(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2019年4月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)
東大阪市のコンビニエンス・ストア、セブン・イレブンの店主が、人手不足を理由に2月1日から24時間営業の休止に踏み切ったところ、セブンイレブン・ジャパン本部から契約解除に加え1700万円の“違約金”を請求された、として各メディアが一斉に報道。最近の“働き方改革”の風潮にも乗る形で一気に社会問題化した。
日本全体の人手不足化が進む中で、低賃金・長時間労働の象徴的存在であるコンビニには学生バイトはおろか、一時期主流を占めた外国人労働者ですら集まらなくなり、オーナーが身体を壊す極限まで働き続けなければならないという実態の一端が明るみに出たといえるが、一方、半世紀近くの間、24時間営業が当たり前と思われてきたコンビニ業界がその慣行を見直す千載一遇のチャンスが到来したといえよう。背景には約半世紀にわたって日本社会が見て見ぬふりを続けてきた構造的問題もちらつく。今回は、便利さと引き替えに日本社会のあらゆる矛盾も一手に引き受けることになったコンビニ問題の一端に迫ってみたいと思う。
●日本初のコンビニは営業時間も「セブン・イレブン」
今から半世紀近く前の1970年代、日本初のコンビニエンス・ストアは朝7時に開店、夜11時に閉店する形態で営業を始めた。若い方はご存じないかもしれないが、今なお「セブン・イレブン」と呼ばれるのは開業当初のこの営業時間に由来している。当時、毎週土曜日夜8時から放送されていたTBSテレビの伝説の人気番組「8時だヨ!全員集合!!」(ドリフターズ主演)で、教師役のいかりや長介さんが「英語で1から10まで数えてみろ」と出題。志村けんさんなど生徒役のメンバーが「ワン、ツー、スリー、……」と数え始め、「セブン、イレブン、いい気分、開いててよかったー」と数えたところで、いかりや長介さんが机に激しく頭を打ち付けるギャグをご記憶の方も多いだろう。スーパーや酒屋などの個人商店のほとんどが夜7~8時頃までには閉店する時代だったから、当時はこの営業時間でも画期的だったのである。
その後、福島県郡山市のセブン・イレブンで初の24時間営業が開始。その結果が好調だったことから、24時間営業は他店にも徐々に拡大。少なくとも筆者が学生だった1990年代までには24時間営業はコンビニの代名詞になった。かつての配給制や専売制度の名残で営業に免許や許可が必要だった酒屋などの個人商店の店主が相次いでコンビニに業態転換していったのもこの頃である。世はバブル経済真っ盛り。日本の平均年齢も大幅に若かったから、24時間営業体制のコンビニが人手に困る時代でもなかった。コンビニエンス・ストア(直訳すると「便利な店」)の名の通り、圧倒的な便利さで日本社会に急速に根付いていった。
●新自由主義の時代に
コンビニが24時間営業体制の下、拡大の一途をたどった2000年代はまた新自由主義の猛威が吹き荒れた時代でもあった。それでもまだ日本の平均年齢が若く、量的拡大の余地が残されていたコンビニは拡大スピードを鈍らせながらも、既存店の売り上げ減を新規出店でカバーしながら拡大を続けた。新自由主義的「構造改革」路線の下で、労働者の大量解雇が起こった際には、非正規労働者の雇用の受け皿としてコンビニが大きな役割を果たしたことも事実である。低賃金・長時間労働というきわめて低質な雇用ではあったが、首切りで急場をしのがなければならない大量の労働者の存在によって、24時間営業の維持自体は可能だった。
団塊世代の大量退職によって、2010年代に入ると日本経済は一気に人手不足に転じた。それでもコンビニは、労働力を若者から高齢者、次いで外国人に求めながらなんとか24時間営業を維持してきた。しかしそれも不可能になり、ついに現場から悲鳴が上がり始めたというのが最近の事態なのである。
