♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■主はともにおられた / 福井 誠

2013年08月01日 | Weblog
2013/8/1放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。

 今日のバイブル・メッセージは「主は共におられた」です。それでは第一サムエル記18章12節から読んでみましょう。

 「サウルはダビデを恐れた。主はダビデとともにおられ、サウルのところから去られたからである。

 先週はダビデがゴリヤテというペリシテ人の巨人を倒したお話をいたしました。ダビデは一躍英雄となりました。それまで野で羊を飼っていた若者は一夜にして皆の注目を浴びる有名人となった訳です。イスラエルの女性たちがダビデを称賛して歌を歌いました。「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」(サムエル記第一 18章7節) ダビデはサウルよりもすごいという訳ですねえ。

 しかし器の小さな王様サウルは激怒して言います。「ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。」(サムエル記第一 18章8節) サウルは自分の人気が失われたことを知ると猜疑心と嫉妬心の塊と化し、ダビデに対して殺意を抱くようになっていくのです。

 心理学者のユングは人間を二つのタイプに分けています。内罰的な人間と外罰的な人間です。問題にぶち当たって自分を責め立ててしまう人間と逆に他人に攻撃の矛先を向けてしまう二つのタイプがある、と。程度の差はあれ私たちもサウルと同じようなもので、一度自尊心が傷つけられると外罰的になり人を攻撃し始めるか、内罰的になって自分をますます傷付けるようになるか、いずれかの行動を取るものではないでしょうか。

 問題は自分の欠点や弱さ過ちを素直に認めていくことができない点なのでしょう。本当の自分はそうじゃないのだ、自分はもっと評価に値する人物なのだ、と自分を守ろうとする。それが災いの元です。

 ただ覚えていただきたいのです。「主はダビデと共におられた」と言いますが、主は、ダビデが勇敢だから、ダビデがペリシテ人を打ったからダビデを認め愛し共におられた訳ではありません。ダビデがそうする前から無名の羊飼いの時からずっとダビデに目をとめ共にいて勝利する機会を与えてくださったのです。

 が人気を博したときではなく、どんな時にも私たちと共にある神様、そして私たちに力を授け、無から引き上げてくださる神様を信じていきたいものですね。

(PBA制作「世の光」2013.8.1放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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