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木下黄太ウクライナ報告会

2014-05-20 23:57:07 | 原発問題/一般
2014.5.18 木下黄太ウクライナ報告会

2014年5月18日、札幌市で開催された木下黄太ウクライナ報告会に参加してきた。木下黄太氏は、3.11まで日本のメディアに勤務していたが、現在はフリーのジャーナリストとして原発・放射能問題の発信を続けている。

ウクライナは現在、親ロシア派と親欧米派の対立により内戦の危機に直面している。木下さんがウクライナ入りしたのは、まだ内紛が顕在化する前の昨年11月であり、落ち着いて取材できる最後の時期だったのは幸運だった。

したがって、情報は基本的に半年前のものだが、そんなに現状と大きく異なっているわけではない。放射能問題、特に健康への被害は半減期が長い核種を中心に展開するから、半年くらい発表が遅れたところで状況が大きく動くことはない。むしろ、日本でもこの問題は20~30年の長い闘いになることを見越して、今から戦略的に動くことの方がずっと大切である。

報告会では、まず木下さんが現地で撮影した映像を1時間程度、再生しながら説明した。映像に登場するホリシナさんという女性は、「(健康障害は)多岐にわたっており、放射能を除いて考えられない」という。ドイツ放射線防護庁は、ホールボディーカウンター(WBC)の測定の曖昧さ、不十分さから、WBCにおける内部被曝の数値は最大で10倍を推定する必要があるとの立場だという。例えば、WBCで25Bq/kgの内部被曝が明らかになった場合、最悪の場合、250Bq/kgの可能性があり、女性は「最低でも半年は妊娠を避けるよう」助言される。

木下さんが取材した市民活動リーダーで「緑の力」代表の男性は「政府は健康被害が拡大すれば必ず(私たちに)なびいてくる」と指摘した。ウクライナと日本では国情が違うため、日本でも健康被害が拡大したときに同じことが起きるかどうかは予測できない(それ以前に、様々な身体症状が健康被害として認められるかどうかから怪しい)が、心にとどめておくべきひとつの意見だとは思う。

木下さんたち一行は、当初の予定になかったキエフ市内のある家族を「突撃取材」する。映像の撮影、録画・録音が禁止されたためお見せできないのが残念だが、キエフ市内で取材した夫婦は30歳代なのにとてもそのようには見えなかった。どう見ても50歳前後で、「実年齢より10歳程度老化して見える。老化が被曝の特徴的症状だ」と、木下さんは説明した。

チェルノブイリ原発事故から3週間後、キエフから子どもは避難した。福島と違い、「リクビダートル」(収束作業員)を大量動員し、爆発した4号炉にセメントを大量投入、1週間で「石棺」を造って放射能漏出を止めたチェルノブイリではその後の追加被ばくはないにもかかわらず。しかし、それでも健康被害が出ている厳しい現実がある。

取材した夫婦の高校生の娘さんは、心臓病の持病があった。木下さんが通訳兼案内人を通じ、この娘さんに「体育の授業を受けられるのは何人くらい?」と尋ねる。結果は衝撃的で、「2人に1人は受けられない」とのことだった。

この夫婦はキエフ市内でも決して裕福な層ではなく、この娘さんが通っているのは市内の普通の学校である(日本で言えば一般的な公立高校のイメージ)。一方で、生活に余裕のある富裕層の子どもたちが通う学校では、被曝の影響をできるだけ少なくするための体操など特別なカリキュラムが組まれているところもあり、この学校の児童生徒たちには比較的放射能による健康影響が少ない、との解説も行われた。

私がここまで映像を見てショックだったのは、健康被害の実像もさることながら、「放射能は人々を平等には襲わない」という事実だった。地獄ならぬ「放射能の沙汰も金次第」ということなのだろうか。日本でも、地震などの災害が起きるたびに貧困層ほど強い影響を受けた。予想していた結論ではあったが、改めて残酷な現実を突きつけられた。政府に雇われてカネをもらい、遠く離れた安全な場所から「ニコニコしている人には放射線は来ません」とのたまう金持ちどもは、貧困ゆえ福島から避難できない弱者を尻目にきっと長生きするのだろう。

