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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■不快なことば / 山中直義

2012年06月19日 | Weblog
2012/6/19放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。

 聖書は時に私たちの耳には不快に思えることばを語ります。神様は一体なぜそんなことばを敢えて語られるのでしょうか。旧約聖書創世記37章にある少年ヨセフのことばも彼の兄たちを不快な思いにさせたと言います。

 ヨセフの兄たち10人は神様を無視した歩みを続けていました。そして悪い生き方を悔い改めようともせず、悪を指摘するヨセフを逆恨みし、深く憎んでいたと言います。そんな時ヨセフは一つの夢を見ました。見ると畑で彼らが束を束ねていました。するとヨセフの束だけが立ち上がり、まっすぐに立ったと言います。そして10人の兄弟たちの束はそのヨセフの束を伏し拝んだというのです。ヨセフはこの夢のことを兄たちに告げました。すると兄たちは激しく怒りヨセフを憎むようになったと言います。兄弟たちの中で最も弱く小さい者を私たちが伏し拝む訳が無い、そんな怒りでした。ところがヨセフはまた夢を見たと言います。今度は太陽と月そして10の星々がヨセフを伏し拝んだと言うのです。当然のように兄たちの憎しみは深まり、やがてそれは殺意にまで変わっていきました。

 ヨセフはなぜ自分を憎む兄弟たちにこのような不快なことばを敢えて繰り返し伝えたのでしょうか。聖書にこんなことばがあります。「神である主が語られる。だれが預言しないでいられよう。」(アモス書 3章8節) たとえそれが人の耳に不快なものであったとしても神からのことば、人を救う神のことばである以上、はっきりとそれは語られる。その事をこの物語から教えられます。そして実はこの兄たちはこの夢の通りにやがて神の前に罪を悔い改め彼らは一致のうちに和解していくということが聖書には描かれています。

 聖書に記されている不快に思えることば、しかし実はそのことばこそがあなたに罪を知らせ真の救いに導くことばなのかもしれません。

 聖書のことば
 「この方 ---イエス・キリスト--- 以外には、だれによっても救いはありません。」 新約聖書 使徒の働き 4章12節

  (PBA制作「世の光」2012.6.19放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■学ぶはまねび / 関根弘興

2012年06月18日 | Weblog
2012/6/18放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか関根弘興です。イエス・キリストの語られたことばを今日も最初に紹介しましょう。マタイの福音書11章28節から。

 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

 イエス・キリストのもとに私達は人生の重荷を下ろすことができます。そしてイエス様は「わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」と約束してくださいました。

 ところで「学ぶ」ということは二つの方法がありますよね。一つは、教室で学ぶように知的な理解をするという学びです。そしてもう一つは、真似るということ、真似をする、まあ「見よう見真似」なんていうことばがありますけども、そういうことを通して学んでいくということですね。

 何か習い事をされている方はすぐ分ると思いますが、たとえば教室で陶芸の講義を聞いただけでは素晴らしい作品が完成できるはずがありません。講義を聴いて知的に理解するだけでは身につかないわけです。でも実際に作りながら試行錯誤を繰り返していくうちにだんだんと作品が出来上がって来るわけですね。またその先生の作品に感激することがあっても先生の作品と自分の作品を比べてですね落ち込んだりするという事はあまりないかもしれません。なぜなら最初から先生のような作品を作ることなんてできないからです。学ぶためには時間がかかるわけですね。私たちは学んでいく中で少しずつ少しずつ身につけていくわけです。その途中で葛藤があったり悩んだりすることがありますが、先生の助けを得ながら腕を磨いていくわけです。

 実はイエス・キリストを信じクリスチャンとして生きる生活というのも全く同じなんですねえ。イエス・キリストは私たちを愛しておられイエス・キリストご自身が私たちの人生のお手本となってくださるんです。私たちは初めからイエス・キリストのように成れっこありません。愛のない自分自身に気づき落ち込むことがあるかもしれません。迷ってしまうかもしれません。でも知ってください。イエス・キリストを信じる一人ひとりにイエス・キリストはあなたの傍らにいてくださるんです。

 第一ペテロ2章21節には
 「あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。」(とあります。)

 イエス・キリストがあなたの人生の模範です。私たちは聖書からイエス・キリストのことを知り、イエス・キリストと共に歩むことを通してイエス・キリストから学んで生きて行くんですね。

