♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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■多くの人の罪を負うために / 福井 誠

2015年04月02日 | Weblog
2015/4/2放送



 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「多くの人の罪を負うために」です。それではヘブル人の手紙9章27節、28節から読んでみましょう。

 「 人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられました

 今週はイースター・スペシャルということなので、少しイエス様の十字架の祝福を覚える時にしたいと思い、新約聖書からヘブル人への手紙を選びました。この書はイエスの十字架の恵みが豊かに説き明かされている書ですねえ。しかし、この書を理解するためにはやはり旧約聖書、特に旧約時代イスラエルの民が捧げた罪のためのいけにえの知識が必要です。

 イスラエルの民は子牛や山羊、羊など多くの犠牲動物を捧げる宗教儀式を行なってきましたが、それは人間が無意識にあるいは意識的に犯した様々な罪の赦しのために行われるものでした。そしてこの手紙の著者はそれはやがて起こることの象徴であったと説明しています。つまりそのような宗教儀式を通してユダヤ人は人の罪が赦されるためには犠牲が必要だということを教えられ続けてきたのです。

 悪いことは水に流す感覚を持っている日本人とは違う文化を感じますねえ。ともあれ彼らは人間の犯す罪には償いが必要、血が流されることによる赦しが必要と教えられてきたのです。その延長線上にイエス様が十字架にかかる出来事が起こりました。

 この手紙の著者は、このイエス様こそ真に神が受け入れられることのできる最良の子羊であったのであり、全人類の罪の赦しのための完全なそしてただ一度限りの永遠のいけにえであったと語ります。そしてもはやどんないけにえも必要とされない、どんな血の犠牲も必要はないのだ、と言うのです。

 どんな人も必ず死を迎えることでしょう。聖書は、それが自然なように死後の裁きも同じである、と言います。けれども、イエス様の十字架の罪の赦しを受け入れているならば、死後のさばきを恐れる必要はありません。なぜなら、罪は赦されているからです。イエスの十字架の恵みを素直に受け入れて、死後、永遠の神の祝福に入れられる希望を持って歩みたいものですね。

(PBA制作「世の光」2015.4.2放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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