映像が終わり、木下さんが講演する。「典型的な差別排外主義者の安倍首相が、なぜ移民の受け入れにだけは熱心なのか。政府は、30年後に起きることをすでに知っているのだ」。3.11前から少子化が急速に進んでいたところに原発事故の影響が重なり、30年後には日本から労働力人口はほとんどいなくなる。そうした事態をすでに日本政府は理解し、覚悟して行動している――木下さんが言外に含めたニュアンスを私はすぐに理解できた。この他、チェルノブイリで起きていることとして、甲状腺疾患(甲状腺がんではない)、橋本病の増加。甲状腺がんは思ったほど増えていないと説明があった。

私は、チェルノブイリでの健康被害が、IAEA調査団に参加した重松逸造、長瀧重信、そして山下俊一らの御用学者グループによって矮小化された事実をすでに明らかにしている。彼らはチェルノブイリで甲状腺がんが予想ほど増えなかったことを知っているからこそ、福島での県民健康管理調査を周到な準備で「甲状腺がん」だけに流し込んでいるのだ。

だが、事態は彼らの思惑を超えて動いている――チェルノブイリでの健康被害について、彼ら御用学者たちは、事故後10年以上経った90年代中期に「甲状腺がんは50人程度」などと吹聴している(「原子力文化」など推進派の雑誌に詳しい)。だが、それと同じ数の甲状腺がん患者が、福島で、事故からわずか3年で生まれるとは、彼らも予測していなかったのかもしれない。甲状腺がんについてこの状況なのだから、心臓疾患など他の健康被害についても「推して知るべし」だろう。これは現実から導き出される冷徹な見通しである。鼻血ごときで風評風評とうるさいお花畑の福島県は決して認めないであろうが、起こりうるシナリオである。

木下さんによれば、首都圏では圧倒的に汚染が酷い「東葛エリア」(柏市、三郷市、松戸市、江戸川区、江東区などの地域)からは、西日本に避難しても好中球などの数値が好転しない人が最近は多いという。放射線被曝は累積だから、事故後の3年間被曝するままに過ごしてきた人の身体は、回復不能なダメージを受けつつあるのかもしれない。ただ、それでもなお西日本の避難者受け入れを行っている団体から木下さんが聞き取った限りでは、西日本への避難の相談は「全く減っていない」という。

3.11直後は毎日のように首都圏からの避難を呼びかけていた木下さんも、最近はご自身のブログ等で以前ほど避難の呼びかけをしていない。その理由を問う会場からの質問に対し、木下さんはこう答えた。「最近よく聞くのが、避難者が避難先で孤立しているという話。極端な例になると、避難者がそこにいるということを周囲の誰も知らず、本人も隣近所の誰とも会話していないということもあった。避難後に避難先で生活が成り立っていけないなら意味がなく、人的つながりが重要。しょせん、人はひとりでは生きられない」。

原発事故から早くも3年が過ぎた。3年というのは、何か物事に区切りを付けるにはふさわしい時期だと思う。「国や東電は、先の見通しを示さず、いつまで自分たちを宙ぶらりんにしておくのか」という避難者もいるが、2時間にわたる講演会を通じて見えてきたのは、四半世紀が経過しても何も解決しないウクライナの姿だった。現在のウクライナが福島の20年後を暗示しているのだとすれば、たかだか3年程度で「何かが解決」する幻想を抱いたまま、移住でも帰還でもない「避難」の形をとり続けている人は、いずれ決断を迫られるだろう。責任をとる意思も能力もない彼らにこれ以上何かを期待することは貴重な人生の無駄遣い以外の何ものでもない。そろそろ避難者も「避難先で仕事を見つけて定住」「覚悟して帰還」など、生き方を決めるべき時期に来ているのではないだろうか。厳しいようだが、自分の人生は自分のもの、それを決めることは自分にしかできないのだ。

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