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日本共産党がローカル線維持のための政策提言「全国の鉄道網を維持・活性化し、未来に引き継ぐために」を発表

2022-12-14 22:07:58 | 鉄道・公共交通/交通政策
日本共産党は、12月13日、ローカル線維持のための政策提言「全国の鉄道網を維持・活性化し、未来に引き継ぐために」を発表しました。この提言に、同日の「しんぶん赤旗」5面の全面が割かれています。

共産党は、JR北海道の「維持困難線区」公表を受け、2017年4月にも「鉄道路線廃止に歯止めをかけ、住民の足と地方再生の基盤を守るために――国が全国の鉄道網を維持し、未来に引き継ぐために責任を果たす」を発表していますが、この中では「中長期的課題」としていた公共交通基金(公共交通を維持するための安定財源)構想が、今回の提言ではより具体的になっています。

現在のJR6社体制を基本的にそのままとしている点など、この政策提言には不十分な点があり、また、安全問題研究会が公表したJR再国有化法案(日本鉄道公団法案)とはまだ距離があります。

それでも、国会に議席を持つ国政政党から「線路全面国有化」による上下分離の導入を柱とした政策提言が行われたことには大きな意味があります。現状の完全民営路線から比べると大きな前進となるものであり、安全問題研究会は、この提案に支持を表明するとともに、当研究会の「日本鉄道公団法案」を対置し切磋琢磨しながら、お互いの政策提案が多くの国民の支持を得て実現するよう、協力したいと考えます。

なお、以下、「全国の鉄道網を維持・活性化し、未来に引き継ぐために」の全文をご紹介しますが、図表などは省略しています。全体をご覧になりたい方は、日本共産党のホームページに掲載されています。また、印刷に適したPDF版も用意されているようです。

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全国の鉄道網を維持・活性化し、未来に引き継ぐために
2022年12月13日 日本共産党の提言

 今年は鉄道150年です。新橋―横浜から始まった日本の鉄道は、国民生活の向上、経済、産業そして文化の発展に大きく寄与してきました。ところが、この記念すべき年に、鉄道路線の大規模な廃止など、全国鉄道網をズタズタにしてしまうような動きが起きています。

 国土交通省の「鉄道事業者と地域の協働による地域モビリティの刷新に関する検討会」は、地方路線の廃止や地元負担増にむけたJRと関係自治体との「協議会」を国が主導して設置し、3年で「結論」を得るなどとする「提言」を7月に出しました。国交省は、これに基づく法案を通常国会に提出する準備をしています。

 「JR各社は、都市部や新幹線、関連事業の収益によって不採算部門を含めた鉄道ネットワークを維持する」という国鉄の分割・民営化時の原則が維持できなくなったことを理由にしています。分割・民営から35年が経過し、その基本方針である「民間まかせ」では全国鉄道網は維持できないことを認めたのです。それにもかかわらず分割・民営の総括もせず、鉄路廃止をどんどんすすめ、全国鉄道網をズタズタにしてしまう、地方経済、地域社会のいっそうの地盤沈下を政府主導ですすめてしまう、こんな道を進んでいいのかが問われています。「民間まかせ」を見直し、国が責任を果たす改革をすすめ、全国鉄道網を維持・活性化し、未来に引き継ぐことこそ、国の取るべき道ではないでしょうか。

1、鉄路廃止のレールを敷いてはならない
(1)政府が先頭にたって鉄路を廃止し、全国鉄道網をズタズタにすることは許されない
 【国鉄民営化時を上回る廃線となる危険】

 「提言」では、「輸送密度1000人未満、ピーク時の1時間あたり輸送人員500人未満」の線区(2019年度実績で61路線100区間)で、JRと沿線自治体の「協議」の場の設置が義務付けられます。

 国交省は「廃止ありき、存続ありきという前提を置かずに議論」などとしています。しかし、斉藤国交大臣は「かなりの部分は鉄道として残ると思う。半分以上は残すことになるのではないか」(中国新聞インタビュー)と述べています。半分程度(50区間程度)は廃線になる危険があるということです。国鉄民営化を前後して廃線になったのは45路線ですから、それに匹敵するか、それ以上の大規模な廃線になる恐れがあるのです。

 しかも、今度は、いわゆる「ローカル線」だけでなく、羽越本線の酒田―羽後本荘、山陰本線の城崎温泉―鳥取などの区間も「協議」対象になります。全国鉄道網がズタズタになり、旅客だけでなく貨物輸送・物流にも大きな打撃になりかねません。

 【「廃線か、負担増」を地方に迫り、地域の公共交通を失いかねない恐れ】

 政府・国交省が押し付ける「協議」では、「廃線にしたくなければ地元負担を増やせ」と、利用者・住民には料金値上げ、関係自治体にはJRの「赤字」を埋めるための「財政負担」を求めることになります。対象となる自治体の多くは財政力も小さく、過疎や地域経済の疲弊に苦しんでおり、"廃線か、財政破綻か"の「悪魔の選択」を迫られることになってしまいます。この間、地方では鉄路を維持するために、官民力をあわせたさまざまな努力がされてきましたが、こうした努力も無に帰しかねません。

 その一方で、「提言」が「国の支援策」としているのは、鉄路存続の場合でも、BRT(バス専用道などを使用するバス)や路線バス転換の場合でも、「新たな投資」や「追加的な投資」への支援のみで、まともな経営支援は行いません。地方からは"慢性的な人手不足などから、鉄路廃止後の代替交通を自治体や地元交通業者のみの負担で運行することは持続可能性に大きな課題があり、地域の公共交通そのものを失いかねない"という危惧も表明されています。

 整備新幹線の並行在来線の存続も地方に押しつけてきましたが、北海道新幹線の並行在来線は廃線に追い込まれようとしています。「民間まかせ」とともに、「地方まかせ」でも、全国鉄道網を維持することはできないことも明らかです。

 【コロナ危機に便乗した鉄路廃止・地元負担押しつけは政治的にも道義的にも許されない】

 「提言」は、「コロナ以前の利用者まで回復することが見通せず、事業構造の変化が必要」としていますが、JR各社の現在の赤字はコロナ危機が主たる要因です。2022年度は東日本、東海、西日本が大幅な黒字転換となるなど、収益は大きく回復する傾向にあります。「コロナ後の回復」がどの程度になるか見通せない現状で、地方に廃線や、値上げと自治体負担を求めることは、コロナ危機に便乗した地方切り捨てと言わざるを得ません。

 一方で、政府はJR東海とともに、リニア新幹線建設を「国家プロジェクト」などと推進していますが、2045年の東海道新幹線の利用者数はコロナ前より1・5~1・8倍になるという「需要見通し」は再検討もしていません。コロナ危機のもとで広がった「オンライン会議」や「テレワーク」の影響は、地方路線よりリニアや新幹線の方がはるかに大きいはずです。東京―大阪間を約1時間半短縮するために新幹線の4倍もの電力を消費するとされるエネルギー浪費型のリニア新幹線は中止し、地域公共交通への支援を強めるべきです。

(2)いま鉄路の廃止をすすめていいのか――地方再生、気候 危機への政治の姿勢が問われる
 交通権・移動する権利を保障することは国の責務であり、鉄道網はその重要な分野です。同時に、現在ある全国鉄道網を維持・活性化し、未来に引き継ぐことは、それだけにとどまらず、これから日本社会がどのような方向にすすむのか、国の基本姿勢にかかわる重要な課題です。