  (PBA制作「世の光」2012.6.18放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■愛の賛歌 / 羽鳥頼和

2012年06月16日 | Weblog
2012/6/16放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 私たちの周りで音楽が良く流れています。私が子供の頃はそんな曲を歌謡曲と言いました。今ではポップミュージックと言います。日本のものは Jポップ、そして韓国のものはKポップという感じです。これらの音楽の歌詞の殆どは恋や愛について歌ったものです。音楽は人の愛を歌った歌がとても多いと思います。

 実は聖書の中にも人の愛を高らかに歌った「愛の賛歌」と言っていい書物があります。雅歌という名前の書物です。雅歌とは格式の高い歌、雅やかな歌という意味です。聖書の中で雅歌と訳されていることばには「歌の中の歌」という意味もあります。つまり最も素晴らしい歌なのです。聖書の中に最も素晴らしい歌として愛の歌があるのです。

 その内容を少し見て見ましょう。

ああ、わが愛する者。あなたはなんと美しいことよ。なんと美しいことよ。あなたの目は鳩のようだ。」(雅歌 1章15節)

 これは男性が愛する女性に語りかけていることばです。「あなたは美しい」とはっきりと言っています。女性ははっきりとことばで愛情表現をされると幸せを感じます。「綺麗だよ」と言われると嬉しいのです。「あなたの目は鳩のようだ」と言うのは、鳩とは純粋で汚れを知らない無垢であることを意味します。「あなたは重心無垢な人だ」ということです。男性は愛する女性に「あなたは清らかで美しい」と語りかけます。

 そうすると女性が答えます。「私の愛する方。あなたはなんと美しく、慕わしい方でしょう。」(雅歌 1章16節) 女性も男性を「美しい」と言います。そして「慕わしい方」と告白します。男性は慕われると幸せを感じます。頼りにされると嬉しいのです。

 このように聖書は男女の愛、夫婦の愛を非常に尊んでいます。それは人を造られた神様が人を愛しあう存在として造られたからです。

 旧約聖書の創世記に神様が人間を造られたことを語った後に「それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」と語っています。このことばは結婚は神様が定められたことであると教えているのです。神様は人間を男と女に造られ互いに愛し合うものとされたのです。

 ( PBA制作「世の光」2012.6.16放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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東海地方での世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの放送に協力してくださるキリスト教会・キリスト者の皆様の献金は、

  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会   まで

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 (自由ケ丘キリスト教会内)  東海福音放送協力会 へ
            
 

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■父なる神とは / 岩井基雄

2012年06月15日 | Weblog
2012/6/15放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 キリスト教会で使われている用語には分るようで分りにくいことばがありますよね。今日もちょっと分りにくいキリスト教用語を学んでみましょう。今日は「父なる神」です。

 今度の日曜日は父の日とされていますね。これは1909年にアメリカ・ワシントン州スポケーンのソノラ・スマート・ドッドさんが男手一つで自分を育ててくれた父を称えて父の誕生月である6月に教会で礼拝をしてもらったことがきっかけなのだそうです。

 聖書には「父なる神」という表現はあっても「母なる神」という表現はありません。もちろんこの聖書が語る神には母のように私たちを守り養い助ける存在としての面も記されていますが、やはり父なる神として表現されています。

 聖書の中に次のようなことばがあります。
すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。」 新約聖書エペソ人への手紙4章6節


 すべてのものを創造し主権を持ってすべてを治め、保っておられるお方として聖書は父なる神を表しています。旧約聖書を記したヘブル語で神の名を表すヤーウェということばはすべての存在の根源であるという意味です。

 新約聖書の中に放蕩息子というたとえ話があります。これは裕福なお父さんに財産を分けて欲しいと願い、父から離れ遠い国で、受け取った財産を湯水の用に使い果たしてすべてを失った息子の物語です。友達を失い飢饉にあい、食べるものもなくぼろぼろになってようやく自分の愚かさを認め、悔い改めて父の元に戻って来るこの息子は、悔い改めて父なる神のもとに帰る私たち人間の姿を現しています。

 すべてのものを創造された神様はあなたを創造しあなたを愛していらっしゃいます。そしてあなたが自分中心の塊のような自分の本当の愚かさに気づき、罪を認め、父なる神の愛のもとに戻り、父なる神の本当の愛を中心とした人生へと戻ることを神様はずっと待っておられるのです。

