2010/4/13放送
世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も一日爽やかに歩んでいきたいですね。
新約聖書の第一ヨハネの手紙2章15節のことばをお読みします。
「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。」(1ヨハネ 2章15節)
どうでしょうか、このことばを読んでどんなイメージを持たれますか? まるで社会から孤立して生活するように勧めているんだろうか、と考えてしまうかもしれませんね。 ある人は社会から遠く離れれば離れるほど清(きよ)くされると思い込んでいる人もいます。 中には、「私は新聞を読みません。 新聞なんていう世のものに触れると心が穢れます。 テレビも見ません。 ラジオも聴きません。」などという人もいます。 しかしそれはちょっと誤解なんですねえ。
イエス・キリストは、「あなたがたは地の塩、世の光です」(マタイ 5章13節、14節、16節参照)とおっしゃいました。 ですからイエス様は、私たちが社会から離れた生活を送ることを望んでおられません。 社会の中で地の塩・世の光として生きていくのがお互いの使命なんですね。
そうであるなら、「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。」ということばをどのように理解していったらいいんでしょう。
ここで「世」と訳されていることばは実は「神様抜きの秩序」という意味なんですねえ。 神様抜きの人生、神様を自分の人生から全く除外してしまうような生き方、そうした生き方そのものを指しているんです。 そしてそういうものを人生の第一とするような生き方はしてはいけない、と聖書は語るんですねえ。 どうしてでしょう。
なぜなら聖書は「世と世の欲は滅び去る」(1ヨハネ 2章17節参照)からだと書いてあるんです。
「滅びる」とは「過ぎ去ってしまう」「消え去ってしまう」という意味です。 神様抜きの秩序は全て過ぎ去ってしまうものだ、消え去ってしまうのだ、と教えているんですねえ。
あなたはシャボン玉で遊んだことがありますか? 太陽の光に当たるとキラキラしてほんとに綺麗ですよね。 でもシャボン玉はとてももろいものです。 少しでも何かに触れ、何かに当たってしまえばもろくも消えてしまいます。 いつまでも消えないように、と願っても残念ながら必ず消えてしまうんですよねえ。 過ぎ去ってしまうものです。 聖書は、神様抜きの人生も同じなんですよ、と言うんです。
しかしイエス様はこうおっしゃいました。 「わたしのことばは決して滅びることがありません。」(マタイ 24章35節、マルコ 13章31節、ルカ 21章33節) このように語ったんです。 あなたが望みを置き、信頼すべきものは、移り行く世でもないし、世にあるものでもありません。 決して変わることのないイエス様御自身とイエス様の約束のことばに人生を委ねて生きていきなさい、と聖書は勧めているんです。
なぜなら、それは決して滅びることのないものだからなんですねえ。
(PBA制作「世の光」2010.4.13放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblical.jp
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。
世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も一日爽やかに歩んでいきたいですね。
新約聖書の第一ヨハネの手紙2章15節のことばをお読みします。
「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。」(1ヨハネ 2章15節)
どうでしょうか、このことばを読んでどんなイメージを持たれますか? まるで社会から孤立して生活するように勧めているんだろうか、と考えてしまうかもしれませんね。 ある人は社会から遠く離れれば離れるほど清(きよ)くされると思い込んでいる人もいます。 中には、「私は新聞を読みません。 新聞なんていう世のものに触れると心が穢れます。 テレビも見ません。 ラジオも聴きません。」などという人もいます。 しかしそれはちょっと誤解なんですねえ。
イエス・キリストは、「あなたがたは地の塩、世の光です」(マタイ 5章13節、14節、16節参照)とおっしゃいました。 ですからイエス様は、私たちが社会から離れた生活を送ることを望んでおられません。 社会の中で地の塩・世の光として生きていくのがお互いの使命なんですね。
そうであるなら、「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。」ということばをどのように理解していったらいいんでしょう。
ここで「世」と訳されていることばは実は「神様抜きの秩序」という意味なんですねえ。 神様抜きの人生、神様を自分の人生から全く除外してしまうような生き方、そうした生き方そのものを指しているんです。 そしてそういうものを人生の第一とするような生き方はしてはいけない、と聖書は語るんですねえ。 どうしてでしょう。
なぜなら聖書は「世と世の欲は滅び去る」(1ヨハネ 2章17節参照)からだと書いてあるんです。
「滅びる」とは「過ぎ去ってしまう」「消え去ってしまう」という意味です。 神様抜きの秩序は全て過ぎ去ってしまうものだ、消え去ってしまうのだ、と教えているんですねえ。
あなたはシャボン玉で遊んだことがありますか? 太陽の光に当たるとキラキラしてほんとに綺麗ですよね。 でもシャボン玉はとてももろいものです。 少しでも何かに触れ、何かに当たってしまえばもろくも消えてしまいます。 いつまでも消えないように、と願っても残念ながら必ず消えてしまうんですよねえ。 過ぎ去ってしまうものです。 聖書は、神様抜きの人生も同じなんですよ、と言うんです。
しかしイエス様はこうおっしゃいました。 「わたしのことばは決して滅びることがありません。」(マタイ 24章35節、マルコ 13章31節、ルカ 21章33節) このように語ったんです。 あなたが望みを置き、信頼すべきものは、移り行く世でもないし、世にあるものでもありません。 決して変わることのないイエス様御自身とイエス様の約束のことばに人生を委ねて生きていきなさい、と聖書は勧めているんです。
なぜなら、それは決して滅びることのないものだからなんですねえ。
(PBA制作「世の光」2010.4.13放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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