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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■脱・こども

2009年01月12日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 今日、1月12日、成人の日ですね。 今日から成人になられるという方々がいらっしゃると思いますねえ。 えー、私たちはとっくにもう成人というその時は終わってしまった訳ですけれども、しかし本当に成人とは何なんだろう、大人って何なんだろう、というふうに思わされたりしますんですが、聖書の中にコリント第一の手紙の13章という所にこういうことばがありまして、「私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。」(13章11節)ということばがあるんですね。 で、子どものことをやめて大人になるという・・・。 大人になるということはどういうことなんだろうか、という。 成人するということは、これで公に酒も飲めるというとか、たばこも吸えるとか、そんなようなことではないはずで、少なくとも私は三つのことがあるだろうなあというふうに思わされるんですね。

 一つは、自立ということだと思いますねえ。 で、経済的に自立ということも一つはあっていいだろうというふうに思いますし、精神的にもですね、今迄誰かに依存しながら生きてきたというふうなそういう所から、自分の生活は自分できちんと守る、立てていく、というふうなことについての自立。また自分の考え方を、自分の人生観をきちんと持って生きるという意味での自立が求められる。それが大人だということの一つだろうなというふうに思います。

 で、二つめのことは、責任ということですよね。 よく責任能力があるかどうかというふうなことが言われたりしますし、自己責任というふうなことも言われたりなんかもしますけれども、今までは何となく甘えが周りからもあったと思いますし、自分自身の中にもまだ未成年だからというふうな甘えがあったりするということがあるかもしれませんけれども、はっきり自分自身の行動については責任を持つ、責任が取れる生き方をするということが大事なことだろうなというふうに思いますね。

 そして三つめのことは、貢献ですね。 今迄はやっぱり誰かにしてもらって当たり前というふうな、そういう所があったかと思いますけれども、大人になるということは、これからは自分はいったいこの社会に対してまた周りの方々に対して何ができるのかという、どういう貢献ができるのかという、そういう生き方をしていくことが大人としての生き方ではないのかなあというふうに思わされたりしますね。

 どこかでけじめをつけてはっきり大人としての生き方をしていく。 私たちも一層大人として成熟して生きていくことが必要だろうなと思っています。

 ( PBA制作「世の光」2009.1.12放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ


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