 あなたも自分中心の罪を認め悔い改めてこの父なる神のもとに帰り本当の平安を受け取りませんか? 本物の自由と愛と喜びは、このすべてのものを主権として治めていらっしゃる父なる神のもとにあるのです。

 それではまた聴いてください。

   (PBA制作「世の光」2012.6.15放送でのお話しより)

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■信仰が薄いから / 福井 誠

2012年06月14日 | Weblog
2012/6/14放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「信仰が薄いから」です。それではマタイの福音書の17章20節から読んでみましょう。

  イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。」

 イエスのもとに癲癇(てんかん)で大変苦しんでいる息子を連れてきた人がいました。この症状を読む時にこれが文字どおり今日の医療で癲癇と呼ばれているものなのか私には分からないのですが、その子は何度も何度も火の中に落ちたり水の中に落ちたり不幸続きであったようです。そこで、この人は究極的な解決を求めてイエスのもとへやってきました。

 そして最初はイエスではなく弟子たちに何とかしてくれるように頼んだのです。ところがなかなか思うような解決が得られなかったのでしょう。この人はたまりかねてイエスのもとに直接やってきました。そしてイエスがおしかりになると悪霊は彼から出て行き、その子はその時から治ったと言います。

 弟子たちがそっと有数のもとに来て、なぜ自分達に悪霊を追い出せなかったのか、と聞きますと、イエスが言います。あなたがたの信仰が薄いからだ、と。イエスはからし種の信仰という言い方をしています。からし種というのは本当に小さな種で米粒よりもいや粟粒よりも小さな物です。一瞥して確かに種という物体は確認できるというものです。つまりイエスの言いたいことは、信仰というのはあるかないかどちらかだということではないでしょうか。たとえ微弱な信仰であっても、あればそれは力を発揮する。しかし信仰があるような口ぶりをしていても実際に信仰がなければ、そのようにはならないという訳です。

 あるかないか分からないような薄っぺらな信仰ではなくて小さくとも確かにあると言えるような信仰を持っていきたいものですね。

(PBA制作「世の光」2012.6.14放送でのお話より )

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■信仰による義 / 板倉邦雄

2012年06月13日 | Weblog
2012/6/13放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「信仰による義」という題でお話ししましょう。今日はキリスト教にとって本質的な事柄、聖書において中心的な内容をお話ししたいのです。創世記の15章に入ります。

 主なる神はアブラムに約束しましたね。「わたしはあなたを大いなる国民とする。」 創世記の12章(2節)です。ところがアブラムと妻サラの間には一向に子供が生まれませんでした。将来のことを考えますと、自分の部族を率いる跡継ぎを考えなくてはなりませんでした。

 そのような時です。主なる神様のことばがアブラムに臨みました。「恐れてはならない。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは大きい。」 (参照 創世記15章1節)
 
 アブラムは率直に自分の考えを言いました。「神様、私には子どもがなく、私の家を継ぐ者は今まで使えてくれたダマスコのエリエゼルと考えています。あなたは私に何をくださろうとするのですか? あなたはわたしに子を賜らないので、私の家に生まれたしもべが跡継ぎになるでしょう。」(参照 創世記15章2節、3節)

 その時です。主なる神様のことばがアブラムに臨みました。「あなたのしもべエリエゼルはあなたの跡継ぎになるべきではありません。あなたの身から出る者が跡継ぎとなるべきです。」(参照 創世記15章4節) そして主なる神様はアブラムを外へ連れ出して言いました。 「天を仰いで星を数えることができるなら数えて見なさい。あなたの子孫はあの夜空の星のようになるでしょう。」(参照 創世記15章5節)

 「その時アブラムは主・神様を信じた。主・神はこれを彼の義と認められた。」(参照 創世記15章6節)と創世記の作者は書き留めています。アブラムは神様を信じました。神様はその信仰を喜び、その信仰を義と認めてくださったのです。アブラムを正しい者とみなしてくださいました。善行による義ではなく、ただ神様を信じる信仰による義とアブラムを認めてくださったのです。

 これこそがキリスト教の本質です。その模型を私たちはアブラムの信仰に見ることができます。私たち外国人も主なる神様をただ信じる信仰によって義と認めていただけるのです。

 聖書のことばです。
「信仰による者こそアブラハムの子であることを知るべきである。聖書は神が異邦人を信仰によって義とされることをあらかじめ知ってアブラハムを祝福した。」(参照)ガラテヤ人への手紙 3章の7節と8節 (口語訳聖書)