 第一に、鉄道は、地方再生への大切な基盤です。

 鉄道は、通勤・通学、通院、買い物をはじめ生活に必要な移動手段です。また観光や地域の産業振興にとっても大事な基盤です。「採算性」や「市場原理」をふりかざし、地方の公共サービス、公的施設を縮小・廃止してきたことが、人口減少・若い世代の流出を激化させるという悪循環をつくってきました。鉄道廃止はその典型です。地域の「地盤沈下」をもたらし、地方再生の大切な基盤を放棄してしまうことになります。

 鉄路を維持・活性化させることは、地方再生を本気で追求する政治の責任を果たすことであり、地方の疲弊・衰退を国が先導してすすめ、大都市と地方の格差を拡大させ、地方を住みにくくしてきた政治を反省する大きな一歩になります。

 第二に、全国鉄道網は、脱炭素社会をめざすために失ってはならない共有の財産です。

 単位輸送量あたりのCO2排出量は、旅客輸送で、鉄道は、乗用車の13%、航空機の17%、バスの30%、貨物輸送では、鉄道は、自家用貨物車の1・5%、営業用貨物車の8・0%、船舶の44%と、圧倒的な優位にあります。EUでは「グリーン・ニューディール」など、脱炭素社会に向けたとりくみに、鉄道の利用拡大が大きく位置づけられています。

 鉄道から自動車・トラックへの転換は、気候危機打開、脱炭素社会に向けた逆行です。全国鉄道網の維持・活性化を脱炭素社会に向けた重要な柱に位置づけ、気動車のハイブリッド化や蓄電池車など、鉄道事業の省エネ化、低排出化を進めることとあわせて、鉄道利用を拡大することが求められます。

2、全国鉄道網の維持・活性化に国が責任を果たすために――日本共産党の提案
 政府・国交省は、JRに移行した路線は維持するという、国鉄分割・民営化の制度設計が維持不能になり、国民への約束が果たせなくなったことを認めました。そうであれば、分割・民営の35年間を総括し、全国鉄道網とJRをどうするか、国はどのような責任を果たすべきか、国民的な議論と検討が不可欠です。

 全国知事会も、国交省・検討会の「提言」を受けて、「分割・民営化が地方に与えた影響、分割方法の妥当性、国鉄改革の精神等を改めて検証し......基幹的線区以外の線区も含めた全国的な鉄道ネットワークを維持・活性化するための方向性について示すこと」を国に求めています。

 ところが、政府・国交省は、分割・民営の総括も、全国鉄道網の今後についての議論さえせず、地方の赤字路線だけ切り出して、地元自治体とJRとの「協議」を義務づけることに終始しています。破たんした「民間まかせ」から、全国鉄道網を維持・活性化させるために、国が何をするのか、どのように責任を果たすのかを示すことが求められています。日本共産党は、この立場から、以下の緊急対策と中長期的な対策を提案します。そして、全国鉄道網を維持・活性化させるために、鉄道事業者や自治体関係者を含め、幅広いみなさんに国民的な討論をよびかけます。

(1)全国鉄道網を維持・活性化するための緊急の対策を
 地方路線の廃止を止めることは緊急の課題になっています。

 【北海道、四国、九州は、もともと分割に経営上の無理があり、国が路線維持のために必要な財政支援を行う】

 北海道、四国、九州の3社は、分割・民営化の時点で赤字になることがわかりきっていました(九州は不動産事業等で黒字化しているが鉄道事業は赤字)。経営安定基金を積んで、その運用益で赤字を補塡(ほてん)する仕組みにしましたが、この運用益だけでは鉄道事業を維持できなくなっています。三島会社(JR北海道、四国、九州)の鉄道事業の経営難は分割方針の破綻であり、国が路線存続に責任を持つのは当然です。

 とくに、JR北海道は大規模な廃線と大きな自治体負担を関係自治体に迫っています。国は経営安定基金の運用益を増やす「追加支援」を行いましたが、きわめて不十分です。JR北海道の全線を維持するための財政支援を行うべきです。

 また、気候危機打開のためにも、鉄道による貨物輸送を「市場まかせ」のままにすることはできません。国交省は「トラック輸送から環境負荷が小さい鉄道に転換させる」モーダルシフトを推進しており、この点からも国がJR貨物に対する必要な支援を行うべきです。

 【巨額の内部留保をもち、黒字回復が見込まれるJR本州3社の鉄道路線を維持する】

 JR東日本、東海、西日本の本州3社は、コロナ危機で赤字に転落しましたが、行動制限がない2022年度には黒字回復することが見込まれています。しかも、3社ともに巨額の内部留保を抱えています。「不採算路線を含めて維持する」とした民営化時のルール=約束を果たせなくなったという条件はありません。当面、すべての路線を維持するのは当然です。

 【鉄路廃止を届け出制から許可制に戻す】

 政府は、鉄道事業法を変え、鉄道廃止の手続きを認可制から事前届け出制に規制緩和しました。国は何の責任もとらず、住民や自治体関係者の声も無視した鉄道路線の廃止を可能にしてしまいました。28道府県知事連名の「未来につながる鉄道ネットワークを創造する緊急提言」(2022年5月)でも「鉄道事業法における鉄道廃止手続きの見直し」が要望されています。この規制緩和は撤回すべきです。

表・JR旅客各社の損益状況、JR本州3社の内部留保

(2)全国鉄道網を将来にわたって維持し活性化させるための三つの提案
 今後の鉄道のあり方については、破綻した「民間まかせ」にかわる持続可能なシステムへの転換が必要です。

1、JRを完全民営から"国有民営"に改革する――国が線路・駅などの鉄道インフラを保有・管理し、運行はJRが行う上下分離方式に
 全国鉄道網を維持・活性化し、未来に引き継ぐためには、「民間まかせ」「地方まかせ」を根本から改め、国が責任を果たすことが不可欠です。完全民営のJRの鉄道網を国有民営に改革します。国が鉄道インフラを保有・管理することで、鉄道事業を安定させ、運行は、現行のJRが引き続き行います。

 35年が経過し、株式の売却、関連事業とその資産などJR各社の経営や資産の状況は異なっていることもあり、上下分離で国の関与と責任を明確にすることが、もっとも合理的な道になっていると考えます。整備新幹線は、国の鉄道建設・運輸施設整備支援機構が建設・保有し、JRに貸し付ける形態なので実質的に上下分離がすでに導入されており、全国鉄道網の維持・活性化の方式として十分活用できます。

 国が線路や駅などのインフラを保有・管理する上下分離は、欧州の鉄道事業では当たり前の形態で、完全民営は日本だけと言っても過言ではありません。欧州では、自動車や航空機など他の交通機関との公正な競争条件としても道路や空港と同じように線路や駅というインフラは国が責任をもつという考え方も重視されています。

2、全国鉄道網を維持する財政的な基盤を確保する――公共交通基金を設立し、地方路線・バスなどの地方交通への支援を行う
 全国鉄道網を維持・活性化するためには、国が財政確保のシステムをつくることが必要です。「公共交通基金」を創設し、運行を担うJRの地方路線とともに、地方民鉄やバスを維持するも含め、地方の公共交通を支援します。

 財源は、ガソリン税をはじめ自動車関連税、航空関連税などの一部を充てるとともに、新幹線や大都市部などでの利益の一部を地方の公共交通維持に還流させ、交通の面でも生じている大都市と地方の大きな格差と不均衡を是正します。

