなければできるものではありません。」(マルコ 9章29節参照)

 どれだけ知恵や知識を増し加え、頑張ったとしてもどうにもならない問題があります。そんな時、あなたに求められているのは、一言心を込めて神様に助けを求めることではないでしょうか。

 どうぞあなたも心を神様に向け、一言心をこめて祈ってみてください。あなたにも神様の救いの手は指し伸ばされているのです。

 (PBA制作「世の光」2013.9.17放送でのお話しより )

******


さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■将来を見つめ生きる / 関根弘興

2013年09月16日 | Weblog
2013/9/16放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。新約聖書のヨハネの福音書の9章に記されている出来事を紹介しましょう。

 イエス・キリストは道の途中で、生まれつきの盲人に出会われました。

 ま、私たちはいろんなものを選び取って生活する事ができますが、自分では選ぶこともできないものがあります。それは自分の生まれに関することです。生まれに関しては不公平だと思うことがありますよね。裕福な家に生まれる人もいれば貧しい家に生まれる場合もある。健康で生まれる場合もあれば病弱で生まれる場合もある。どれも自分で選ぶことができない訳です。今日登場したこの生まれつきの目の不自由な男はですね、生まれつきですから自分で選んで盲目になった訳ではありません。どうして私はこんな苦しい目に遭わなければならないのか、という思いをいつも持っていたかもしませんねえ。この人は座って物乞をするしか生きる術がありませんでした。それに加えて人々は彼が盲目になった原因を、この人自身か両親の罪だろうかと勝手に判断し評価していました。つまり人が背負えっている苦しみの原因は罪の結果だと考えて非難や軽蔑の態度を取る人がとても多かったのです。なんとイエス・キリストの弟子たちも、「この人はこうなったのは誰のせいでしょうかねえ。誰が罪を犯したからでしょうかねえ。この人ですか? それとも両親ですか?」とイエス様に尋ねる始末でした。

 私たちは時には、大きな苦しみやまた不幸と思われることを経験する時に、その苦しみの原因を一生懸命自分の過去にさかのぼって探ろうとします。でもそれは出口のない虚しい世界に置き去りにされてしまうだけです。でもイエス様は何と言われたのでしょう。イエス様はこのように言われました。「この人が罪を犯したのでもなく両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」と言われました。イエス様の見方は私たちの見方とは全く違っています。イエス様は今ある苦しみや不幸と思われる現実、それを過去にさかのぼって見ることはなさいません。そうではなく、まだ見ぬ未来に希望をもって今を見ていく、というそういう見方なんですね。イエス様は生まれつきの盲人を見て、「神のわざがこの人に現れるためです。」と言われましたね。つまり、過去に原因を探るのではなく、これからこの人の人生に神のわざが現れようとしている、そのために今があるのだ、という見方なんです。つまり私達は辛くマイナスに思える事すらも、神様はその事を通して自分のみわざを現してくださるというのです。だからこそ、イエス様に信頼し希望をもっていくことができるんです。過去に原因を探るのではない、神様のみわざが現われるために今がある、というこの見方を持って歩んでいきましょう。

  (PBA制作「世の光」2013.9.16放送でのお話しより)

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■十字架のことば / 羽鳥頼和

2013年09月14日 | Weblog
2013/9/14放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 今日は私の父がイエス・キリストを信じたきっかけをお話したいと思います。

 父は自分の兄に誘われてキリスト教会に行きました。その時、父は一流大学を卒業し社会主義に傾倒していました。そして神はいないと考えている無神論者でした。ですから父の兄はそんな自分の弟が教会に来てくれることにうれしくもありながら非常に不安を覚えていました。インテルで神などいないと思っている弟が聖書の話を聞いて信じてくるだろうか、と。聖書の話が始まりました。父の兄は祈りながら一緒に聖書の話を聞きました。その聖書の話は、イエス・キリストは罪人のために死なれた、そして3日後によみがえった、という十字架についての話でした。父の兄は話を聞きながら心配になりました。2000年も前の一人の人が全人類の身代わりとなって死んだとか死んだ人が三日後によみがえったという話では理論派の弟を説得できないと思ったのです。もう弟は聖書の話はバカバカしいと言って二度と聖書の話を聞いてくれなくなるだろうと諦めました。所が聖書の話の最後に「今日イエス・キリストを自分の救い主と信じる人は手をあげてください。」との声がかかると、何と弟が手をあげているではありませんか。そして涙を流しながら自分の罪を悔い改めているのです。そしてイエス・キリストを自分の救い主と信じる祈りをしたのです。