( PBA制作「世の光」2012.6.13放送でのお話より )

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■神の夢 / 山中直義

2012年06月12日 | Weblog
2012/6/12放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。

 夢には現実を作り変える力がありますよね。実は聖書には神様も夢を見ておられるということが教えられています。聖書のいたるところに示されている神様の夢、それは私たち人間が神様を本当に知り、愛と一致を持って神様と共に歩む、それが神の夢であると教えられています。

 旧約聖書創世記37章にはそんな神様の夢が一つのかたちで描かれています。そこにはヤコブと12人の息子が登場します。実はこのヤコブの家族こそが神の夢であったと言えます。彼らを通して人々が神を知り、愛と一致を持って神と共に歩むようになる。それを神様は夢見ておられました。

 ただ現実は簡単なものではありませんでした。ヤコブの息子たちは神を無視した生き方を続け、互いに憎みあっていたと聖書は教えています。彼らを通して人々が神を知ることなど夢物語に過ぎない。そう言わざるを得ない状況でした。

 しかし神様はご自身の夢を諦めなかったと言います。70年もの歳月をかけてさまざまな困難を乗り越えながら神様はその夢をかなえていった。そして最終的にこのヤコブの一族が皆悔い改めて神様を愛し一致して歩むようになっていった。そうして神が知られるようになっていたと聖書は教えています。

 70年もの時をかけ様々な困難を通らされたのは、神様が彼らを諦めなかったから。妥協することなく全員を導き全員が神を知るようにされたからだと聖書は教えています。私たち人間が思い描く夢は時に妥協し、時に力尽きてはかなく消えていきます。しかし神の夢はそうではありません。

 そして実はあなたもその神の夢に招かれているのです。あなたが神を知り、愛を持って神様と共に歩む、そのことの実現のために神様は今もあなたを導いておられます。

 どうぞお近くのキリスト教会にお越しください。そこであなたもキリストを知り、神を知り、神の幸いな夢をご自身のものとして体験することができるのです。

   (PBA制作「世の光」2012.6.12放送でのお話しより )

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■くびきをおって /  関根弘興

2012年06月11日 | Weblog
2012/6/11放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。今日もイエス・キリストのことばを聖書から紹介いたしましょう。マタイの福音書11章28節から。

 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」(28節、29節)

 ま、今の時代は疲れている時代だと思いますねえ。そこには孤独感があり、虚しさが漂っている。しかし、そんな時代に生きる私たち一人一人に聖書は「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。」と招かれるイエス・キリストのことばを紹介しているんです。

 そしてイエス・キリストは「わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」とも約束されたんですね。

 イエス・キリストのもとに私達は重荷を下ろすことができる。そこからくる安息と、そしてイエス・キリストのくびきを負ってイエス・キリストから学んでいくことからくる安息・平安があるのだと聖書は教えるんです。

 「くびき」とは一体何でしょうか。これは頑丈な横木で二頭の家畜の首に固定させ車や鋤を引かせる、まあ農作業の道具ですよね。そのイメージからこの「くびき」ということばは時には「苦難」や「服従」「連帯」「神様への奉仕」という意味にも使われてきました。

 それではイエス・キリストが「わたしのくびきを負いなさい」と言われるとき、それはどのような意味なのでしょう。

 イエス・キリスト御自身が背負われたくびきは何でしょう。それは人の罪の身代わりのために十字架につくこと、すなわち命をかけた愛なんですねえ。

 またイエス・キリストは弟子たちにこう言われました。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」(ヨハネ 15章12節) こうおっしゃったんです。つまりイエス・キリストは私たちにイエス様が命をかけて示してくださった愛と同じ愛をもって互いに愛しあいなさい、そういうくびきをあなたがたが負いなさい、と教えられたんです。

 イエス様の愛が私たちに豊かに注がれていること、そしてその愛のくびきの一端を私たちが担うという生き方、これがあなたの生き方ですよ、と教えるんです。

 でも私たちはそんなイエス様のくびきを負うことができるでしょうか。自分だけの力では到底できません。だからイエス・キリストからの愛を十分に受け取り、イエス・キリストから学びつつ人生を歩んで行くのです。愛することは決して強制や無理強いではできません。イエス様の愛を知り、イエス様の愛に生きる、これがあなたの生き方なんですね。