バブル経済のちょうど入口にあたる時代(1980年代末)の国鉄分割民営化から始まった新自由主義の猛威の中、公務員バッシングが横行。公務員削減と並行して行政サービスはどんどん切り縮められ、民間委託されていった。そのような行政サービスの受け皿になったのもコンビニだった。郵便局が担っていた小包サービスもコンビニが拠点になり、やがて住民票の発行など、自治体の基幹業務さえコンビニが担うようになった。コンビニが「重要な社会的インフラ」と認識されるようになったのもこの頃である。もし筆者が「コンビニにとって24時間営業が後戻りできなくなったのはいつ頃だと認識するか」と聞かれたら、この頃だと答えるだろう。
深刻なトラックドライバー不足で「物流崩壊」「宅配危機」が叫ばれ始めた1~2年ほど前、日本の宅配物流量の約2割を不在再配達が占めるという状況が明らかになった際には、識者と呼ばれる人々までが「コンビニは24時間開いているのだから、そこで受け取れるようにすればいい」と安易なコンビニ物流拠点化を主張するという出来事もあった。さすがにこの主張に対しては「コンビニは物流センターではない」「商品の在庫を置くスペース以外に宅配便の荷物を一時保管するスペースまで設けなければならず、現実的でない」との反対論が出て立ち消えになった。実際、「不在再配達」は独身・単身世帯の集中する都市部で多く、そのような地域ほど用地も不足しているから、不在世帯の宅配便荷物を保管するためだけにコンビニが新たな場所を確保することは無理な相談だった。
●夜の治安維持までコンビニにやらせるニッポン
コンビニが日本で営業を始めた当時と比べて大きく社会情勢が変わった面もある。約半世紀前、夜勤をするのは主に交代制の工場労働者など男性がメインで、女性はそもそも深夜労働が原則として禁止されていたから、深夜に街を歩くのは深夜労働禁止の例外である医療関係者や、繁華街のいわゆる「夜の仕事」の従事者などごく一部の職種の人に限られていた。だが製造業が衰退する一方で、医療や福祉などの対人サービス業が拡大。それに合わせて女性の深夜労働禁止の原則が撤廃された結果、多くの女性労働者が福祉施設等で夜勤などの変則勤務をするようになったという日本の産業構造、雇用構造の変化も見逃せない。本人の意思とは無関係に、仕事上、どうしても夜の街を歩かなければならない女性の数は飛躍的に増えたのである。
半世紀前であれば、少し大きな駅に行けば、国鉄が貨物や小荷物を扱っていて、そうした仕事は旅客列車の走らない時間帯がメインだったから、多くの国鉄職員が深夜でも仕事をしていた。駅には鉄道公安官もいて、深夜に身の危険を感じても、駅に駆け込めば警察官代わりになってくれることもあった。郵便局でも「特定集配局」は深夜まで仕事をしていた。電電公社(若い読者のために「NTTの前身」と注釈を付けなければならない時代になった)でも深夜の通信トラブルに備えて電話局には職員がいることが多かった。さすがに市町村役場の窓口は閉まっているが、多くの公務員が深夜の街を見守っていた。
だが、半世紀後の現在、夜行列車がなくなり、貨物列車も大幅に削減されたJRの駅は夜になると閉まってしまう。ここ数年は大都市周辺の駅でも無人化が進んでいて深夜はおろか日中でも無人ということが珍しくない。郵便局も集約が進んだ。警察でさえ本部、本庁中心の組織に再編され現場が軽視されるようになった結果、地域の交番は次第に無人の時間帯が拡大している。その結果、夜道を歩いていて身の危険を感じても駆け込む先が「民間企業」のコンビニしかないという状況が、すでに日本のほとんどの地域で当たり前になっているのである。
