♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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「世の光」を文字で 

■主の祈り 13 / 大嶋重徳

2015年04月28日 | Weblog
2015/4/28放送

  世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。聖書にはイエス・キリストが私たちに教えてくださった「主の祈り」という祈りがあります。

 主の祈りを祈り始めていただいてすぐに気がつくことは、この祈りの主語が「我ら」と複数形で祈っているということです。主の祈りが記されている聖書はもともとギリシャ語で記されています。そしてそのギリシャ語の主の祈りでは、まず「我らの父よ。」から始まります。ですので「主の祈り」とは呼ばずに「我らの祈り」というふうに言われることもあります。

 ここで主の祈りが教えてくれることは、キリスト教の祈りとは共に祈る祈りだということです。つまり主の祈りは私たちの祈りが個人一人ひとりのお祈りをすることに終始することなく、複数形で多くの人たちとの祈りの交わりの中へと私たちを連れて行こうとしているのです。もしかすると人前でお祈りするなんて苦手だし、嫌だなと思われる方もおられるかもしれません。しかし主の祈りが私たちに語りかけるのは、お祈りもまた一人っきりだけでするのではなく、誰かにお祈りしてもらって自分もまた誰かのためにお祈りするということが大切だということです。ですので、多くの教会は水曜日や木曜日あるいは毎日の早朝の祈祷会を開いて一緒にお祈りをすると言うことを大切にしてきました。主の祈りはこのように「我ら」を意識して祈る祈りです。あの天の父を父として祈る時に、私たちは自分の祈りの思いの中に自分の家族のことが思い浮かんできます。教会の中で悩みを抱えている人のことが思い浮かんできます。貧しくてご飯を食べられない人のことも考えますし、災害によって住む場所がない人たちのこともお祈りの中に入って来るのです。キリスト教の祈りというのは個人プレーではなく、チームプレーなのです。そして私たちは自分一人のためだけに祈ることをやめて、自分の小さなお祈りもまた祈れない誰かの役に立つのかもしれないと自分の祈りが誰かのための奉仕になっていくということを経験します。そしてこのことは自分もまた誰かに祈られてきたんだなということがよくよく分かって来るようになります。自分が祈れない時も、誰かがきっと自分のために祈って来てくださって今があるんだと知るのです。今日も私たちは主の祈りを祈りつつ、あなたの大切な誰かのためにお祈りをしていだきたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2015.4.28放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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