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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■朝に、夕暮れに、捧げる / 福井 誠

2018年10月17日 | Weblog
2018/9/12放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「朝に、夕暮れに、捧げる」です。
 出エジプト記の29章39節から読んでみましょう。
 「朝、一匹の雄の子羊を献げ、 夕暮れに、もう一匹の雄の子羊を献げる。
            (新改訳2017)
 
 これまでは現代の日本の法律に照らせば刑法的に、あるいは民法的な教えが語られてきていました。今日取り上げる29章はイスラエルに独特な宗教的な定め、つまり宗教祭儀をつかさどる祭司の任命とその勤めについて書かれていますね。イスラエル民族はその昔、動物をいけにえとして捧げる宗教的な祭儀を大事にしていました。ノア、アブラハム、イサク、ヤコブといったイスラエルの歴史の始まりを形作った族長たちは神にいけにえを捧げる宗教的な祭儀を行なったのです。その後、出エジプト記のモーセの時代になると、この宗教的な祭儀を行う職務つまり祭司が公式に定められて、具体的にモーセの兄のアロンとその子らがその役割を担うようになります。彼らの役割は自らを聖別するのみならず、家畜を罪のためのいけにえとしてイスラエルの民のために捧げることでした。

 聖書が語る罪は犯罪を意味している訳ではなく、むしろ神と人を愛するということにおいて不完全であることを意味していますね。その罪がきよめられ、神との関係が守られるように、祭司はいけにえを捧げ、神と人の間を執り成し、悔い改めと神の恵みに一層近づくように促す重要な役割を担ったのです。彼らは毎朝毎夕、絶やすことなくその務めを果たしました。。

 新約聖書に出て来る使徒ペテロは、牧師のみならずすべての信徒が神の前にこの祭司の務めを担っていることを明確にしています。つまり隣人の罪の赦しのために執りなしの祈りを捧げ、悔い改めと罪の赦しの恵みと祝福に導く働きは信徒一人ひとりの務めであるということです。それは朝夕絶やすことのない隠れた重要な務めであり、そのような務めを担うのがキリスト者であるということです。考えてみればそのようにいつも他者のために心遣いをし、他者の心の祝福のために祈る者がいるということ自体が、この世界の希望ですねえ。人の祝福を願い、執り成す人生を歩ませていただきたいものです。

(PBA制作「世の光」2018.9.12放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

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