3、鉄道の災害復旧制度をつくり、速やかに復旧できるようにする
 災害で不通になった道路や橋が復旧されないことなど考えられませんが、鉄道は災害による廃線が相次いでいます。災害で不通となった鉄道を廃線に追い込んだり、復旧に手を付けずに放置することは、被災地の復興を妨害し、災害による地域の疲弊を加速させることになります。

 国が「災害復旧基金」を創設し、被災した鉄道の復旧に速やかに着手できるようにします。地方民鉄、第三セクター鉄道を含む、すべての鉄道事業者を対象に赤字路線等の災害復旧に必要な資金を提供します。「基金」には、すべての鉄道事業者が経営規模・実態に応じて拠出するとともに、国が出資します。

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<地方交通に未来を(8)>鉄道150年、メディアは危機をどう伝えたか

2022-12-10 23:15:11 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 日本の鉄道が150年の節目を迎えるに当たり、私が注目していたものがある。メデイアがこの節目をどう伝えるかである。もともとたいした期待はかけずメディア報道を見守っていたが、結果は悪い意味で私の予想通りだった。鉄道150年という節目は、こうした問題を掘り下げるにはちょうどいい機会であるにもかかわらず、ローカル線の危機に関する言及は、少なくとも全国放送のテレビに関する限り、皆無だったと思う。

 NHKは、全国鉄道の旅シリーズをBSで連続放送したが、これは単なる鉄道カメラマンが撮影した地域ごとの車窓風景を追うだけで新味がなく、これなら民放BSで放送されている「いい旅・夢気分」などの番組のほうが、旅に出たいと思わせる演出がされているだけマシだと思う。

 NHKで多少なりとも面白いと思えたのは、10月15日に放送された「鉄道博物館 お宝フィルムが語る知られざるニッポン」で、鉄道博物館に眠っている過去の鉄道記録映画から名シーンをピックアップするというものだが、ここで取り上げられた映像のほとんどはインターネット上にアップされており、私はそのほとんどを見ている。鉄道が果たしてきた歴史的役割の大きさを、鉄道に詳しくない一般の人たちに認識させる効果はある程度あったと思われるが、ここから危機にある鉄道をどのような未来につなげるかという意味の言及は、スタジオのコメンテーターからもほとんど行われなかった。

 民放各局は、レギュラーの鉄道番組を通常通り淡々と流すのみで、150年という節目の特番もなく、この話題をあえて避けていることは明らかだった。どう言及したらいいか誰もわからず、結局は通常番組を流す以外にないとの無難な営業判断だろう。

 『国労本部は1987年3月31日に当時の国労会館の講堂で集会を開き、その前にも日比谷野音で大集会をやりましたが、それらは一行も報道されませんでした。ジャーナリズムであれば、あした国鉄が分割・民営化される一方で、反対集会が開かれたことを報道すべきだったと思います。とにかく、反対意見は一切報道しないというマスコミの姿勢だったのです。このとき、これからの新聞、マスコミは国策に対して全然抵抗できないことを、僕は肝に銘じました』。

 国鉄「改革」から20年目に当たる2007年、「国鉄改革20年の検証 利権獲得と安全・地域破壊の20年――公共鉄道の再生に向けて――」と銘打って行われた座談会で、ルポライター鎌田慧さんがこのように発言している。座談会の記録集では、この鎌田さんの発言部分に「歴史の変わり目に機能しなくなるマスコミ」との小見出しがつけられている。私の目には、メディアはこの頃からすでにずっと機能していないように映るが、考えてみれば、歴史はある瞬間を境に突然変わるように見えたとしても、実際には、毎日少しずつ変化しているのだ。メディアが歴史の変わり目に機能しないということは、すなわち日々機能していないというのと同じことで、そこに期待をかけること自体がやはり間違っているのだというべきであろう。時代はこの座談会からさらに20年流れたが、ここで打ち出された公共交通の再生などまるで実現できていない。

 インターネットメディアでは、ローカル線問題の現状を追ったもの、ローカル線の維持に向けて論陣を張る心強いライターの記事もある一方、地域の実情も過去の経緯も無視して、一方的にローカル線の整理を求めるものもあった。だが、赤字線整理を求める陣営は、日頃鉄道になど言及したことがなく、興味・関心があるとも思えないライターばかりで、私の目から見れば「二線級以下」の人材ばかりだ。その中でも最悪のローカル線廃止論者である小倉健一・イトモス研究所所長に至っては、自分のツイッターでしきりに統一協会擁護発言を繰り返している「トンデモ言論人」であり、恥を知れと言いたい。




 唯一の救いは、そうした論者たちが執拗にローカル線廃止を煽っても、世論の賛同をそれほど得られていないことである。これがインターネット上だけの特殊事例でないことは、NHKが今年5月に行ったローカル線に関する世論調査からも明らかだ。「国や自治体が財政支援をして維持すべき」「廃線にして、バスなどに切り替えるべき」がともに44%ずつと真っ二つに割れた。半分がバス転換容認であることに危機感を覚える一方、7~8割が廃線を容認すると思っていた私にとって、半分が維持を求めたことは嬉しい誤算だった。「鉄道が廃止されたら町が寂れる。高校生が町から出て行き、お年寄りは病院に通えなくなる」という地元住民の数値化できない「肌感覚」も、「自称専門家」が繰り出す輸送密度などのもっともらしい数字と同じ程度には世論に支持されているとわかったことは、今後に向けた希望といえる。普段は空気のように見えなくさせられている医療などの公共サービスが、新型コロナ感染拡大という最も肝心な局面で利用できなかった「失敗」を通じ、新自由主義に対する「反省」が広がっているのだとしたら結構なことである。

 政財官界からも、鉄道150年に当たって何かのメッセージが発せられたという話はついに聞かなかった。鉄道を縮小させ、社会の片隅に追いやってきた彼らが発するメッセージを持たなかったことに驚きはない。結局、支配層、エスタブリッシュメントと呼ばれる人たちの中から発せられた、鉄道150年に関するメッセージで傾聴する価値があるのは次のものくらいだろう。

 『鉄道は、人々の交流や物流を支える大切な輸送手段の一つで、輸送量当たりの二酸化炭素排出量の少ない、環境への負荷が小さい交通機関としても注目されています。鉄道の安全性や利便性を向上させ、将来の世代につなげていくことは、重要なことと考えます。鉄道に関係する皆さんのたゆみない努力が実を結び、わが国の鉄道が難しい状況を乗り越え、引き続き人々に親しまれながら、暮らしと経済を支えていくことを期待します』。

 これは、鉄道開業150年記念式典での天皇の「おことば」である。本欄で紹介する価値を持つ鉄道150年メッセージが天皇の「おことば」しかない現状は悲しむべきことである。天皇制に対しては本誌読者にもいろいろな立場があると思うが、この言葉はきわめて抽象的ながらよく練られており、鉄道が置かれている現状を的確に表している。さしあたり、私たちが取り組まなければならないのは「人々に親しまれる」鉄道を取り戻すこと、「安全性や利便性を向上させ、将来の世代につなげていくこと」であろう。

 同時に私は、鉄道150年だからこそ市民にもあえて苦言を呈したい。ローカル線もまた公共交通だという認識を持てず、日頃は乗りもしないまま、イベント時だけの「乗れる鉄道模型」程度にしか思っていない日本の市民が大半であるように私にはみえる。NHKに「廃線にして、バスなどに切り替えるべき」と答えた半数の市民には今こそ意識変革を求めたい。

(2022年12月10日)

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全国のJRが赤字区間を公表~JRの「これまで」と「これから」