 実は父はこの時、人生に絶望していたのです。人の力が社会を良くすることができると信じて頑張ってきましたが、それはうまくいきませんでした。自分にそして人間の力に絶望していたのです。そんな心に十字架のことばが届き、希望を与えたのです。神だけが人を本当に救うことができるのだと分かったのです。

 聖書にこうあります。
 「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
   新約聖書 コリント人への手紙 第一 1章18節

 私の父は神様の救いの力である十字架のことばを信じて救われました。人を救うことができるのが神です。その神様の救いの力はイエス・キリストの十字架にあるのです。

 明日は日曜日です。あなたも救いを与えるイエス・キリストの十字架を知るために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

(PBA制作「世の光」2013.9.14放送でのお話より )
 
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■信仰の歩みを進める / 岩井基雄

2013年09月13日 | Weblog
2013/9/13放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。今日からこの第二週は「信仰の歩み」について学びたいと思いますが今日は「信仰の歩みを進める」というテーマで学んでみましょう。

 「信仰の歩み」ということばを聞くと、やみくもに何かを猛進して突き進んでいくようなイメージを持つ方が少なくないかもしれませんね。日本では「いわしの頭も信心から」ということばが示すように信仰の対象よりも信じる心が大切であると言われます。しかし聖書では、どんなに信仰は弱く小さくとも信じる相手さえ間違わなければ大丈夫なのだと語っているのです。すなわちすべてを創造された神様に信頼して歩むということが信仰の歩みだというのですね。

 旧約聖書にはこの神様を信頼して歩んだ数多くの人々が登場しますが、その中でも「信仰の人」と呼ばれるのはアブラハムです。彼については新約聖書でこのように記されています。

 「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」 新約聖書 ヘブル人への手紙 11章8節 

 人生には多くのチャレンジがあります。慣れた場所を離れ、先が見えないまま進むことは容易ではありませんねえ。神様がアブラハムに与えたチャレンジはまさにこれでした。後に「信仰の父」と呼ばれるアブラハムも最初から信仰の勇士であったのではありません。神様からの召しを受け、葛藤や戦いの中で聖書が語る神様に信頼し続けることによって、その信頼が深められていったのです。子どもが自分の父親を信頼してその胸に飛び込んでいくように、アブラハムは創造主である神様に信頼して、神様が導かれる地へと向かっていったのです。私たちも先の見えない不安やチャレンジの中にあっても聖書が語る神様に信頼を置き、希望の約束である神のことばを心に抱いて、一歩ずつ進むことができるのです。どんなに慣れた場所を後にすることがあったとしても、常に共におられる神様を信頼して、あなたも信仰の歩みを歩み進めることができるのです。

 聖書のことば

 「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。
                ヨシュア記 1章9節

 (PBA制作「世の光」2013.9.13放送でのお話しより)

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■私はあなたを手にはかけない / 福井 誠

2013年09月12日 | Weblog
2013/9/12放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは、「私はあなたを手にかけない」です。それでは第一サムエル記24章12節から読んでみましょう。

 「どうか、主が、私とあなたの間をさばき、主が私の仇を、あなたに報いられますように。私はあなたを手にかけることはしません。

 ダビデが死海の荒地に隠れているとサウルは知って3000人の精鋭部隊を整え追跡し始めました。今度こそ息の根を止めてやる、そんな思いだったのでしょう。しかしながら、なかなか見つけられない。そうこうするうちにサウルは用を足したくなり洞窟に入っていきます。イスラエルの燦燦と輝く太陽の下から急に洞窟に入ったので暗闇に目が慣れず奥の様子が分からなかったのでしょう。そこにはダビデ達が隠れていたのです。サウルが用を足していると息を潜めていたダビデの部下がダビデにささやきました。今こそサウルの執拗な追跡を絶ち切る絶好のチャンスである、と。しかしダビデは手を下しませんでした。

 サウルに追跡された日々のダビデの思いは詩篇につづられています。執拗な追跡、長引く逃亡生活にダビデの心は疲れ果てていました。言いようのない恐怖とやり場のない激しい憤りを覚え、神に向かって絶叫して祈るほど追い詰められた悲しい人生でした。ダビデは手に刀を握りながら、今こそこの悩みを絶ち切る時だ、そう思うところもあったかもしれませんね。しかし手を下しませんでした。

 なぜでしょうか。ダビデは詩篇の中で苦しい日々を切々と語ると共に、その日々においてかけがえのない神の愛と恵みを味わっていたことを告白しています。ダビデがサウルに手を下さなかったのは神との関係があったからです。ダビデは目先の安堵よりも永遠の魂の平安を大事にしたかったのですね。サウルを殺すことで神との関係が破壊するのであったら、そんなのはごめんだということですねえ。

