百聞百見

ふじもと百男の政治活動日記

白梅の塔

2012年08月09日 09時15分00秒 | インポート

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 先月中旬に自民党県議団政調理事会の視察で沖縄県を訪れた折、白梅の塔に参拝した。白梅の塔は沖縄県立第二高等女学校の女子学徒看護隊である白梅部隊(第24師団野戦病院従軍看護婦)の女子生徒らが凄絶な最後を遂げた国吉の壕(沖縄県南部の糸満市)に建立されている。

 ひめゆりの塔のように多くの人が訪れるわけでなく、駐車場も整備されていないが、特別な思いでその場に降り立った。  白梅部隊のことは、まだ学生時代に読んだ一冊の本で知った。金城和彦著『嗚呼沖繩戰の學徒隊』(昭和53年6月20日発行、原書房刊)500頁の分厚い本だ。昭和53年9月13日読了している。その後、中学の社会科教師になり、歴史の授業で沖縄戦での学徒隊の資料として活用してきた。

 白梅の塔に祈りを捧げたあと、そばの壕の中に入った。このような狭い入口の壕の中で乙女等は手当や水汲みなどをしながら激しい米軍戦車の砲撃、火炎放射器の攻撃を受け、最後を遂げたのだと思うと手を合わせてただただ冥福を祈るしかなかった。

 翌朝、那覇市内をウォーキングしていて、ふと気づくと松山町にさしかかっていた。中国寺が目にとまったので歩いていくと門は固く閉ざされていた。雨が降ってきたので雨宿りをする場所はないかと、道路の向かいの公園の方を見ると、像のようなものが見えた。近づいてみると、何と白梅の乙女たちの像だった。さてここは?松山公園とある。そして、沖縄県立第二高等女学校跡と書いてあった。ぞくっとするような感覚に包まれ、像から公園の中に入っていった。昨日、白梅の塔を訪れ、その翌朝、導かれるようにこの乙女等の学校跡に連れてこられた。しばらく公園の中を歩いていると雨も上がった。

 真夏の青い空と白い雲、そして濃い緑を見ると、今でも沖縄でのこの体験を思い出す。

 


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