2022-11-05 23:24:24 | 鉄道・公共交通/交通政策
(以下の記事は、11月3日(木・祝)、札幌学院大学で開催された日本科学者会議北海道支部主催「2022年北海道科学シンポジウム~北海道の地域振興の道は? -JR問題と原発問題から考える-」での発表に先だってまとめた「予稿」をそのまま掲載しています。このシンポジウムでは、原発問題を小田清・北海学園大学名誉教授、JR問題を当ブログ管理人が担当しました。)

 人口の多い大都市圏を抱え、これまで経営的に順調と思われてきた鉄道事業者に、コロナ禍で異変が起きている。JR北海道だけは、すでに2016年11月、「自社単独では維持困難」な10路線13線区を公表しており、まもなく6年が経過する。しかし、2022年に入って以降、JR東海を除く全JRが赤字区間を公表するに至っている。鉄道事業者がどのように表面を言い繕おうとも、赤字路線・区間の公表は廃止に向けた最初の意思表示であり、日本の鉄道史を紐解くと、その後はほとんどが廃線に至ってきた。この歴史を繰り返してはならない。

 私たちはそのために何をすべきか。現状分析と今後の方途を考える。結論を初めに述べておくと、筆者は今後、鉄道が生き残るためにはこれまでと異なる新たな役割の付与が必要であり、それは3つの「K」(環境・観光・貨物)にあると考える。本稿ではこのうち環境と貨物について述べる。

1. 環境対策、人手不足対策としての鉄道
(1)CO2排出量削減の手段としての鉄道


 日本では、全CO2 排出量の1/5 を運輸部門が占め、運輸部門のCO2 排出量の86.2 %を自動車が占める。鉄道は自動車に比べ、輸送量当たりCO2 排出量が旅客輸送で 7 分の 1 、貨物輸送ではなんと 55 分の 1である。「環境に優しい」鉄道の特性は、旅客輸送より貨物輸送の分野でこそ発揮されるといえる(「2018年度交通政策白書」より)。当研究会の独自試算でも、貨物輸送を自動車(2t車)から鉄道(500t列車)に転換した場合、列車1 本当たり輸送量は小型トラック 1 台当たりと比較して 250 倍に増えるのに、そのために必要なエンジン出力はトラック1台(100馬力)から国鉄DD51型ディーゼル機関車(2200馬力)に代えたとしても22 倍にしか増えない。

 持続可能な環境を作るには車を減らすことが必要である。貨物輸送のモーダルシフトにより CO2 排出を大幅に減らすことが可能になる。

(2)トラック運転手減少対策としての鉄道

 トラック運転手減少対策としても、モーダルシフトは避けて通れない課題である。国がこの危機を予想していたのに対策を講じなかったことを示す資料がある。「輸送の安全向上のための優良な労働力(トラックドライバー)確保対策の検討報告書」(2008年9月、国交省自動車交通局貨物課資料)である。これによれば、3つの予測パターンのうち、最も好況で推移した場合、基準年度(2003年)における全国の必要運転手数は823,704人から2015年には892,020人に増加するが、運転手供給数は逆に742,190人に大幅に減少。149,830人もの運転手不足が見込まれると予測している。国は、こうした事態を7年も前から見越していたのである。

 トラック運転手の有効求人倍率を見ると、コロナ前は2.7 倍(2016年12月)もあった。2.7 件の募集に1人しか応募がないことを意味する。人手不足、過重労働、事故、遅配の「物流危機」が、コロナ後に再び問題となることは確実である。

 過疎化のため全国に先駆けて危機が進む道内はさらに危機的状況である。トラック運転に必要な大型二種免許保有者は 2001~2016年の15 年間で 15 %(ほぼ年1 %ずつ)減少。免許保有者の8割を50 歳以上が占める。「3K」職場の上、低賃金では若者は就きたがらず、今後も減少は必至だ。

 運ばれる貨物の変化も背景にある。かつては産業用製品など「重厚長大、少品種、同一方向」への輸送が中心で、物流業界にとって利幅が大きかったが、最近は宅配便など「軽薄短小、多品種、多方向」への輸送がメインを占めるようになった。その結果、手間ばかりかかる割にはまったく儲からないという状況が生まれている。トラック運転手の低賃金是正が叫ばれながら実現しない背景に、こうした物流業界を取り巻く環境の変化がある。

 「モーダルシフト」(貨物輸送の道路から公共交通への転換)は筆者が若い頃からもう半世紀近くいわれているが実現していない。荷主から発地の貨物駅まで、着地の貨物駅から最終配達先までは結局、自動車が必要であり、「それなら全区間、自動車でいい」という物流業界の「自主性」に任せきりにしていた行政の怠慢が原因である。

 これまでと同じように、運転手を長期間拘束する長距離輸送の分野をトラック任せにしていては、減る一方のトラックドライバーの適正配置は今後、不可能となる。中長距離輸送は鉄道や海運を中心とする。トラック輸送は最寄りの港や貨物駅と配達先まで(または荷主から)の「ラスト・ワンマイル」だけを担う。そのような方向に物流政策を転換させる必要がある。

 JR貨物発足当時、専用トラックを直接貨車に乗せて運ぶピギーバック輸送が行われていた時期がある(トラックを鉄道貨車に乗せられるサイズに収めた結果、少しでも積載量を増やすため天井が丸みを帯びた形状になり、それが豚の背中(Piggie Back)に似ていたことからこの名がついた)。CO2 を減らし、運転手不足時代に備えるため、その価値を再確認する時期に来ている。

<写真>ピギーバック輸送(撮影:岩堀春夫さん)


 交通問題専門家・上岡直見さんは「JRに未来はあるか」(緑風出版)の中で、JR貨物が道路輸送を代替することで年間1兆4千億円の外部経済効果を生んでいると指摘する。この場合の外部経済効果とは、大気汚染・気候変動・騒音・交通事故・道路混雑の緩和を意味する。国鉄末期、国は鉄道貨物安楽死論に等しい議論の下、国鉄の貨物輸送を大幅に縮小させたが、一度手放した貨物駅跡地は再利用されているため、もう一度貨物駅を復活させたくてももはや不可能である。『国鉄分割民営化と、それにともなう鉄道貨物システム縮小は後世に悔いを残す愚策』(同書)であった。

2.新たな役割(復活する役割)―貨物輸送

 青森~函館~札幌間は、貨物列車が旅客特急列車の約2倍の本数を誇る。津軽海峡を越えて輸送される貨物は1日当たり25,500 tに上る。青函トンネルでは、新幹線が貨物列車のために減速運転するほどである。現在、新幹線のスピードアップのため青函トンネル区間で貨物輸送をやめる案が検討されているが、これだけの量をトラック(10t車)で置き換えた場合、青函区間では1日当たり車両延べ2,550 両、運転手もそれと同じ延べ2,550人が新たに必要になる。前述の通り、運転手は減る一方なのに、これだけの数の運転手も車両もどこにあるというのだろうか。

 コロナ前まで、外国人観光客に湧いていた日本では、観光バスもトラックも不足し、車両不足で宅配便が配達できない、バスに至ってはバス会社がメーカーに車両を発注しても納車に最大1年待ちの事例すらあった。「荷物があるのに誰も運んでくれないまま、北見で穫れたタマネギが腐っていく」――これが私たちの望む「未来」なのだろうか。