訳知り顔で「コンビニは重要な社会インフラ」として24時間営業継続を主張する自称「識者」たちは、住民票の発行や夜の治安維持までコンビニという「民間企業」に負わせる社会が健全といえるかどうか、寝ぼけているなら顔を洗って再考すべきだ。公務員削減と引き替えに、諸外国なら国や自治体が担って当然とされてきた業務の多くがコンビニに押しつけられてきた結果がこの事態を招いたのである。
外交と治安維持だけが政府の仕事と考えられていた福祉国家登場以前の時代、そうした国家は「夜警国家」と呼ばれたが、新自由主義が貫徹しすぎて治安維持もやらなくなった国家を私たちはなんと呼べばいいのだろうか。安倍政権が米国トランプ政権から最新兵器をいくら「爆買い」したところで、足下がこんな状況では国民の生命も財産も守ることなどできない。
●いつまでもコンビニに甘えず、公共サービス再建を
こうして考えてみると、私たち日本人は、あまりに便利すぎるコンビニに甘えすぎていたのではないか。「彼らなら何とかするだろう」と面倒ごとはすべてコンビニに押しつけられてきた。コンビニは川の河口と同じで、日本社会の上流~中流域から流れてきた歪みや淀みが最後にたどり着く場所として、この半世紀の日本の矛盾をほぼ引き受けてきたのである。
夜勤労働者など、どうしても生活をコンビニに頼らなければならない人々も一定数いるから、24時間営業をいきなり全面廃止することは困難かもしれないが、現在、コンビニがやっている業務の多くはコンビニでなくてもよいものばかりである。行政サービスとして「公」の分野で行われるべきものも多い。行き過ぎた新自由主義を転換し、現場の破綻を防ぐ意味からも、コンビニに押しつけられた多くの行政サービスを「公」に戻していくことが必要な時期に来ている。住民票の発行や宅配便の受付などの業務はその筆頭であり、こうした業務からは思い切って撤退してもいいのではないか。
こうしたことを主張すると、「住民票の発行などはコンビニに備え付けの端末ででき、店員の手を煩わせるわけでもないのだから撤退を主張するのは便利さの否定であり行き過ぎだ。深夜にしかコンビニに行けない人々もいる」などと反論してくる自称「識者」が必ずいる。だが、労働者を保護するためは「便利さの否定」が一定程度必要である。それに、安倍政権がわざわざ上からの「働き方改革」(その多くはニセ物だが)を提唱せざるを得ないほど長時間労働是正が進まなかった日本で、深夜にしかコンビニに行けないごく一部の人々のために社会全体が不利益を甘受しなければならないというのもおかしい。毎日深夜にしか帰れない労働者がいるなら帰れるようにするのが企業、労働運動双方にとっての最重要課題なのであって、それにはまず「早く帰れないと買い物もできず生活が成り立たない」という状況を作り出して外堀から埋めるのもひとつの方法である(こうした手法に対しては、順序が逆だという批判が出る恐れもあるが、台風などの自然災害でも全員に出社を強制、どんな状況でも改善が進まなかった日本企業の文化が鉄道会社の「計画運休」導入によって変わり始めたように、「外圧」のほうがむしろ効果的な場合もある)。
最も重要な論点は、コンビニ店員の手を煩わせる必要がないからといって行政が本来自分たちのやるべき仕事から逃げ、関知しなくてもよいとする主張自体が議論の本質からして間違っていることである。筆者が求めているのは「誰がやると便利か」ではなく「誰がやるべき仕事なのか」というきわめて本質的な議論だ。
