2022/9/19放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。今週番組を担当する、愛知県にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。
世界には様々な言い伝えを持つ泉や池があります。新約聖書のヨハネの福音書5章で、イエス様が訪ねた「ベテスダ」という名前の池もその一つでした。エルサレムにあるベテスダの池には「水がかき回されるように動いたとき最初に入った人は病気が癒やされる」という言い伝えがありました。
ですから池の周囲には病気で苦しむ人たちが多く伏せっていたのですが、その中に38年間も病気にかかっている男性がいました。
イエス様はその人が池の近くで長く横になっているのを知って、こう問いかけます。
「良くなりたいか?」
「良くなりたいか」・・・彼の状況や心情を思えば非常識、残酷ともいえる問いかけでしょう。しかし、それは愛に満ちた問いかけだったようです。彼は素直に「良くなりたいです」とは言えず、こう言ったのです。「主よ。水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます。」
イエス様の愛の問いかけは彼の心の奥底の叫びを引き出しました。それは良くなりたくてもなれない自分の境遇に対しての嘆きでした。そして、その思いは、本来持っていたはずの「良くなりたい」という思いに取って代わっていたのです。どうも寝床に縛られていたのは彼の体だけではなく、むしろ心の方であったようです。
果たしてこのことは他人(ひと)事でしょうか。境遇を言い訳にして、幸せになりたいという願いを失っていること、自分が抱える問題について不満を言うだけで本気で解決しようとしないこと、なにかを諦めることで得られる安心や心地よさ。
どうでしょう。何かの寝床に縛られそれなりの心地よさの中、立ち上がろうとせず、良くなりたいという思いを失っている、そんなことってないでしょうか?
この後、この男性はイエス様の「起きて床を取り上げ、歩きなさい。」、その語りかけを受けて病が癒やされ、立ち上がり歩き始めます。
「良くなりたいか。」 今もイエス様は愛を持ってそう問いかけてくださいます。私たちが失っていた「良くなりたい」という本来の思いをよみがえらせてくださいます。そして立ち上がらせてくださるんです。このイエス様と出会い、床を取り上げ、イエス様と共に歩んでいきましょう。
( PBA制作「世の光」 2022.9.19放送でのお話しより )
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