 道内では、食料品輸送において鉄道貨物の果たす役割は大きい。「JR北海道に対する当会のスタンスについて」(2017年5月、北海道経済連合会)によれば、道内~道外の輸送シェアのうち豆類50%、野菜類47.6%、タマネギに至っては67.6 %を鉄道が占める。2016年、北海道に4つの台風が上陸し、首都圏でタマネギなど野菜が高騰、ポテトチップスが棚から消え「ポテチショック」といわれた。

 一方で、「日本一の赤字線」といわれた美幸線の1974年度における営業係数(100円を稼ぐために必要な費用)は3,859円であるのに対し、最も儲かる路線である東京・山手線の1980年度における営業係数は48円。経費の倍以上の儲けが出る路線であった。国鉄時代は東京が北海道の鉄道を支える代わり、北海道が東京の「食」を支えていたのである。

 国鉄分割民営化で東京は地方の鉄道を支えなくなる一方、地方に対する東京からの「収奪」構造は変わらず残った。農林水産省が毎年公表している都道府県別食料自給率では、北海道は200%を超えるのに対し、東京はわずか1%である。首都圏の「食」を誰が支えているのか。地方からの収奪を当然の前提と考えている首都圏とその住民に、そろそろわからせるときが来たのではないだろうか。

 再び全国に視点を戻す。「令和2(2020)年度宅配便(トラック)取扱個数(国土交通省調べ)」によると、宅配便輸送量は、調査開始した1985年以降「右肩上がり」で推移している。乗客が減る一方でも荷物は増える一方であり、人が乗らなくても貨物がある。大量輸送、定時輸送、安定輸送に向く鉄道は貨物輸送にこそ活路がある。

 鉄道貨物を復活する上で障害もある。現行JRは、旅客列車は上下一体で、貨物は上下分離という変則的な形態である。線路を保有する旅客会社が自社優先でダイヤを編成するため、貨物列車が有利な時間帯に列車を設定できず、自動車に対して競争力を失っている現状がある。線路を持つ旅客会社が赤字線の廃線を提起しても、線路を借りる立場のJR貨物は対抗できないことが、北海道内の「5線区」や函館本線「山線」協議の過程で浮き彫りになってきている。

 線路をJR旅客会社の所有から国または自治体の所有に変更すれば、旅客・貨物が同じ条件となる。旅客列車より貨物列車を走らせる方が有利と考えられる路線、時間帯にはそのようなダイヤ編成も可能になる。ガラガラの線路も旅客列車が赤字というだけでの廃線は不可能となり、貨物列車を走らせ有効活用する方向に変わる可能性も生まれる。

 単線などの理由で列車本数を増やせない地方線区では、かつてのように1本の列車に客車と貨車を連結する「混合列車」の復活もひとつの方法だ。その際、JRの枠組みは今のままでよいか再検討も必要である。混合列車を復活するためには貨物が別会社の現行JRから、上下分離のほか、国鉄時代のように客貨一体に戻すことも必要であろう。

 2021年12月、徳島県と高知県を結ぶ阿佐海岸鉄道の一部区間(高知県側)で、世界初のDMV(鉄陸両用車両)の運行が始まった。この車両の開発は、もともとJR北海道が手がけたが、資金難で頓挫し、その後、四国で実現したものである。観光輸送に特化する形での運行だが、観光は水物でありコロナなどの有事に弱いことが明らかになった。むしろ、このような車両は貨物輸送にこそ向いている。宅配便を集荷して車両ごと道路から線路に乗る。目的地の駅で再び線路から道路に下りる。線路と道路の境界駅で、鉄道運転士とトラック運転手が車両ごと引き渡しをすれば、荷物の積み替えもなく効率的な輸送が可能になる。

<写真>阿佐海岸鉄道のDMV(当ブログ管理人撮影)


 新幹線貨物の検討も始まっている。JR発足時と異なり今は新幹線が函館~鹿児島をカバーしており、客貨一体に戻せば新幹線で貨物輸送ができる。「函館で獲れた新鮮なイカをその日の夕方に鹿児島の繁華街・天文館の料亭で食べる」などということが、可能な時代がすでに来ている。乗客が減る一方のローカル線に明るい話題は少ないが、貨物輸送には明るい未来がある。

 JR九州初代社長の石井幸孝さんは、鉄道を「平時の旅客、有事の貨物」と表現する。確かに、少子高齢化、コロナ禍、ウクライナ戦争と内憂外患の有事である。これらは国内・国際情勢の構造的要因が複雑に絡み合う形で引き起こされており、有事は当分、続くであろう。貨物のために線路を残せば、人も利用できる。これからの鉄道は「貨物が主、乗客は従」くらいの発想でよいし、それくらいの大胆な発想の転換が必要である。

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かつてない哀しみの中で迎えた鉄道150年 再生か衰亡か? 今岐路に

2022-10-25 22:46:03 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2022年11月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 ●「災害がなくてもすでにズタズタ」技術も散逸し……

 「汽笛一声新橋を はや我が汽車は離れたり」……鉄道唱歌にも歌われている日本初の鉄道が、新橋~横浜間に開業してから今年10月14日で150年になる。だが、日本各地に祝賀ムードは全くない。毎年、10月のこの時期になるとイベントを開催していた鉄道会社も、災害多発による業績悪化に加え、「非常識鉄道ファンの暴走」ばかりの現状に嫌気がさしたのか、ここ5年ほどはほとんどイベントも開催されなくなった。

 かくいう筆者も、国鉄分割民営化の時点で鉄道、特にローカル線の衰退は予想していたものの、このメモリアルイヤーをこれほどまでの哀しみをもって迎えなければならないとは正直、予想を超えていた。もしも今、国鉄がそのまま残っていれば、国鉄主催で様々なイベントが企画されたであろうし、「鉄道150周年記念国鉄全線10日間フリーきっぷ(1セット10万円)」発売くらいのことは行われ、全国の駅は利用客でごった返していたに違いないと想像すると、35年前に行われた「改革」とやらの罪深さが改めて浮き彫りになる。

 国鉄「改革」を今でも成功だと思っている人たちは、今の鉄道危機は会社分割のせいではないと主張するに違いない。この点について、アジア各国の鉄道を乗り歩き、レポートしている自称「アジアン鉄道ライター」高木聡さんはこう鋭く指摘する。『(国鉄改革の結果)国土の骨格たる鉄路を守ることができなかった。地域ごとに鉄路は分断され、整備新幹線開業による並行在来線化でそれはますます顕著になっている。災害が起きずとも、既に日本の鉄道はズタズタだ。一見、線路はつながっているように見えても、JR各社のみならず、最近は路線ごとに別々の信号やオペレーションのシステムを有し、国鉄型車両が減少し、各社独自設計のものが増えた結果、各線を相互に乗り入れることも難しくなりつつある』。1990年代以降、日本製鉄道車両の海外輸出が減り、ここ10年くらいは海外鉄道への車両輸出をめぐる入札でも日本企業は連戦連敗を続けている。これも『国としての技術が各社に散逸』した結果であり『少なからず国鉄解体も絡んでいる』と高木さんは断言する(注1)。

 実際、日本では1990年代から2000年代初めにかけ、国鉄再建法の成立で工事凍結となっていた建設予定線の「凍結解除」に伴うローカル新線開業が続いた時期もあった(秋田内陸縦貫鉄道、智頭急行、阿佐海岸鉄道、土佐くろしお鉄道の延伸など)が、この時期を例外としてローカル線は縮小の一途をたどった。ローカル線向け鉄道車両メーカーはどんどん撤退し、新潟鐵工のように倒産してしまった企業さえある。日本の車両メーカーは新幹線と大都市圏の電車に得意分野が偏っており、海外の鉄道会社が求める需要にマッチしていないため、思うように売り込みができないでいる。