  (PBA制作「世の光」2012.6.11放送でのお話しより)

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■本当の復興を目指して / 羽鳥頼和

2012年06月09日 | Weblog
2012/6/9放送
 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 今からおよそ2500年ほど前にエルサレムは復興を目指していました。20年以上の歳月をかけてやっと神殿が再建されましたが、エルサレムの町の城壁はまだ破壊されたままでした。そんなエルサレムの復興のために神様はネヘミヤという人を遣わされました。ネヘミヤは城壁を再建しました。そして次に人々の心の復興に取り組んだのです。

 イスラエルにとっての心の復興とは信仰の復興でした。ネヘミヤが心の復興、信仰の復興のためにしたことは礼拝を奉げることでした。人々はエルサレムに集まり神様を礼拝しました。まず神様の教えが記されている聖書が朗読され、聖書の説明がされました。人々は聞いて神様の教えを理解しました。そして人々は自分の犯している罪を教えられたのです。人々は罪を悔い改めて神様の教えを守り行うことを約束しました。このようにしてネヘミヤは神様と人との関係を回復させるという信仰の復興を成し遂げたのです。ネヘミヤは城壁を再建することによって、国に平和安全をもたらしました。そして礼拝によって人の心に平和・安心をもたらしたのです。

 神様は今も人に本当の安心である救いを与えようとしておられます。神様はそのためにイエス・キリストを遣わしてくださいました。そして神のことばである聖書を与えてくださいました。聖書を学ぶことによって、何が良いことであり何が悪いことであるかを私たちは知ることができます。そして聖書は私たちの悪いところを教えてくれます。聖書はそれを罪と言います。そしてイエス・キリストは私たちの罪を負って十字架にかかってくださいました。私たちはキリストの十字架によって罪を赦されて救われるのです。

 この救いを得るためにはイエス・キリストを信じなければなりません。そして悪から離れて神様の教えに従って良い行いをすることを神様に約束するのです。そうすれば神様が心を綺麗にし、良い行いをさせくださいます。

 人の行う最も良いことは神様を礼拝することです。あなたも神様からの本当の安心である救いを受けるために、そして神様を礼拝するためにキリスト教会にいらしてください。

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■平和をつくる者 心の架け橋  / 岩井基雄

2012年06月08日 | Weblog
2011/6/8放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。私事で恐縮ですけども私は高知県で生まれ、思春期を徳島県で過ごしました。今日6月8日は1985年に四国と淡路島をつなぐ大鳴門橋が開通した日です。四国に長くいた私は本州へのかけ橋の完成にとても感動を覚えたものです。

「願わくは我、太平洋のかけ橋とならん」と語った新渡戸稲造がクリスチャンであったことは多くの方が御存知のことと思います。1920年国際連盟事務次長に就任した新渡戸稲造は6年間の任期の間、ユネスコの前身となる知的協力委員会に力を注ぎます。しかし彼が国際連盟を去った後、日本は急速に軍国主義の道を歩むことになり、彼の晩年は憂国と愛国の間で苦悩の連続でした。確かに島と島だけではなく、国と国とをつなぐ架け橋は夢がありますねえ。人間の愚かさのゆえに国と国とが争い、愛国心の名のもとに戦争へ突入していく罪深さを稲造は憂えていたのです。

 聖書の中にこんなことばがあります。「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」聖書 マタイの福音書5章9節(新改訳聖書第二版) 

 本当に必要なものは島と島でも国と国でもなく、国境も利害も越えた人の心と心を繋ぐ平和の架け橋です。私たち人間は、自分や自分の国の利害をまず優先し、真の平和に心を向けることが難しい存在ですね。しかし神の独り子であるイエス・キリストは神と人とをつなぐための平和のかけ橋となり、私たちに真の平和をもたらしてくださいました。私たち人間のすべての罪のために十字架の上で身代わりとなって罪のさばきを全部受け、本当の平和を私たち人間に与えるすべてを整えてくださったのです。

 あなたの心にも人との争いがあるでしょうか。憎しみや妬みが心の底に隠れてはいないでしょうか。その心が本当の平和と平安で満たされるためにイエス・キリストは架け橋となってくださいました。そしてこの方の愛を通してあなたもまた平和を届ける器とされるのです。

 まずあなたの心が神と結ばれることによって、平和を届ける架け橋とされていきませんか。

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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