♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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■罪過のために(受難) / 板倉邦雄

2015年04月01日 | Weblog
2015/4/1放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は 「罪過 のために」という題でお話ししましょう。始めに聖書をお読みします。

 「主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、」(口語訳聖書)
  ローマ人への手紙4章25節です。

 今週はキリスト教の暦ですと主イエス・キリストの受難週にあたります。世界中のキリスト教会ではイエス・キリストの受難と十字架の死を覚えて過ごします。そのようなことをしながら過ごす理由が先程お読みしました聖書のことばにありました。主イエス・キリストの十字架の死は私たちの罪過のためでした。十字架刑は当時、罪を犯した極悪人が処罰され罪過の償いとして受ける極刑でした。しかし罪のない主イエス・キリストが十字架の死に渡されたのです。なぜでしょうか? それは私たちの罪過の身代わりとなって死に渡されたのです。

 私たちの罪過とは三つあげることができるでしょう。法律的な罪、道徳的な罪、そして宗教的な罪の三つです。前の二つの罪については分りますね。宗教的な罪とは偶像崇拝の罪のことです。例えるなら私の父はただ一人です。しかし私が父以外の者に(親に対する)御礼や感謝をしていたらどうでしょうか。唯一まことの主なる神様以外の者に手を合わせ感謝するなら、それは偶像崇拝です。罪の本質は的を外している姿です。

 このような私たちの数々の罪過の身代わりとなるために、罪のないきよいイエス・キリストが十字架の死に渡されたのです。ですから、誰でもまたいつの時代の人でも、今日ラジオの前のあなたでありましても、この十字架のキリストは私の罪過のためだったんだと信じて仰ぎ見るならば神様の前に罪のないものとして認められるのです。ですから罪のない主イエス・キリストを死に渡したのは他でもなく数々の罪を犯している私たちです。私たちは愛する独り子イエス・キリストを十字架に渡した父なる神様の痛みと悲しみ、そして私やあなたへの愛が分るでしょうか?
 
聖書のことばです。
 「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」 ヨハネ福音書3章16節(口語訳聖書)

 (PBA制作「世の光」2015.4.1放送でのお話より )

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