 こうした事態は国鉄分割民営化が議論された1980年代からある程度予想されていた。研究開発・安全管理部門と鉄道の現場部門が同じ国鉄の組織内にあるからこそ、日常の鉄道運行で得た知見、事故の経験や教訓が研究開発部門や安全管理部門にも共有され、安全対策の向上や「さらなる高み」を目指した研究開発に生かされる。現場部門がJR各社、技術開発部門が鉄道総合技術研究所(JR総研)に分割されることで、こうした情報共有ができなくなるのではないかと危惧された。

 つい最近も、フリーゲージトレイン(注2)の開発に失敗した結果、博多~長崎間全面開通のめども立たないまま、西九州新幹線が武雄温泉~長崎間だけの「孤島」の形で開業せざるを得なかった。新幹線のような時速200kmを超える高速度でのフリーゲージトレインの実用化例は世界的に見ても存在せず、できないことをできると強弁して開発を強行しているのではないかと危ぶむ識者の声も当初からあった。こうした事態は現場部門と技術開発部門が連携していれば防げた可能性もあり、筆者はこの失敗も国鉄のままなら考えられなかったと思う。JR総研自体、研究発表をやめたわけではないものの、一般メディアで話題に上る姿ももう何十年も見ていない(これには、科学リテラシーを持つ記者がほとんどいないというメディア側の問題も大きい)。

 ●一気に騒がしくなったローカル線

 ローカル線に関しても『コロナ禍を機に、日本国内の鉄道はさらに「見直し」が進んでいるが、鉄道会社任せ、地方自治体任せで国の積極的な介入が見られない。それどころか、線路を剥ぐこと、細分化していくことしか考えていないように見える』と高木さんは指摘する。これは大半の市民が感じていることでもある。

 最近の鉄道や公共交通に関する議論を見ていると、公共交通が市民に頼りにされておらず、特に地方鉄道は移動手段として選択肢の1つにすらなっていないように感じられる。鉄道は「SLやイベント列車が走るときに乗りに行くもの」「外国人観光客が乗るもの」になってしまっており、地元住民の日常移動はすべて車。ひどい人になると、自宅の前にバス停があることすら知らなかったというケースも珍しくない。

 筆者は、2006年にヨーロッパ数カ国を回ったが、地域の拠点駅や公共施設の周辺には自動車乗り入れを禁止している都市も多い。公共交通をどんなに便利にしても「ドアツードア」の自動車には勝てないのだから、これからのまちづくりはヨーロッパのようにあえて「車を不便にする」方向に切り替えるべきである。

 『各旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社の輸送の安全の確保及び災害の防止のための施設の整備・維持、水害・雪害等による災害復旧に必要な資金の確保について特別の配慮を行うこと』――1987年11月、国鉄改革関連8法案が参院で可決・成立した際の附帯決議にこのような1項目がある。「鉄道ジャーナル」11月号に、地方の人から「鉄道は雨や風ですぐ止まり、大事な用事では使えない」と言われる、と鉄道の現状を憂える株式会社ライトレール・阿部等社長のコメントが掲載されている。こうした事態を招いたのは附帯決議を政府が放置したからだ。自民党にとって道路は票になるが鉄道はならないからだと、この間、多くの人に聞かされた。国民が切実に存続を願っている社会インフラを朽ち果てるまで放置しながら、票と金のためなら悪魔やインチキカルト宗教とも平然と手を組んで恥じない自民党。この際、国鉄のように自民党も「分割・民営化」し、従わない者は「自民党清算事業団」にでも送った方が日本のためになる。

 前述した高木聡さんの論考でも明らかなように、鉄道を知悉する人材が分割民営化によって育たなくなった。鉄道を再建しようにも、そのための人材が払底していることを筆者は最近痛感する。150年前の鉄道黎明期、多くの人材がヨーロッパ諸国に学んだように、今こそ鉄道再建に成功している海外の知見に率直に学ぶときだと考える。

 情けないのはJRの労働組合や鉄道ファンも同じである。鉄道縮小は労働組合にとっては職場が縮小すること、鉄道ファンにとっては趣味活動の対象が縮小することを意味しているのに、全く鉄道再建を求める声が上がらない。報道されるのは内輪の論理に汲々とする労働組合、非常識な「撮り鉄」の話題ばかりで嫌になる。

 鉄道150年。メモリアルイヤーを通じて見えてきたのは、鉄道衰退から再建へ向け道筋を描く困難さである。狭い列島に小さな鉄道会社ばかりがひしめき、技術・人材から列車運行に至るまで何もかもバラバラの現状。ほとんどが問題意識も持てないJR労組、趣味活動に逃げ込み非常識な行動を繰り返すだけの「マニア」、動こうとしない政治・行政、鉄道なんて自分は乗らないからどうでもいい一般市民……「複合的要因」が重なり合う鉄道衰退の困難な背景が見えたからだ。それだけに「こうすれば再建できる」という特効薬もありそうになく、苦悩だけが深まっている。

 ローカル線見直しの動きは続いている。JR西日本に続いて、7月28日にはついにJR東日本までが赤字線区を公表。翌29日、朝日・毎日・読売の全国主要3紙の1面トップをローカル線問題が飾った。これに先立つ7月25日には、国交省「鉄道事業者と地域の協働による地域モビリティの刷新に関する検討会」によるローカル線問題に関する提言も公表され、ローカル線周辺が一気に騒がしくなってきた。

 全国に先駆けて、2016年11月に北海道で「自社単独では維持困難」10路線13線区が公表されてから早くも5年半。北海道の「地域問題」に押し込められ、道外ではどんなに訴えても理解してもらえなかったローカル線問題がようやく全国課題になるのだと思うと、身が引き締まる思いがする。北海道ではローカル線維持を求める闘いはすでに終局ムードだが、全国レベルで言えば、ようやくスタートラインに立つのだ。

 ●「鉄道40年周期説」

 ところで、日本の鉄道の歴史を紐解いていくと「ある法則」が見えてくる。

 今年は1872年に日本初の鉄道が開業してからちょうど150年に当たる。新橋(現・汐留)~横浜で開業したのは官設鉄道だったが、その後は民間による鉄道建設を政府が認めたことによって、現在の全国鉄道網を形作る主要幹線の多くが民間の手によって建設された。

 日露戦争で日本はなんとか勝つには勝ったが、鉄道会社の境界駅で貨物が何日も運ばれないまま放置されるという事態が頻繁に起きた。この事態を重く見た軍部が、バラバラに別れていた鉄道会社の統合を強く主張する。1906年3月27日、第22回帝国議会衆院本会議は、西園寺公望内閣提出の鉄道国有法案を強行採決で成立させた。「鉄道時報」は裁決時の衆院本会議場の様子を「怒号叫喚」と報じている。

 次の変化は敗戦後に訪れる。侵略戦争遂行に官営鉄道が果たした役割を問題視したGHQ(連合国軍総司令部)が、鉄道の意思決定を政府から切り離すよう要求した。当時、官営でなければ民間企業の形態しか知らなかった日本政府は民営化を計画するが、敗戦後の経済混乱で全国民がその日暮らしの状況の中、金のかかる鉄道の経営に乗り出す民間企業など現れるはずもない。結局、米国で採用されていた公共企業体方式の導入をGHQに提案された日本政府は、他に妙案があるわけでもなくこれを受け入れる。1949年6月1日、日本国有鉄道発足式では、当時の運輸大臣が職員に対し、諸君はこれから運輸省の役人ではなく「パブリック・コーポレーション」の社員として職務に当たるよう訓示している。

