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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■事のよしあし / 板倉邦雄

2013年08月07日 | Weblog
2013/8/7放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「事の善し悪し」という題でお話ししましょう。

 事の善し悪しとは、いいか悪いかの区別を簡単には決められない、という意味です。私たちはとかく良いか悪いかを決めてしまって様々な問題を引き起こしてしまうのではないでしょうか。創世記の31章の続きです。

 さて三日目になってヤコブ一家が逃げ去った事がラバンの耳に入りました。黙って故郷へ出発してしまったのです。ラバンは一族を率いて慌ててヤコブの後を追いました。七日後、ようやく追いつきます。

 ところがその夜のことです。神様が夢の中でラバンに現れました。「あなたは心してヤコブに事の善し悪しを言ってはなりません。ヤコブにものを言うときは気をつけなさい。」 勝手に祝福したり呪ったりしてはいけない、という意味のことばです。長い間世話をしてやったのに黙って逃げるように出発するとは何事だとラバンは怒り心頭に発していたことでしょう。まさに天の神様からの執り成しのことばでした。もしこのままヤコブと会ったら事の善し悪しの決着をつけることになったかもしれません。そうしたら争いに発展していたでしょう。

 次の日ラバンはヤコブに会い、言いました。「こそこそ逃げ出すとはどういうことだね。私の娘達を戦争で奪った捕虜のように連れてゆくのかね。別れの歌でも歌って送り出したかったねえ。孫たちに別れのくちづけもさせてくれないのか。これじゃああんまりひどすぎる。そうしようと思えば私はお前に害を加えることだってできるんだ。だがな、夕べお前の父親の信じている神様からお告げがあったてな。『ヤコブに余り辛く当たるな』と言われたんだ。だから大目に見てやろう。」

 人生において事の善し悪しで決着をつけば問題にもならないし、争いにも発展しないでしょう。しかし、私たちの人生の営みの中で事の善し悪しだけでは決着しないのです。両方に言い分があり、両方とも自分の正当性を主張するからです。ですから聖書は私たちに語ります。
 「あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。」 
   ローマ人への手紙12章18節



(PBA制作「世の光」2013.8.7放送でのお話より )
 
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