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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■くびきをおって /  関根弘興

2012年06月11日 | Weblog
2012/6/11放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。今日もイエス・キリストのことばを聖書から紹介いたしましょう。マタイの福音書11章28節から。

 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」(28節、29節)

 ま、今の時代は疲れている時代だと思いますねえ。そこには孤独感があり、虚しさが漂っている。しかし、そんな時代に生きる私たち一人一人に聖書は「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。」と招かれるイエス・キリストのことばを紹介しているんです。

 そしてイエス・キリストは「わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」とも約束されたんですね。

 イエス・キリストのもとに私達は重荷を下ろすことができる。そこからくる安息と、そしてイエス・キリストのくびきを負ってイエス・キリストから学んでいくことからくる安息・平安があるのだと聖書は教えるんです。

 「くびき」とは一体何でしょうか。これは頑丈な横木で二頭の家畜の首に固定させ車や鋤を引かせる、まあ農作業の道具ですよね。そのイメージからこの「くびき」ということばは時には「苦難」や「服従」「連帯」「神様への奉仕」という意味にも使われてきました。

 それではイエス・キリストが「わたしのくびきを負いなさい」と言われるとき、それはどのような意味なのでしょう。

 イエス・キリスト御自身が背負われたくびきは何でしょう。それは人の罪の身代わりのために十字架につくこと、すなわち命をかけた愛なんですねえ。

 またイエス・キリストは弟子たちにこう言われました。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」(ヨハネ 15章12節) こうおっしゃったんです。つまりイエス・キリストは私たちにイエス様が命をかけて示してくださった愛と同じ愛をもって互いに愛しあいなさい、そういうくびきをあなたがたが負いなさい、と教えられたんです。

 イエス様の愛が私たちに豊かに注がれていること、そしてその愛のくびきの一端を私たちが担うという生き方、これがあなたの生き方ですよ、と教えるんです。

 でも私たちはそんなイエス様のくびきを負うことができるでしょうか。自分だけの力では到底できません。だからイエス・キリストからの愛を十分に受け取り、イエス・キリストから学びつつ人生を歩んで行くのです。愛することは決して強制や無理強いではできません。イエス様の愛を知り、イエス様の愛に生きる、これがあなたの生き方なんですね。

  (PBA制作「世の光」2012.6.11放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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