東大阪市のコンビニ店主、松本実敏さんがたったひとりで始めた24時間営業休止の「反乱」は大きな反響を呼び、社会問題としてクローズアップされた。たまたまこの時期に重なった「コンビニ店主に労働者性を認めるかどうか」の審判で、中央労働委員会は労働者性を否定する反動的な判断を示した。だが、マルクスの考えが今なお普遍性を持っているなら、社会のあり方を決めるのは生産様式、生活様式など下部構造としての「経済」である。そこでの「人手不足」、そして、日本国内のコストが高ければ海外移転できる製造業中心から、コストが高くても海外移転ができないサービス業中心への産業構造の転換という流れが変わらない限り、労働力の「売り手」である労働者、店主側が有利という状況は今後も当分の間、続くに違いない。労働者、店主側は有利な状況を最大限利用し、今のうちに24時間営業の全店舗への強制を緩和させる方向へ闘いを続けるべきだろう。
筆者が現在生活している北海道では、コンビニの最大手は「セイコーマート」だが、セイコーマートは最初から24時間営業の全店舗への強制などしておらず、昨年3月まで生活していた日高管内新ひだか町では24時間営業のセイコーマートを探すほうが難しい状況だった。セブンイレブン・ジャパン本部は「24時間営業をやめれば昼間の売り上げも下がる」などと具体的な根拠やデータさえ示さないまま強弁を続ける。だが24時間営業を強制していないセイコーマートが、本土系コンビニ各社を抑えて北海道でシェア1位という事実をどのように考えるのか。店主たちを締め付ける前に、自分たちのしているサービスが本当に顧客の求めるものと一致しているのか、行政の下請けとなって安易に便利さを強調するだけの商売に堕していないか再検討すべきだろう。
いずれにしても、コンビニで当たり前とされてきた「全店舗共通24時間営業体制」は明らかな曲がり角に来ている。たったひとりで問題提起に立ち上がった松本さんは「アリと象の闘い。自分ひとりだったら踏みつぶされていたし、相手は踏んだことにすら気がつかなかっただろう」と語る。「アリと象の闘い」という言葉は、これまで労働争議の世界では何度も聞かれてきたし、沖縄でもよく聞かれた。だが、気づかれることなく踏みつぶされるアリにも五分の魂がある。多くのコンビニ店主を勇気づけた松本さんの闘いが実るよう、労働運動業界の片隅に身を置くもののひとりとして、できることは惜しみなくしていきたいと考えている。
(黒鉄好・2019年3月24日)
東大阪市のコンビニエンス・ストア、セブン・イレブンの店主が、人手不足を理由に2月1日から24時間営業の休止に踏み切ったところ、セブンイレブン・ジャパン本部から契約解除に加え1700万円の“違約金”を請求された、として各メディアが一斉に報道。最近の“働き方改革”の風潮にも乗る形で一気に社会問題化した。
日本全体の人手不足化が進む中で、低賃金・長時間労働の象徴的存在であるコンビニには学生バイトはおろか、一時期主流を占めた外国人労働者ですら集まらなくなり、オーナーが身体を壊す極限まで働き続けなければならないという実態の一端が明るみに出たといえるが、一方、半世紀近くの間、24時間営業が当たり前と思われてきたコンビニ業界がその慣行を見直す千載一遇のチャンスが到来したといえよう。背景には約半世紀にわたって日本社会が見て見ぬふりを続けてきた構造的問題もちらつく。今回は、便利さと引き替えに日本社会のあらゆる矛盾も一手に引き受けることになったコンビニ問題の一端に迫ってみたいと思う。
●日本初のコンビニは営業時間も「セブン・イレブン」
今から半世紀近く前の1970年代、日本初のコンビニエンス・ストアは朝7時に開店、夜11時に閉店する形態で営業を始めた。若い方はご存じないかもしれないが、今なお「セブン・イレブン」と呼ばれるのは開業当初のこの営業時間に由来している。当時、毎週土曜日夜8時から放送されていたTBSテレビの伝説の人気番組「8時だヨ!全員集合!!」(ドリフターズ主演)で、教師役のいかりや長介さんが「英語で1から10まで数えてみろ」と出題。志村けんさんなど生徒役のメンバーが「ワン、ツー、スリー、……」と数え始め、「セブン、イレブン、いい気分、開いててよかったー」と数えたところで、いかりや長介さんが机に激しく頭を打ち付けるギャグをご記憶の方も多いだろう。スーパーや酒屋などの個人商店のほとんどが夜7~8時頃までには閉店する時代だったから、当時はこの営業時間でも画期的だったのである。
