<訃報>松崎明さん74歳=JR東労組元委員長(毎日新聞)
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旧国鉄の動労(国鉄動力車労働組合)内で順法闘争を指導し、国鉄分割民営化以降はJR東労組委員長として労使協調路線を推進した松崎明(まつざき・あきら)さんが9日、特発性間質性肺炎のため死去した。74歳だった。葬儀は近親者で行い、後日「しのぶ会」を開く。
埼玉県生まれ。55年に国鉄に臨時雇用員として採用され、動労初代青年部長として頭角を現し委員長などを歴任した。「鬼の動労」の実力者として労使対立を深めたが、87年の分割民営化前、国鉄の最大労組・国労(国鉄労働組合)が反対する中、民営化賛成に方針転換。他労組と協力して国鉄改革を進めた。民営化後は東労組の初代委員長を務め95年から同会長、01年から顧問を務めた。今秋から体調を崩していたという。
過激派「革マル派」との関係を指摘され、10年11月の衆院予算委員会で、岡崎トミ子国家公安委員長は「革マル派創設時の幹部の一人と思っている」と答弁した。本人は著作などで、関係は絶っていると説明している。
警視庁が07年、JR総連の資金着服の疑いがあるとして業務上横領容疑で書類送検したが、容疑不十分で不起訴処分となった。
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JR東労組の元委員長、松崎氏が死去した。元々JR東労組の機関紙等で動静が報道されることは少なかった人物だが、つい最近まで精力的に活動しており、死去は唐突な印象を受ける。秘密主義的な組織でもあり、今秋から体調を崩していたことは限られた関係者しか知らなかったようだ。
松崎氏の経歴は上の記事にあるとおりだが、JR総連・東労組の母体となった国鉄動力車労働組合(動労)は、元々は機関車労働組合(機労)と呼ばれ、国鉄の中でも機関士・運転士だけで構成される特殊な労働組合だった。機労時代は、賃上げなど経済闘争が中心の穏健で労使協調的な労働組合だったが、松崎氏が加入して動労に名前を変える頃から急速に左傾化し、「鬼の動労」と呼ばれるようになった。ところが、国鉄分割民営化当時、改革反対の方針を突如転換し、賛成に転じたことから、松崎氏のコペルニクス的転換、略して「松崎のコペ転」などと言われた。
JR総連と東労組については、国労組合員らのJR復帰に最後まで反対してきた経緯があり、また革マル派との関係を問いただす質問主意書が国会で何度も提出されるなど、その関係はいわば公然の秘密だった。革マル派の機関誌「解放」にかつて発行責任者として記載されていた副議長「倉川篤」が松崎氏だったという説もある(この説は公式には確認されていないが、仮に「倉川篤」が松崎氏であった場合、松崎氏は同派で議長に次ぐナンバー2だったことになる)。
このJR総連・東労組を巡る問題は、国労組合員らの解雇問題と並ぶ戦後国鉄2大労働問題と言われ続け、また多くの関係者にとっていわば「アンタッチャブル」であり続けてきた。この2つの問題は現在もくすぶり続けており、当ブログはどちらが最後まで残るのだろうと思いながら、動向を注視してきた。
さて、気になる今後であるが、旧動労時代から、この組織は良くも悪くも「松崎商店」であり、松崎氏のワンマン組織として存在し続けてきた。それ故に、松崎氏亡き後、組織は溶解に向かう可能性が高い。急激な変化になるか緩やかな変化によるソフトランディングかは今後の諸勢力の力関係及び動向に左右されるであろうが、いずれにしても今、最も大切な時期にある国労組合員らの雇用問題に重大な影響を与えるであろう。
この松崎氏の死去が、JR総連・東労組支配の終わりの始まりになる可能性は十二分にある。今後もこの問題から、しばらくは目が離せない。
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旧国鉄の動労(国鉄動力車労働組合)内で順法闘争を指導し、国鉄分割民営化以降はJR東労組委員長として労使協調路線を推進した松崎明(まつざき・あきら)さんが9日、特発性間質性肺炎のため死去した。74歳だった。葬儀は近親者で行い、後日「しのぶ会」を開く。
埼玉県生まれ。55年に国鉄に臨時雇用員として採用され、動労初代青年部長として頭角を現し委員長などを歴任した。「鬼の動労」の実力者として労使対立を深めたが、87年の分割民営化前、国鉄の最大労組・国労(国鉄労働組合)が反対する中、民営化賛成に方針転換。他労組と協力して国鉄改革を進めた。民営化後は東労組の初代委員長を務め95年から同会長、01年から顧問を務めた。今秋から体調を崩していたという。
過激派「革マル派」との関係を指摘され、10年11月の衆院予算委員会で、岡崎トミ子国家公安委員長は「革マル派創設時の幹部の一人と思っている」と答弁した。本人は著作などで、関係は絶っていると説明している。
警視庁が07年、JR総連の資金着服の疑いがあるとして業務上横領容疑で書類送検したが、容疑不十分で不起訴処分となった。
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JR東労組の元委員長、松崎氏が死去した。元々JR東労組の機関紙等で動静が報道されることは少なかった人物だが、つい最近まで精力的に活動しており、死去は唐突な印象を受ける。秘密主義的な組織でもあり、今秋から体調を崩していたことは限られた関係者しか知らなかったようだ。
松崎氏の経歴は上の記事にあるとおりだが、JR総連・東労組の母体となった国鉄動力車労働組合(動労)は、元々は機関車労働組合(機労)と呼ばれ、国鉄の中でも機関士・運転士だけで構成される特殊な労働組合だった。機労時代は、賃上げなど経済闘争が中心の穏健で労使協調的な労働組合だったが、松崎氏が加入して動労に名前を変える頃から急速に左傾化し、「鬼の動労」と呼ばれるようになった。ところが、国鉄分割民営化当時、改革反対の方針を突如転換し、賛成に転じたことから、松崎氏のコペルニクス的転換、略して「松崎のコペ転」などと言われた。
JR総連と東労組については、国労組合員らのJR復帰に最後まで反対してきた経緯があり、また革マル派との関係を問いただす質問主意書が国会で何度も提出されるなど、その関係はいわば公然の秘密だった。革マル派の機関誌「解放」にかつて発行責任者として記載されていた副議長「倉川篤」が松崎氏だったという説もある(この説は公式には確認されていないが、仮に「倉川篤」が松崎氏であった場合、松崎氏は同派で議長に次ぐナンバー2だったことになる)。
このJR総連・東労組を巡る問題は、国労組合員らの解雇問題と並ぶ戦後国鉄2大労働問題と言われ続け、また多くの関係者にとっていわば「アンタッチャブル」であり続けてきた。この2つの問題は現在もくすぶり続けており、当ブログはどちらが最後まで残るのだろうと思いながら、動向を注視してきた。
さて、気になる今後であるが、旧動労時代から、この組織は良くも悪くも「松崎商店」であり、松崎氏のワンマン組織として存在し続けてきた。それ故に、松崎氏亡き後、組織は溶解に向かう可能性が高い。急激な変化になるか緩やかな変化によるソフトランディングかは今後の諸勢力の力関係及び動向に左右されるであろうが、いずれにしても今、最も大切な時期にある国労組合員らの雇用問題に重大な影響を与えるであろう。
この松崎氏の死去が、JR総連・東労組支配の終わりの始まりになる可能性は十二分にある。今後もこの問題から、しばらくは目が離せない。