 そして、本誌の大方の読者が記憶している次の大変革は1987年4月1日の国鉄分割民営化である。1872年の鉄道開業から1906年の全面国有化まで34年、ここから1949年の公共企業体発足まで43年。公共企業体が再度分割民営化される1987年までが38年。日本の鉄道は、おおむね40年周期で経営形態を大きく変えてきたことがわかる。私はこれを「鉄道40年周期説」と名付けたいと思う。

 日本全体で見ても、明治維新のどん底(1868年)から日露戦争勝利(1905年)まで37年。太平洋戦争敗戦(1945年)でどん底に落ちた日本は1985年に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われる頂点に立つ。山から次の山まで、谷から次の谷までが80年であることから、歴史家の半藤一利さんは生前これを「日本80年周期説」と呼んだ。しかし、山と谷を40年周期で繰り返している点では鉄道と同じ40年周期であるとの評価もできる。要するに鉄道の経営形態の変革は、日本社会全体の山と谷による40年周期を数年遅れで追っているのである。

 1985年を頂点とする半藤説に従うと、日本社会が迎える次のどん底は2025年となる。原発事故、コロナ、ウクライナ戦争と苦難が続く中、日本人の人心荒廃と劣化を目の当たりにすることが増え、確かにここ数年は閉塞感、終末感がかつてなく強まっている。なぜ80年周期なのかについて、半藤さんは多くを語らないまま旅立ったが「人間は、……与えられた、過去から受け継いだ事情のもとで(歴史を)つくる」(「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」マルクス)という歴史書の記述を意識するなら、人生80年といわれる今日、ちょうどその長さに匹敵する時間を単位として歴史が次の局面に移行するのだと考えてもそれほど大きくは外れていないだろう。

 鉄道に話を戻すと、もうひとつ重要な点がある。民営鉄道から国有化へは、会社境界駅での滞貨に業を煮やした軍部主導で変化した。官設鉄道から公共企業体への変化は、国家意思と軍事輸送を分離するよう求めるGHQの意向が大きかった。国鉄分割民営化は、モータリゼーションの進行によって鉄道貨物の地位が急低下する中、財界主導で起きた。過去、40年周期で3回起きた鉄道の経営形態の変化からは、いずれも(1)旅客ではなく貨物輸送の行きづまりを直接の契機としている、(2)軍部、GHQ、財界など、その時代において鉄道当局が抗うことのできない絶対権力者からの「天の声」によって行われる一方、鉄道当局みずからは受け身で一度も主導的役割を果たしていない――という2点が見える。

 もし歴史が繰り返すなら、鉄道40年周期説における「次」の節目、すなわち2027年頃を目標として、JRグループの「次」をめざす動きがよりはっきりしてくるだろう。本稿で取り上げた一連の出来事も「次」への予兆と見て間違いない。今回も事態は旅客輸送よりも貨物輸送、鉄道当局自身よりも外的要因によって動くだろう。

 このように分析すると「次」がどのような形を取って私たちの前に現れるかが見えてくる。旅客輸送は上下一体、貨物だけが上下分離という変則的な分割形態の是正が「次」の主要テーマになる。上下一体を維持するか「下」のみにとどまるかは別として、地域6社分割の弊害を是正する方向での変化となるであろう。主導権を誰が握るかはまだ見えないが、少なくとも国交省やJRグループ自身でないことだけは確かだ。これ以上の廃線を避けたい地方、災害で鉄道が運休するたびに荷物が停滞して被害を受けている物流業界、脱炭素を求める「外圧」、ウクライナ戦争を受け鉄道による軍事輸送のオプションを残したい防衛省などの意向が複雑に絡み合い、事態は進行していくと予想する。

 ●元国労闘争団員も「路線存続をあきらめない」

 こうした中、筆者は、9月22日18時から北海道新得町で開催された「根室本線の災害復旧と存続求める意見交換会」(主催―根室本線の災害復旧と存続を求める会)に参加した。根室本線は、2016年の台風災害以来、東鹿越(ひがししかごえ)~新得で今もバス代行が続き、この区間を含む富良野~新得の廃線が提起されている。

 意見交換会は、コロナ禍による中断を挟みながら年1~2回開催されている。地元住民の廃線反対の意思を確認する重要な場だ。

 会の事務局長を務める佐野周二さんは、国鉄分割民営化の際JRに採用されなかった元国労帯広闘争団員。被解雇者が雇用・年金・解決金を求め、国鉄の法的後継法人、日本鉄道建設公団を提訴した「鉄建公団訴訟」の原告だった。佐野さんにとって根室本線の廃線提起は、自分の雇用を奪うことで発足したJR北海道が今度は地元の足を奪おうとする「第2の攻撃」だ。

 意見交換会では、平(ひら)良則代表が「JRは復旧のため何もせず、私たちが諦めるのを待っているだけ。彼らが諦めるのを待っているなら私たちは諦めない」と決意表明した。

 労組動員もなかったが、参加者は50人近くに上り、前回を上回った。貨物輸送や観光輸送に鉄路を役立てようとの意欲的「対案」も参加者から出された。

 JRが2016年11月に廃線提起した5線区のうち廃止届が出されていないのはここだけ。「住民と行政が連携しないと本当に廃線になる」(参加者)との危機感は強い。一方、他の4線区がすべて盲腸線(行き止まり路線)だったのに対し、この区間の廃線はつながっている線路を断ち切って直通できなくするもので影響は比較にならない。

 意見交換会に先立つ22日14時半から、北海道十勝総合振興局(帯広市)に根室本線存続と災害復旧を求める要請行動を行った。JR同様に何もしていない道庁の眠りを覚ますため、要請書には「JRを指導することは道の基本的責務」と書き込んだ。40分近くに及んだ要請。振興局は神妙な面持ちで「道庁本庁に上申する」と約束した。

 国鉄闘争終結から10年。元支援者(筆者)と鉄建公団訴訟原告が再び連帯する闘いの形を作った。

 意見交換会では安倍国葬反対署名が28筆集まった。根室本線は10・5億円あれば復旧できるのに、安倍国葬に16億も使う政府。地元の怒りは噴出して当然だ。

注1)「日本の鉄道」はもはや途上国レベル? 国鉄解体の功罪、鉄路・技術も分断され インフラ輸出の前途も暗い現実(Merkmal)

注2)フリーゲージトレインとは、軌間可変式電車;標準軌(新幹線や一部私鉄に採用されている1485mm軌間)と、狭軌(JR在来線に採用されている1067mm軌間)を直通できる車両のこと。

(2022年10月22日)

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<地方交通に未来を(7)>かつてない哀しみの中で迎えた鉄道150年

2022-10-13 22:30:04 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 「汽笛一声新橋を はや我が汽車は離れたり」……鉄道唱歌にも歌われている日本初の鉄道が、新橋~横浜間に開業してから今年10月14日で150年になる。だが、日本各地に祝賀ムードは全くない。毎年、10月のこの時期になるとイベントを開催していた鉄道会社も、災害多発による業績悪化に加え、「非常識鉄道ファンの暴走」ばかりの現状に嫌気がさしたのか、ここ5年ほどはほとんどイベントも開催されなくなった。

