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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■十字架と復活をめぐる人々 <トマス>

2010年04月07日 | Weblog
2010/4/7放送

世の光の時間です。 いかがお過ごしですか。 板倉邦雄です。 

 今日は「トマス」という題でお話しましょう。 イエス・キリストの弟子は12人いました。 その中の一人にトマスという名の弟子がいました。 あだ名は双子「デドモ」と呼ばれていました。

 イエス様が復活された姿で弟子たちの所へ来られた時、トマスはみんなと一緒にいませんでした。 他の弟子たちが揃って「私たちは復活されたイエス様にお目にかかった。本当だよ。」と、口を酸っぱくして話しました。

 しかしトマスは本気にしません。 頑としてこう言い張るばかりです。「私はイエスの手に釘跡を見、私の指をその釘跡に差し入れ、私の手をイエスのわき腹に差し入れてみなきゃあ決して信じない。」( ヨハネの福音書 20章25節参照 ) 「私はこの目でみなくては信じない。私はこの手で触れてみなくては、経験しなければ信じるもんか。」・・・現代の私たちと全く同じ主張ですよねえ。 それが三年間もイエス様と一緒に過ごした弟子の心から出た本心です。 イエス・キリストが死んで三日目に復活するという出来事は、それほど信じ難いもの、疑惑の事実だったのです。 

 ところが八日経ちました。 その日弟子たちは集まっていました。 今度は聞いただけでは信じられないトマスも一緒です。 戸には鍵がかかっています。

 ところが突然、前の時と同じようにイエス様が一同の中に立ち、「平安があるように」と挨拶なさったではありませんか。 それから疑り深いトマスにイエスはおっしゃいました。「さあ、あなたの指をこの手にあててみなさい。 あなたの手をこの脇腹にさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」( ヨハネによる福音書 20章 27節参照 )

 「ああ、わが主、わが神よ。」(28節参照) 感きわまってトマスは叫びました。 

 (イエスは)「あなたはわたしを見たので信じたのか。 だが見ないで信じる者は幸せだ。」(29節参照)(と)

 見なくても信じる者とは聞いて信じるという人のことでしょう。 人の話を聞くとは二つの耳を傾けることです。 実は信仰とは聞くことに始まるのではないでしょうか。 「信仰は聞くことから始まり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。」(ローマ人への手紙10章17節参照)と聖書は言っています。

 聖書のことばです。 
 「あなたがたは、イエス・キリストを・・・見てはいないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。 それは、信仰の結果なるたましいの救を得ているからである。
 第一ペテロの手紙 1章の8節と9節

  ( PBA制作「世の光」2010.4.7放送でのお話より )

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