2010/8/17放送
世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も爽やかに一日を過ごしていきたいですね。
イエス・キリストが、私たちが人生をどのように生きていくのか大切なことを二つのことをお話しになったことがありました。
第一は、心を尽くして神様を愛する(参照 マタイ 22:37、マルコ 12:30、ルカ 10:27)、という生き方をしなさいと言われたんです。 神様を愛するとは神様を礼拝するということなんですねえ。
今の時代はいろいろなものを礼拝しています。 ある人はお金や物質を礼拝します。 またある人は特定の思想や人を礼拝します。 礼拝を捧げるとは、礼拝を捧げているその存在に喜んで支配されるということを意味するんですねえ。
例えば特定の人をまるで神様のように崇めていくなら、その人にすべてを支配されていくことになります。 お金は大切です。 しかしお金を礼拝の対象とするなら、お金のためなら手段を選ばないという生き方になっていくでしょう。 ある人は、いや俺はそんな何の礼拝の対象も持っていない、神などいない、って考えている。 そういうふうにおっしゃる方もいます。 でもそれはただ神などいないのだという考えに人生が支配されているだけなんですねえ。 ですから人は誰でも何かしらのものに支配されて生きているんです。
でも何によって支配されているかによって生き方というものは随分変わってきますよね。 愛と真実の神様に支配され生かされていることを喜び生きていくならば、愛と真実があなたの人生を支配していくことにつながります。 そしてその生き方はあなたの関わりの中にある人たちを愛するという方向に実は進ませていくんです。
そこでイエス・キリストは二番めの生き方の基本として、「あなたの隣り人をあなた自身のように愛せよ」(マタイ 22:39、マルコ 12:31、ルカ 10:27)と語られました。 人としての生き方の基本は、神様を愛することと、自分を愛するように隣り人を愛することなんだとイエス・キリストはおっしゃったんです。
もちろん自分を愛するとは、決して利己的な自分さえ良ければ良いという姿ではありません。 自分を愛するとは、神様があなたをどのように見ているか、その神様の眼差しで自分を見つめるということなんです。
聖書の中には「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書 43:4)と神様は語られます。 その眼差しを自分に向け、またあなたの関わりのある一人ひとりにけていく生き方こそ、あなたが選び取っていく人生なんです。
そしてこの生き方の基本は、まず神様が自分の独り子なるイエス・キリストを私たちのために遣わしてくださり、私たちの罪のために十字架につけてくださるほど愛してくださっている、それが基本です。 その愛によって互いに愛しあう、そんな人生でありたいですね。
(PBA制作「世の光」2010.8.17放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
***
このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。
世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も爽やかに一日を過ごしていきたいですね。
イエス・キリストが、私たちが人生をどのように生きていくのか大切なことを二つのことをお話しになったことがありました。
第一は、心を尽くして神様を愛する(参照 マタイ 22:37、マルコ 12:30、ルカ 10:27)、という生き方をしなさいと言われたんです。 神様を愛するとは神様を礼拝するということなんですねえ。
今の時代はいろいろなものを礼拝しています。 ある人はお金や物質を礼拝します。 またある人は特定の思想や人を礼拝します。 礼拝を捧げるとは、礼拝を捧げているその存在に喜んで支配されるということを意味するんですねえ。
例えば特定の人をまるで神様のように崇めていくなら、その人にすべてを支配されていくことになります。 お金は大切です。 しかしお金を礼拝の対象とするなら、お金のためなら手段を選ばないという生き方になっていくでしょう。 ある人は、いや俺はそんな何の礼拝の対象も持っていない、神などいない、って考えている。 そういうふうにおっしゃる方もいます。 でもそれはただ神などいないのだという考えに人生が支配されているだけなんですねえ。 ですから人は誰でも何かしらのものに支配されて生きているんです。
でも何によって支配されているかによって生き方というものは随分変わってきますよね。 愛と真実の神様に支配され生かされていることを喜び生きていくならば、愛と真実があなたの人生を支配していくことにつながります。 そしてその生き方はあなたの関わりの中にある人たちを愛するという方向に実は進ませていくんです。
そこでイエス・キリストは二番めの生き方の基本として、「あなたの隣り人をあなた自身のように愛せよ」(マタイ 22:39、マルコ 12:31、ルカ 10:27)と語られました。 人としての生き方の基本は、神様を愛することと、自分を愛するように隣り人を愛することなんだとイエス・キリストはおっしゃったんです。
もちろん自分を愛するとは、決して利己的な自分さえ良ければ良いという姿ではありません。 自分を愛するとは、神様があなたをどのように見ているか、その神様の眼差しで自分を見つめるということなんです。
聖書の中には「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書 43:4)と神様は語られます。 その眼差しを自分に向け、またあなたの関わりのある一人ひとりにけていく生き方こそ、あなたが選び取っていく人生なんです。
そしてこの生き方の基本は、まず神様が自分の独り子なるイエス・キリストを私たちのために遣わしてくださり、私たちの罪のために十字架につけてくださるほど愛してくださっている、それが基本です。 その愛によって互いに愛しあう、そんな人生でありたいですね。
(PBA制作「世の光」2010.8.17放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。