その後、福島県郡山市のセブン・イレブンで初の24時間営業が開始。その結果が好調だったことから、24時間営業は他店にも徐々に拡大。少なくとも筆者が学生だった1990年代までには24時間営業はコンビニの代名詞になった。かつての配給制や専売制度の名残で営業に免許や許可が必要だった酒屋などの個人商店の店主が相次いでコンビニに業態転換していったのもこの頃である。世はバブル経済真っ盛り。日本の平均年齢も大幅に若かったから、24時間営業体制のコンビニが人手に困る時代でもなかった。コンビニエンス・ストア(直訳すると「便利な店」)の名の通り、圧倒的な便利さで日本社会に急速に根付いていった。
●新自由主義の時代に
コンビニが24時間営業体制の下、拡大の一途をたどった2000年代はまた新自由主義の猛威が吹き荒れた時代でもあった。それでもまだ日本の平均年齢が若く、量的拡大の余地が残されていたコンビニは拡大スピードを鈍らせながらも、既存店の売り上げ減を新規出店でカバーしながら拡大を続けた。新自由主義的「構造改革」路線の下で、労働者の大量解雇が起こった際には、非正規労働者の雇用の受け皿としてコンビニが大きな役割を果たしたことも事実である。低賃金・長時間労働というきわめて低質な雇用ではあったが、首切りで急場をしのがなければならない大量の労働者の存在によって、24時間営業の維持自体は可能だった。
団塊世代の大量退職によって、2010年代に入ると日本経済は一気に人手不足に転じた。それでもコンビニは、労働力を若者から高齢者、次いで外国人に求めながらなんとか24時間営業を維持してきた。しかしそれも不可能になり、ついに現場から悲鳴が上がり始めたというのが最近の事態なのである。
バブル経済のちょうど入口にあたる時代(1980年代末)の国鉄分割民営化から始まった新自由主義の猛威の中、公務員バッシングが横行。公務員削減と並行して行政サービスはどんどん切り縮められ、民間委託されていった。そのような行政サービスの受け皿になったのもコンビニだった。郵便局が担っていた小包サービスもコンビニが拠点になり、やがて住民票の発行など、自治体の基幹業務さえコンビニが担うようになった。コンビニが「重要な社会的インフラ」と認識されるようになったのもこの頃である。もし筆者が「コンビニにとって24時間営業が後戻りできなくなったのはいつ頃だと認識するか」と聞かれたら、この頃だと答えるだろう。
深刻なトラックドライバー不足で「物流崩壊」「宅配危機」が叫ばれ始めた1~2年ほど前、日本の宅配物流量の約2割を不在再配達が占めるという状況が明らかになった際には、識者と呼ばれる人々までが「コンビニは24時間開いているのだから、そこで受け取れるようにすればいい」と安易なコンビニ物流拠点化を主張するという出来事もあった。さすがにこの主張に対しては「コンビニは物流センターではない」「商品の在庫を置くスペース以外に宅配便の荷物を一時保管するスペースまで設けなければならず、現実的でない」との反対論が出て立ち消えになった。実際、「不在再配達」は独身・単身世帯の集中する都市部で多く、そのような地域ほど用地も不足しているから、不在世帯の宅配便荷物を保管するためだけにコンビニが新たな場所を確保することは無理な相談だった。
●夜の治安維持までコンビニにやらせるニッポン
