世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。
あのう、『次郎物語』という長い小説を書いた人、下村湖人といいますね。で、この方は、その次郎物語を大体18年間かかって戦前戦後にまたがって書いたんですね。で、この方の書いたものの中の『青年の思索のために』という中でですね、「理想を高く。しかし実践・目標は小刻みに。」ということばを言っているんですね。で、その中で自分の経験のことを紹介してまして、「20代の頃にマラソンに出場した。で、4000mのコースを走って残りあと2000mくらいの所にさしかかった時に、もう全身に疲労感を覚えて胸から下の感覚が無くなってきた。そこで走るのをやめて歩こうとしたが、一本の大きな立ち木が目に留まった。それは300mほど先の道端に立っていた。」そこで湖人は、「あの立ち木ぐらいまでは大丈夫だ、何とか頑張ってみて駄目なら歩こうと決めた。そしてその立ち木まで走ってみると、何とか走れた。すると欲が出てきて、更に次の目標を見つける気になってきた。第二の目標は電柱であった。これを目標に走ったら次の電柱まで走る気になっていった。こうして次々に成功して、とうとう決勝点まで走り通して良い成績が得られた。」ってまあ書いてあるんですね。湖人の「理想は高く。しかし実践・目標は小刻みに。」ということ、えー、これもひとつの私がこの一年間さまざまなことに挑戦していく上で大事なことかなというふうにも思わされるんですね。
で、パウロという人も、目標を目ざしてひたすら走ること(※1)というふうに言っているんですけれども、彼の目標はそれこそ永遠のゴールを目指してということがあるんですけれども、しかし毎日の生活の中で私たちが到達した所に基づいて進むべきです(※2)という言い方もしていてですね、で、毎日毎日一つの小刻みな目標を立てながら、そこに到達したならばそこで反省をし、また次の目標をそこに立て直す時もあるでしょうし、そのようにして一歩一歩進んでいきながら自分の目指す目標の達成に向かっていくというようなこと。そういう言い方もしている訳でして、私たちはただその理想だけ掲げていると、ああ駄目だなって挫折感に襲われることがあるかもしれませんけれど、一歩一歩小刻みに、しかし確実に達成に向けていきたいなと、そう思いますね。
※1「私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」 ピリピ人への手紙3章13、14節
※2「それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。」ピリピ人への手紙3章16節
( PBA制作「世の光」2006.01.23放送でのお話しより )
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