2010/8/24放送
世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も爽やかに一日を過ごしていきたいですね。
新約聖書 第一ヨハネの手紙5章14節
「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださる・・・」
聖書の神様はいつも私たちの人生に最善のことを与えようとなさっている方です。 ですから神様の願い、み心はいつも私たちにとって最も良いものです。 だから神のみ心に適う願いは必ず聞かれるんですね。 それが最善だからです。
時々私たちは自分勝手な祈りをすることがありますよねえ。 「神様、あの人、気に入りません、どうかどこかに追い出してください」とか、「神様、明日試験なんですけど、あんまり勉強していませんでした。でも試験で百点取らせてください」とか、まあこういう祈りは幾ら祈っても答えられません。 祈りというものは私たちを怠惰にしたり横着にする道具ではないからです。
神様のみ心に適う祈りは必ず聞かれますが、神様のみ心にそぐわない祈りはノーという答えが出てくるんです。
また、その祈りの答えを受け取るまでもう少し待ちなさい、(と)私たちに忍耐を教えるということもあります。 どんなに時間がかかっても神様はあなたの祈りを聞いたけれど忘れてしまった、などということは決してないんですね。 私たは自分が祈ったことを忘れてしまうことがありますが、神様はあなたの祈りを忘れることは決してないんです。
神様のみ心に適う願いをするにはどうしたらいいんでしょう。 それはとにかくあなたが実際に祈ってみることなんです。
私はギターを良く弾きますがギターにはたくさんのコードがあります。 最初そのコードを覚えるのが大変でした。 でも弾いているうちにですねえ、そのコードがいつ変わるかということが分かってきました。 不思議ですけど継続することによって自然に身についてくるんですねえ。 祈りも同じです。 理屈じゃないんです。 理屈でギターは弾けません。 理屈では水泳はできません。 祈りも理屈ではありません。 まず祈り続けることです。 ある時には自分勝手な祈りになってしまうかもしれません。 でもそれでも構わないです。 祈り続けることの中で分かってくるんですね。
そしてイエス様はどのように祈るのかを教えてくださいました。 それは天のお父様と呼びかけ、イエス・キリストの名前を通して祈りなさい、と教えたのです。 ですから祈りの最初に、「天のお父様」と呼びかけます。 そしてあなたの感謝や願い、それらを祈りのことばとしてお話しし、最後に「イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン」と言って閉じるんです。 お祈りのあとのアーメンとは、本当です、その通りです、という意味のことばなんですね。 お祈りしたことが本当です。 心からの祈りです、という思いを込めて祈ったということなんです。 勇気をもってイエス・キリストのお名前を通して祈ってみませんか?
(PBA制作「世の光」2010.8.24放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
***
このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。
世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も爽やかに一日を過ごしていきたいですね。
新約聖書 第一ヨハネの手紙5章14節
「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださる・・・」
聖書の神様はいつも私たちの人生に最善のことを与えようとなさっている方です。 ですから神様の願い、み心はいつも私たちにとって最も良いものです。 だから神のみ心に適う願いは必ず聞かれるんですね。 それが最善だからです。
時々私たちは自分勝手な祈りをすることがありますよねえ。 「神様、あの人、気に入りません、どうかどこかに追い出してください」とか、「神様、明日試験なんですけど、あんまり勉強していませんでした。でも試験で百点取らせてください」とか、まあこういう祈りは幾ら祈っても答えられません。 祈りというものは私たちを怠惰にしたり横着にする道具ではないからです。
神様のみ心に適う祈りは必ず聞かれますが、神様のみ心にそぐわない祈りはノーという答えが出てくるんです。
また、その祈りの答えを受け取るまでもう少し待ちなさい、(と)私たちに忍耐を教えるということもあります。 どんなに時間がかかっても神様はあなたの祈りを聞いたけれど忘れてしまった、などということは決してないんですね。 私たは自分が祈ったことを忘れてしまうことがありますが、神様はあなたの祈りを忘れることは決してないんです。
神様のみ心に適う願いをするにはどうしたらいいんでしょう。 それはとにかくあなたが実際に祈ってみることなんです。
私はギターを良く弾きますがギターにはたくさんのコードがあります。 最初そのコードを覚えるのが大変でした。 でも弾いているうちにですねえ、そのコードがいつ変わるかということが分かってきました。 不思議ですけど継続することによって自然に身についてくるんですねえ。 祈りも同じです。 理屈じゃないんです。 理屈でギターは弾けません。 理屈では水泳はできません。 祈りも理屈ではありません。 まず祈り続けることです。 ある時には自分勝手な祈りになってしまうかもしれません。 でもそれでも構わないです。 祈り続けることの中で分かってくるんですね。
そしてイエス様はどのように祈るのかを教えてくださいました。 それは天のお父様と呼びかけ、イエス・キリストの名前を通して祈りなさい、と教えたのです。 ですから祈りの最初に、「天のお父様」と呼びかけます。 そしてあなたの感謝や願い、それらを祈りのことばとしてお話しし、最後に「イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン」と言って閉じるんです。 お祈りのあとのアーメンとは、本当です、その通りです、という意味のことばなんですね。 お祈りしたことが本当です。 心からの祈りです、という思いを込めて祈ったということなんです。 勇気をもってイエス・キリストのお名前を通して祈ってみませんか?
(PBA制作「世の光」2010.8.24放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。