世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日も爽やかに一日を生きていきたいですね。
牧師をしていますと時々、「関根さん、あの、教会って何やってる所ですか?」と質問されることがあります。「そうですねえ。毎週礼拝を行っていますよ。」と答えますと、「へえー、礼拝ですかあ。その礼拝に出ると何かいいことありますかねえ。」こんな返事が返ってすることがあります。また時々、クリスチャンの方々も礼拝に出られて、「いやー今日の礼拝は恵みをたくさん受けたなあ。先週の礼拝よりもとても良い礼拝だった。今日は満たされた。」ま、こんなことばもよく耳にします。決して悪いことではありませんが、よく考えると礼拝って私たち一人一人の満足のためにあるんでしょうかねえ?
どうも私たちの感覚はいつも御利益宗教の意識が強くて、自分の利益、自分の満足のことだけを考えてしまっているかもしれません。何かを受けることしか考えず、心から捧げるという姿を置き忘れているかもしれませんね。
教会では「礼拝を捧げる」という表現を使います。新約聖書の黙示録にはこう記されています。「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」(黙示録 4章11節) 私たちの神様は誉れと賛美を受けるにふさわしい方だと言うんです。そして私たちはこの方を心から感謝し賛美するために存在していると言うんですね。
イエス・キリストが誕生された時、遠い東の国から博士たちがやってきました。彼らが星の運行を調べていると不思議な星が現われて、彼らはその星を頼りに長い旅に出かけたんですね。幾多の困難を乗り越えてようやくベツレヘムに辿り着きました。彼らはそこで何をしたのでしょう。自分たちが持ってきた黄金・乳香・没薬を捧げ、幼子イエス・キリストを礼拝したんです。もちろん幼子イエスは彼らに何も語りませんし、奇跡も行いませんでした。しかし彼らは躊躇せずにこの方の前にひざまずき礼拝を捧げたんです。
礼拝の中で私たちは神様からの恵みをたくさん受けることができます。しかしそれだけを考えていると失望してしまうかもしれませんね。私たちは創造者である神様に生かされている感謝を捧げます。イエス・キリストが私たちに約束してくださった素晴らしい救いを信じ、喜びの賛美を捧げます。そして語られた聖書のことばから神様が私たちに何を求めているのかを思い起こすんです。神様への礼拝をあなたも心から捧げてみませんか?
( PBA制作「世の光」2006.01.10放送でのお話しより )
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