安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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日航機墜落事故のニュース3題

2008-08-12 23:34:08 | 鉄道・公共交通/安全問題
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日航機墜落:事故から23年 灯籠流し 公共交通、安全祈り(毎日新聞群馬版)

◇別事故の遺族も思い託す
 日航ジャンボ機墜落事故から12日で23年。11日夕、事故現場に近い上野村の神流川で行われた犠牲者を追悼する灯籠(とうろう)流しには、00年にオーストリア・アルプスで起きたケーブルカー火災事故や91年の信楽高原鉄道事故などの遺族も参加した。「天国のパパへ」「見守っていて下さい」。残された家族らは灯籠に思い思いのメッセージを託し、公共交通機関の安全を祈った。【畑広志、杉山順平、生野由佳】

 村役場前を流れる神流川の河川敷。夕闇が近づき、地元ボランティアによるアコーディオンの演奏が響く中、灯籠に立てられたロウソクに火がともされる。墜落時刻の午後6時56分、一列に並んだ遺族らは、持っていた灯籠を次々に川面に浮かべた。

 仕事で出張中だった父南慎二郎さん(当時54歳)を墜落事故で亡くした川崎市の内野理佐子さん(48)は、夫と長男の3人で参加した。内野さんは「空の安全のため、事故を忘れないで語りついでいきたい」と思いを語った。

 オーストリアの火災事故で長男博和さん(当時24歳)を亡くした大山峰雄さん(66)は妻朝子さん(55)、長女智恵さん(30)と参加。用意された灯籠に火災事故で亡くなった他の犠牲者の名前も書き込み「二度と事故が起きないでほしい」との願いを込めた。朝子さんは「参加できてよかった。息子が空から見守っているような気がします」と博和さんをしのんだ。

 また、鉄道事故で妻佐代子さん(当時53歳)を亡くした兵庫県宝塚市の吉崎俊三さん(75)は「事故を風化しないようお互い励ましあっていきたい」と話した。

 12日には御巣鷹の尾根に登る慰霊登山と追悼慰霊式が開かれる。
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 公共交通の安全をライフワークとする私にとって忘れられない事故の日がまたやってきた。この世のものとは思えない凄惨な現場、そしてその凄惨な現場の中に咲いた花のように輝いていた4人の生存者たち。暑苦しく、むごたらしいあの夏のことは今でも脳裏に焼き付いている。

 昨年のこの日はJR尼崎事故の犠牲者遺族らが慰霊登山をし、航空機事故と鉄道事故の犠牲者遺族が初めて「連携」して安全を訴えた。今年は、信楽高原鉄道事故の遺族、そしてオーストリアで起きたケーブルカー火災の犠牲者遺族らも慰霊登山に参加した。公共交通の安全を求める動きは、バラバラにされていた事故犠牲者たちのつながりがさらに拡大していく新たな局面を迎えたといえる。

オーストリアのケーブルカー火災については詳しいことはわからないが、123便、尼崎、信楽の3事故は、いずれもJRや日航が利益優先の強引な運行をしたことが背景にあると見てよいだろう。123便については、お盆の繁忙期で整備や乗務員の日常的な注意力が散漫になりやすい時期だったこともあると思う。

遺族たちが連携して安全のために行動しているのはよいことであり、当ブログは応援したいと思う。公共交通は専門性が高く、また安全管理を政府がほとんど民間事業者任せにしている。こうした事態を変えてゆくには、大きな声が必要であると考えられるからだ。

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日航機墜落 事故から23年 17遺品を展示(毎日新聞)

 85年8月に起きた日航ジャンボ機墜落事故で、所有者が特定できない遺品の展示が11日、東京都大田区の日本航空・安全啓発センターで始まった。展示して空の安全に役立ててほしいとの遺族の願いを日航側が受け入れ、実現した。12日で事故から23年を迎える。

 日航によると、群馬県上野村の墜落現場から見つかった遺品のうち、約2700点が引き取り手のないまま羽田空港内で保管されている。今回は、このうち▽腕時計5点▽眼鏡3点▽鍵3点▽カメラレンズ3点▽ボールペン2点▽電卓1点--の計17遺品が展示された。墜落時刻の午後6時56分前後を一斉に示す腕時計。フレームが大きくゆがんだ眼鏡。折れ曲がった鍵。いずれも事故の衝撃の大きさや悲惨さを訴える。

 遺品について、日航は当初、「だびに付して上野村の慰霊の園にまつりたい」との意向を遺族に示した。一方、遺族は「事故を忘れないためにも、遺品は保存すべきだ」と強く要望し、長く話し合いが続けられた。

 日航が方針を変えたのは、05年に安全上のトラブルが相次いだのがきっかけ。墜落事故を「負の遺産」でなく安全意識の原点にしようと考え、06年4月、社員研修を主目的とした安全啓発センターを開設。事故機の一部や乗客が家族に残したメモなどを展示した。

 遺品についても、事故の悲惨さが伝わるものをと遺族と検討し、展示が実現した。見学は11日から3日間は遺族と関係者、18日から一般も受け付ける。
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これも、安全の向上のためによいニュースと積極的に受け止めたい。事故の痕跡を消してしまうよりも、乗務員たちが遺品を見て安全への誓いを日々、新たにすることがなによりも大切だからである。犠牲者たちもそれを望んでいると思う。

前のエントリでも書いたが、事故調の123便事故報告書は欺瞞だらけであり、当ブログは事故原因の再調査を要求する。それこそが、非業の死に追いやられた521柱(注)の犠牲者の無念を晴らし、公共交通の安全を前進させる唯一の方法と考えるからである。

(注)123便事故の520名の犠牲者の中には妊婦が1人いた。事故後、母親から引きはがされ、冷たい山に叩き付けられて亡くなった胎児の遺体が現場から収容された。当ブログではこの胎児も犠牲者と考え、521柱としている。

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