2022/9/10放送
「世の光」の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興です。
しばらく前に、ある教会に行きましたら、ご婦人の方が「関根先生、数年前に教会にいらしてくださったときの、先生の一言が忘れられません」と言われたんです。「どんなことばを私は語りましたか?」と言うと、「集会が終わってみんなで食事をしている時、私が『関根先生はいつも爽やかでいいですね』と尋ねたら、先生がこう言ったんです。『いやー、2時間が限度ですよ』って。私はそのことばが忘れられなくて」と言われたんですねえ。その方いわく、「ああそうなんだあ。いつも爽やかでいたいけど、爽やかではいられないときも、たくさんあるのだなあということが分かって、ホッとしたんです」と、こう言われたんです。
毎日朝を迎えると、今日も一日爽やかに過ごしたい!と思います。しかし現実は、爽やかに送る一日もあれば、そうではなく辛く悲しく、落ち込みながら過ごす一日もまたあります。そして、それは両方ともあなたにとって大切な一日でもあるのです。
時々、クリスチャンになることは悩みがそして悲しみがなくなってしまうとか、問題がすべてなくなると考える人がいます。またクリスチャンはいつも輝いて明るく喜びに満たされていなければ立派なクリスチャンではないというような雰囲気さえあります。
でも聖書を読むとそうではなさそうですよね。詩篇42篇の中にはこんなことばが出てきます。
「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように 神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
私のたましいは 神を 生ける神を求めて 渇いています。・・・昼も夜も 私の涙が 私の食べ物でした。」
この作者は、辛い辛い困難な中に置かれていたようでした。爽やかどころではありませんね。
しかし、この作者は後半でこのように記しているんです。
「昼には 主が恵みを下さり 夜には 主の歌が私とともにあります。私のいのちなる神への祈りが。」 と。
まるでジェットコースターのように、昇ったり急降下したりの連続です。しかし、これが私たちの現実ですね。
「昼も夜も私の涙が私の食べ物でした」と語るときもあれば、「昼には主が恵みをくださり、夜には主の歌が私とともにあります」と言える時も来るわけです。
いつでも、元気で爽やかでいたいと願います。でも、そうでなくも大丈夫です。大切なことは神様が私たちに約束してくださっている聖書のことばをあなたが自分のものとして受け入れ、正直に神様に自分の思いを告白しながら祈りつつ生きていくことなのですね。
( PBA制作「世の光」 2022.9.10放送でのお話しより )
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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