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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■心を新たに

2006年01月09日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 新しい年を迎えてせっかく新しい気分になっている所へ水をさすようで少々気が引けるんですけれども、聖書の中には「日の下には新しいものはない。」(伝道者の書1章9節)という句があるんですねえ。この句の前後を少し引用してみますと、「先にあったことはまた後にもある。先になされたことはまた後にもなされる。日の下には新しいものはない。見よこれは新しいものだと言われるものはあるが、それは我々の前にあった世々にすでにあったものである。」って書いてあってですね、ここのもう少し前の所を見ると、風も巡り巡って同じ所に吹くし、川も流れて海に入るけれども海があふれることがないように結局蒸発して雨になりまた川に流れて海に帰るといった具合に堂々回りだって言う訳ですね。歴史は繰り返すとも言われ、ニューファッションとかいうものでも昔のものが見直されというふうな繰り返し以上ではなさそうで、そして私たちの生活はといえば、今年こそは今年こそはっていうことの繰り返しで終わってしまうことが多いかなっていうふうに思うんですね。

 では私たちが新しく変るっていうことについては絶望的なのかと。決してそんなことはないですね。聖書は私たちが「心を新たにすることによって造りかえられるように」(ローマ人への手紙12章2節)というふうに勧めている訳なんですね。心を新たにと言っても、自分で新しくするっていうことではなくて、それはできる訳ない訳なんですけれども、ですからその自分自身の弱さと限界、そういう自力による自己刷新は不可能だということを認めてですね、むしろただ一人なしうる創造主なる神以外に信頼する者はないということと、そういう心に変えてもらう、新たにするということが大切なことだというふうに思うんですね。

 ここに「造り変える」と訳されているギリシャ語はですね、メタモルフォーというんですけれども、「変貌する」または「変容する」という意味があってですね、ギリシャでは生物学の用語として用いられたと言われているんですね。例えば毛虫から蝶が生まれる様子などの場合ですね。毛虫のような存在が神の恵みと力とによって綺麗な蝶のように変容するという事ですね。で、この「造り変えられて」というのは文法的に言えば受け身の命令形ですから、「造り変えられてもらいなさい」っていうことになりますよねえ。誰に造り変えてもらうのでしょうか。創造主なる神以外に考えられませんね。この神が私たちを造り変えてくださることのために御子イエス・キリストを遣わし、十字架において贖(あがな)いを完成して、そして復活してくださった。「誰でもキリストにあるならばその人は新しく造られた者」このキリストにあって初めて私たちは新しく造り変えられるっていうことが始まるのだっていうことなんですねえ。
 ( PBA制作「世の光」2006.01.09放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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