コンビニが日本で営業を始めた当時と比べて大きく社会情勢が変わった面もある。約半世紀前、夜勤をするのは主に交代制の工場労働者など男性がメインで、女性はそもそも深夜労働が原則として禁止されていたから、深夜に街を歩くのは深夜労働禁止の例外である医療関係者や、繁華街のいわゆる「夜の仕事」の従事者などごく一部の職種の人に限られていた。だが製造業が衰退する一方で、医療や福祉などの対人サービス業が拡大。それに合わせて女性の深夜労働禁止の原則が撤廃された結果、多くの女性労働者が福祉施設等で夜勤などの変則勤務をするようになったという日本の産業構造、雇用構造の変化も見逃せない。本人の意思とは無関係に、仕事上、どうしても夜の街を歩かなければならない女性の数は飛躍的に増えたのである。
半世紀前であれば、少し大きな駅に行けば、国鉄が貨物や小荷物を扱っていて、そうした仕事は旅客列車の走らない時間帯がメインだったから、多くの国鉄職員が深夜でも仕事をしていた。駅には鉄道公安官もいて、深夜に身の危険を感じても、駅に駆け込めば警察官代わりになってくれることもあった。郵便局でも「特定集配局」は深夜まで仕事をしていた。電電公社(若い読者のために「NTTの前身」と注釈を付けなければならない時代になった)でも深夜の通信トラブルに備えて電話局には職員がいることが多かった。さすがに市町村役場の窓口は閉まっているが、多くの公務員が深夜の街を見守っていた。
だが、半世紀後の現在、夜行列車がなくなり、貨物列車も大幅に削減されたJRの駅は夜になると閉まってしまう。ここ数年は大都市周辺の駅でも無人化が進んでいて深夜はおろか日中でも無人ということが珍しくない。郵便局も集約が進んだ。警察でさえ本部、本庁中心の組織に再編され現場が軽視されるようになった結果、地域の交番は次第に無人の時間帯が拡大している。その結果、夜道を歩いていて身の危険を感じても駆け込む先が「民間企業」のコンビニしかないという状況が、すでに日本のほとんどの地域で当たり前になっているのである。
訳知り顔で「コンビニは重要な社会インフラ」として24時間営業継続を主張する自称「識者」たちは、住民票の発行や夜の治安維持までコンビニという「民間企業」に負わせる社会が健全といえるかどうか、寝ぼけているなら顔を洗って再考すべきだ。公務員削減と引き替えに、諸外国なら国や自治体が担って当然とされてきた業務の多くがコンビニに押しつけられてきた結果がこの事態を招いたのである。
外交と治安維持だけが政府の仕事と考えられていた福祉国家登場以前の時代、そうした国家は「夜警国家」と呼ばれたが、新自由主義が貫徹しすぎて治安維持もやらなくなった国家を私たちはなんと呼べばいいのだろうか。安倍政権が米国トランプ政権から最新兵器をいくら「爆買い」したところで、足下がこんな状況では国民の生命も財産も守ることなどできない。
●いつまでもコンビニに甘えず、公共サービス再建を
こうして考えてみると、私たち日本人は、あまりに便利すぎるコンビニに甘えすぎていたのではないか。「彼らなら何とかするだろう」と面倒ごとはすべてコンビニに押しつけられてきた。コンビニは川の河口と同じで、日本社会の上流~中流域から流れてきた歪みや淀みが最後にたどり着く場所として、この半世紀の日本の矛盾をほぼ引き受けてきたのである。
夜勤労働者など、どうしても生活をコンビニに頼らなければならない人々も一定数いるから、24時間営業をいきなり全面廃止することは困難かもしれないが、現在、コンビニがやっている業務の多くはコンビニでなくてもよいものばかりである。行政サービスとして「公」の分野で行われるべきものも多い。行き過ぎた新自由主義を転換し、現場の破綻を防ぐ意味からも、コンビニに押しつけられた多くの行政サービスを「公」に戻していくことが必要な時期に来ている。住民票の発行や宅配便の受付などの業務はその筆頭であり、こうした業務からは思い切って撤退してもいいのではないか。