 私たちの厳しい現実の中で実はもう一つの現実を持つことができます。目に見えない神と共に生きる現実です。あなたにも聖書を読んでいただきたいと思います。そしてこの神と共に生きる平安と祝福の世界を知っていただきたいと思います。

(PBA制作「世の光」2013.9.12放送でのお話より )

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■神の力は弱さの中に / 板倉邦雄

2013年09月11日 | Weblog
2013/9/11放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「神の力は弱さの中に」という題でお話ししましょう。

 東京の江戸川には矢切の渡しがあります。今日の聖書の箇所にはヤボクの渡しが出てきます。ヤコブはその渡しで必死で祈ります。創世記の32章の最後です。

 さて兄エサウが400人の手下を連れて来ると聞いたヤコブは恐れました。20年前、兄をだまして母の実家へ逃げていたからです。ヤコブは逃げ帰宅をしてみたり即席の祈りをしたり、兄の御機嫌取りにと贈り物を送ったりしましたねえ。それとも落ち着かず心配でした。夜中に起きると2人の妻たちと11人の子どもを連れてヤボクの渡しを渡るのです。そしてヤコブは一人残り、必死で神様に祈りました。祈りに追い込まれたのです。

 しかしそこに一人の人が現れ、ヤコブと夜明けまで組打ちの格闘を続けました。この一人の人とは天使とか人となる前のイエス・キリストと言われています。なかなか勝負がつきません。その人はとうとうヤコブの腰を打って関節を外してしまいました。ヤコブはハアハアと息をしながら腰砕けの中で「私を祝福してくださるまでは絶対に離しません。」「お前の名は何というのか。」「ヤコブと申します。」「もうヤコブ--押しのけ者--ではない。神と戦い、強さを示したのだからイスラエルと変えなさい。」

 さあ出発です。しかし腰の関節が外れていたので、ヤコブは足を引きずらなければなりませんでした。しかし顔と心は晴れ晴れとしていたのではないでしょうか。足が効かないので、もう逃げることさえできません。神様にひたすら頼らなくてはなりませんでした。神様に明け渡す以外にはなくなってしまったのです。人の力、人の知恵は絶たれました。この時ヤコブはイスラエル--神の王子--と改名されました(※)。神様の力は私たちの弱さの内に働かれるのです。聖書のことばです。

 「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。
コリント人の第二の手紙12章9節 (口語訳聖書)

※イスラエルの「エル」は神を表し、「イスラ」は「戦う」(ヘブル語サーラー)の派生語とも説明される。 新聖書辞典 p116

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■主がお告げになった通りに / 山中直義

2013年09月10日 | Weblog
2013/9/10放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。
やってみなければ分からない、そんなことってありますよね。聖書のことばもまさにそうだと思います。今日は「主がお告げになった通りに」と題してのバイブル・メッセージです。

 創世記の12章にアブラムという人物が登場します。彼は神様のことを余り知らずに歩んでいました。そんなある時、神様からのことばが彼にあったと聖書は言います。創世記12章1節から3節のことばです。

 主はアブラムに仰せられた。
 「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」


 この語りかけを聞いた時、「アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。」(創世記 12章4節)、と聖書は言います。このことばのすべての意味がよく分かった訳ではなかったと思います。しかし様々な痛みや苦しみや悩みの中でこの神様の声に聞き従ってみよう、そんな一歩を彼は踏み出したというのです。すべてが完全に信じ切れる訳ではない。しかし神様のことばに不思議に導かれて、とにかく一歩踏み出したのでした。不安も戸惑いも恐れもあったと思います。しかしその一歩から彼の人生は大きく変えられていきました。そして神様の祝福というものがどれほどに素晴らしいものなのか、彼はこの後、味わっていくことになったのです。

 神様のことばに聞き従ってみてもどうせ何も変わらないのではないか、かつて私もそう考えていました。しかし神様のことばに不思議に導かれて、神様を信じて歩むようになって、本当にすべてが豊かに変えられていった、その事を改めて思わされます。

 どうせ何も変わらない。そう考えるのは大きな間違いです。神様を信じ、聖書のことを信じて、そのことばに従って一歩でも踏み出すなら、あなたの人生にも神様の豊かな祝福が実現していくのです。イエス・キリストのことば

 「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、・・・」 ヨハネの福音書 11章40節

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■アブラハムの前からわたしはいる / 関根弘興

2013年09月09日 | Weblog
2013/9/9放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。イエス・キリストは当時の宗教指導者たちにこんなことを語られたんです。「わたしのことばを守るなら決して死を見ることは無い。」 すごいことばですね。これを聞いた当時の人たちはですねえ、「お前は何を言うのか、昔の預言者たちも私たちの先祖であるアブラハムも神様のことばを大切に守っていたのにみんな死んでしまったではないか。お前は何様だ。お前はアブラハムよりも偉大だと言うのか?」 ま、このように詰め寄ってきたんですね。彼らはイエス様の語ろうとする真意を理解することができずにいました。そして彼らはイエス様にこう言ったんですねえ。「イエスよ、お前はまだ50歳にもなっていないのにアブラハムを見たというのか?」 詰め寄ってきたんです。

 当時神様の前で奉仕をする人たちの年齢はですね30歳から正式に奉仕を開始し、50歳で定年退職することになっていたんですね。ですからイエス様はこの時まだ30歳を少し過ぎた年齢ですから、当時の社会ではまだ新米の若造ですね。ですから、イエス様にまだ50歳になっていないのにというに言ったのは、「お前は何も知らない若造でないか。それなのに今から1800年も前に存在したアブラハムをお前は見たなどと良くも抜け抜けと言えたもんだ。」と言ってですねえ、イエス様を蔑んで彼らは言ったんですね。

 するとイエス様は驚くべきことを語られたんです。それは「アブラハムが生まれる前からわたしはいる。」と言われたんです。アブラハム・・・イエス様の時代から1800年も前にいたですねえアブラハム・・・の前から「わたしはいる」と言われたんですからみんなびっくりしました。「わたしはいる」というのは別のことばでは「わたしは存在者だ」という意味ですね。原語のギリシャ語ではエゴー・エイミー(※英語ではアイ・アム)ということばです。

 旧約聖書の中に、神様はご自分の名を聞かれた時に「『わたしはある』という者だ」というふうにお答えになったことが書かれています(出エジプト記 3章14節参照)。要するに神様とは一体どういうお方か、それは永遠の存在者だ。「わたしはある。わたしはいつもいるのだ。」というお方だという訳ですね。ですからイエス様は自分自身で「わたしはアブラハムが生まれる前からずっといるのだ。」というのは、「わたしは神であり永遠の存在者なのだ」と言われたのです。

 聖書は私たちにイエス・キリストはどのような方か、それはイエス・キリストは永遠の存在者なる方なのだ、そのように私たちに教えます。イエス・キリストは天地の創造の時にもアブラハムの時代にも、モーセのイザヤの時代にも、いつの時代にも私は存在するのだというお方だというのです。そして今、今日この時にもイエス・キリストはあなたの傍らにいてくださる永遠の存在者なんです。

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■そのころ、王がいなかった / 羽鳥頼和

2013年09月07日 | Weblog
2013/9/7放送

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとございます。羽鳥頼和です。今日の話は旧約聖書の士師記18章に出て来る出来事です。

 神様は各部族に自分に割り当てられた土地を占領するように命じました。ところがイスラエルの十二部族の一つダン部族は相続地を占領することができませんでした。それで彼らは神様の命令に背いて住むのに良い他の土地を探すことにしました。そして北の方にライシュという所を見つけ、そこを占領してしまいます。そこに住んでいた人々はそれまで平穏な生活を送っていました。しかしダン部族は自分たちがそこに住むためにその町の人々殺してしまいました。また、彼らは他の土地のレビ人を勝手に連れてきて自分たちの町の祭司としました。その上、自分たちのために神の像を造ってそれを建立したのでした。神様のことも他人のことも考えず、ただ自分たちのことしか考えず、自分が気に入ったものを何が何でも手に入れていこうとする人間の欲望に満ちた姿がそこにあります。

 この時代の人々のことを聖書は「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた。」(士師記 17章6節、21章25節)と教えています。もし王がいればこんな自分勝手な無法社会にはならないとでも言うように、聖書は「その頃イスラエルには王がいなかった」と言います。確かに理想的な王がいれば国は正しく治められます。国は平和で人々はみんなが安心して住むことができます。そして実は神様はそのような理想的な王を遣わされたのです。それがイエス・キリストです。

 イエス・キリストは私たちを守り支え導いてくださいます。イエス・キリストは人を救い、本当の幸せを与えてくださるのです。イエス・キリストは王でありながら、人を救うために十字架にかかってくださいました。そして三日後によみがえり、今は天の神様の右の御座にいて私たちのために働いておられます。あなたもまことの王であるイエス・キリストを自分の救い主と信じてください。イエス・キリストはあなたを救い、安心で幸せな人生を与えてくださいます。

 聖書をお読みします。
 「キリストは・・・ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」 新約聖書 ヘブル人の手紙7章25節

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 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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