こうしたことを主張すると、「住民票の発行などはコンビニに備え付けの端末ででき、店員の手を煩わせるわけでもないのだから撤退を主張するのは便利さの否定であり行き過ぎだ。深夜にしかコンビニに行けない人々もいる」などと反論してくる自称「識者」が必ずいる。だが、労働者を保護するためは「便利さの否定」が一定程度必要である。それに、安倍政権がわざわざ上からの「働き方改革」(その多くはニセ物だが)を提唱せざるを得ないほど長時間労働是正が進まなかった日本で、深夜にしかコンビニに行けないごく一部の人々のために社会全体が不利益を甘受しなければならないというのもおかしい。毎日深夜にしか帰れない労働者がいるなら帰れるようにするのが企業、労働運動双方にとっての最重要課題なのであって、それにはまず「早く帰れないと買い物もできず生活が成り立たない」という状況を作り出して外堀から埋めるのもひとつの方法である(こうした手法に対しては、順序が逆だという批判が出る恐れもあるが、台風などの自然災害でも全員に出社を強制、どんな状況でも改善が進まなかった日本企業の文化が鉄道会社の「計画運休」導入によって変わり始めたように、「外圧」のほうがむしろ効果的な場合もある)。
最も重要な論点は、コンビニ店員の手を煩わせる必要がないからといって行政が本来自分たちのやるべき仕事から逃げ、関知しなくてもよいとする主張自体が議論の本質からして間違っていることである。筆者が求めているのは「誰がやると便利か」ではなく「誰がやるべき仕事なのか」というきわめて本質的な議論だ。
東大阪市のコンビニ店主、松本実敏さんがたったひとりで始めた24時間営業休止の「反乱」は大きな反響を呼び、社会問題としてクローズアップされた。たまたまこの時期に重なった「コンビニ店主に労働者性を認めるかどうか」の審判で、中央労働委員会は労働者性を否定する反動的な判断を示した。だが、マルクスの考えが今なお普遍性を持っているなら、社会のあり方を決めるのは生産様式、生活様式など下部構造としての「経済」である。そこでの「人手不足」、そして、日本国内のコストが高ければ海外移転できる製造業中心から、コストが高くても海外移転ができないサービス業中心への産業構造の転換という流れが変わらない限り、労働力の「売り手」である労働者、店主側が有利という状況は今後も当分の間、続くに違いない。労働者、店主側は有利な状況を最大限利用し、今のうちに24時間営業の全店舗への強制を緩和させる方向へ闘いを続けるべきだろう。
筆者が現在生活している北海道では、コンビニの最大手は「セイコーマート」だが、セイコーマートは最初から24時間営業の全店舗への強制などしておらず、昨年3月まで生活していた日高管内新ひだか町では24時間営業のセイコーマートを探すほうが難しい状況だった。セブンイレブン・ジャパン本部は「24時間営業をやめれば昼間の売り上げも下がる」などと具体的な根拠やデータさえ示さないまま強弁を続ける。だが24時間営業を強制していないセイコーマートが、本土系コンビニ各社を抑えて北海道でシェア1位という事実をどのように考えるのか。店主たちを締め付ける前に、自分たちのしているサービスが本当に顧客の求めるものと一致しているのか、行政の下請けとなって安易に便利さを強調するだけの商売に堕していないか再検討すべきだろう。
いずれにしても、コンビニで当たり前とされてきた「全店舗共通24時間営業体制」は明らかな曲がり角に来ている。たったひとりで問題提起に立ち上がった松本さんは「アリと象の闘い。自分ひとりだったら踏みつぶされていたし、相手は踏んだことにすら気がつかなかっただろう」と語る。「アリと象の闘い」という言葉は、これまで労働争議の世界では何度も聞かれてきたし、沖縄でもよく聞かれた。だが、気づかれることなく踏みつぶされるアリにも五分の魂がある。多くのコンビニ店主を勇気づけた松本さんの闘いが実るよう、労働運動業界の片隅に身を置くもののひとりとして、できることは惜しみなくしていきたいと考えている。
(黒鉄好・2019年3月24日)