 かくいう筆者も、国鉄分割民営化の時点で鉄道、特にローカル線の衰退は予想していたものの、このメモリアルイヤーをこれほどまでの哀しみをもって迎えなければならないとは正直、予想を超えていた。もしも今、国鉄がそのまま残っていれば、国鉄主催で様々なイベントが企画されたであろうし、「鉄道150周年記念国鉄全線10日間フリーきっぷ(1セット10万円)」発売くらいのことは行われ、全国の駅は利用客でごった返していたに違いないと想像すると、35年前に行われた「改革」とやらの罪深さが改めて浮き彫りになる。

 国鉄「改革」を今でも成功だと思っている人たちは、今の鉄道危機は会社分割のせいではないと主張するに違いない。この点について、アジア各国の鉄道を乗り歩き、レポートしている自称「アジアン鉄道ライター」高木聡さんはこう鋭く指摘する。『(国鉄改革の結果)国土の骨格たる鉄路を守ることができなかった。地域ごとに鉄路は分断され、整備新幹線開業による並行在来線化でそれはますます顕著になっている。災害が起きずとも、既に日本の鉄道はズタズタだ。一見、線路はつながっているように見えても、JR各社のみならず、最近は路線ごとに別々の信号やオペレーションのシステムを有し、国鉄型車両が減少し、各社独自設計のものが増えた結果、各線を相互に乗り入れることも難しくなりつつある』。1990年代以降、日本製鉄道車両の海外輸出が減り、ここ10年くらいは海外鉄道への車両輸出をめぐる入札でも日本企業は連戦連敗を続けている。これも『国としての技術が各社に散逸』した結果であり『少なからず国鉄解体も絡んでいる』と高木さんは断言する(注)。

 実際、日本では1990年代から2000年代初めにかけ、国鉄再建法の成立で工事凍結となっていた建設予定線の「凍結解除」に伴うローカル新線開業が続いた時期もあった(秋田内陸縦貫鉄道、智頭急行、阿佐海岸鉄道、土佐くろしお鉄道の延伸など)が、この時期を例外としてローカル線は縮小の一途をたどった。ローカル線向け鉄道車両メーカーはどんどん撤退し、路面電車メーカー・新潟鐵工のように倒産してしまった企業さえある。日本の車両メーカーは新幹線と大都市圏の電車に得意分野が偏っており、海外の鉄道会社が求める需要にマッチしていないため、思うように売り込みができないでいる。

 ローカル線に関しても『コロナ禍を機に、日本国内の鉄道はさらに「見直し」が進んでいるが、鉄道会社任せ、地方自治体任せで国の積極的な介入が見られない。それどころか、線路を剥ぐこと、細分化していくことしか考えていないように見える』と高木さんは指摘する。これは大半の市民が感じていることでもある。

 最近の鉄道や公共交通に関する議論を見ていると、公共交通が市民に頼りにされておらず、特に地方鉄道は移動手段として選択肢の1つにすらなっていないように感じられる。鉄道は「SLやイベント列車が走るときに乗りに行くもの」「外国人観光客が乗るもの」になってしまっており、地元住民の日常移動はすべて車。ひどい人になると、自宅の前にバス停があることすら知らなかったというケースも珍しくない。

 筆者は、2006年にヨーロッパ数カ国を回ったが、地域の拠点駅や公共施設の周辺には自動車乗り入れを禁止している都市も多い。公共交通をどんなに便利にしても「ドアツードア」の自動車には勝てないのだから、これからのまちづくりはヨーロッパのようにあえて「車を不便にする」方向に切り替えるべきである。

 『各旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社の輸送の安全の確保及び災害の防止のための施設の整備・維持、水害・雪害等による災害復旧に必要な資金の確保について特別の配慮を行うこと』――1987年11月、国鉄改革関連8法案が参院で可決・成立した際の附帯決議にこのような1項目がある。「鉄道ジャーナル」11月号に、地方の人から「鉄道は雨や風ですぐ止まり、大事な用事では使えない」と言われる、と鉄道の現状を憂える株式会社ライトレール・阿部等社長のコメントが掲載されている。こうした事態を招いたのは附帯決議を政府が放置したからだ。自民党にとって道路は票になるが鉄道はならないからだと、この間、多くの人に聞かされた。国民が切実に存続を願っている社会インフラを朽ち果てるまで放置しながら、票と金のためなら悪魔やインチキカルト宗教とも平然と手を組んで恥じない自民党。この際、国鉄のように自民党も「分割・民営化」し、従わない者は「自民党清算事業団」にでも送った方が日本のためになる。

 前述した高木聡さんの論考でも明らかなように、鉄道を知悉する人材が分割民営化によって育たなくなった。鉄道再建の人材が払底していることを筆者は最近痛感する。150年前の鉄道黎明期、多くの人材が英国やプロイセン(ドイツ)に学んだように、今こそ鉄道再建に成功している海外の知見に率直に学ぶときだと考える。

 情けないのはJRの労働組合や鉄道ファンも同じである。鉄道縮小は労働組合にとっては職場が縮小すること、鉄道ファンにとっては趣味活動の対象が縮小することを意味しているのに、全く鉄道再建を求める声が上がらない。報道されるのは内輪の論理に汲々とする労働組合、非常識な「撮り鉄」の話題ばかりで嫌になる。

 鉄道150年。メモリアルイヤーを通じて見えてきたのは、鉄道衰退から再建へ向け道筋を描く困難さである。狭い列島に小さな鉄道会社ばかりがひしめき、技術・人材から列車運行に至るまで何もかもバラバラの現状。ほとんどが問題意識も持てないJR労組、趣味活動に逃げ込み非常識な行動を繰り返すだけの「マニア」、動こうとしない政治・行政、鉄道なんて自分は乗らないからどうでもいい一般市民……「複合的要因」が重なり合う鉄道衰退の困難な背景が見えたからだ。それだけに「こうすれば再建できる」という特効薬もありそうになく、苦悩だけが深まっている。

注)「日本の鉄道」はもはや途上国レベル? 国鉄解体の功罪、鉄路・技術も分断され インフラ輸出の前途も暗い現実(Merkmal)

 (2022年10月10日)

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今だからこそ見てほしい映像「全通した紀勢線」(昭和34(1959)年ニュース映画)

2022-09-26 19:42:20 | 鉄道・公共交通/交通政策
全通した紀勢線(昭和34(1959)年ニュース映画)※DF50型映像あり


JR東海を除くJR5社すべてが赤字線区を公表し、ローカル線の存廃に関する議論が全国で始まろうとしている今だからこそ、見てほしい映画があります。部分開通していた紀勢本線の全線がつながった当時のニュース映画です。

鉄道が開通するまで、地元の子どもたちが通学にどれだけ苦労していたか、全線開通で地元の人々がどれだけ喜んでいるかが伝わってくる貴重な記録です。

今回、JR西日本が公表した赤字線区、17路線30区間の中には、紀勢本線の一部区間も含まれています。先人たちが、これほどまでの努力を払って開通させた路線を、コロナ禍によるほんの一時の赤字のため、簡単に切り捨てていいのでしょうか。当ブログはそうは思いません。

赤字区間を切り捨て、つながっている路線を切り刻むことは、地元の人たちが再びこのような状況に戻ることを意味します。それは、鉄道会社の決算だけでは計れない、巨大な国家的損失だと思うのです。

<注>
古い時代の映像のため、ナレーションに一部、現在では不適切と思われる表現が含まれています。

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根室本線の災害復旧求め、北海道十勝総合振興局宛要請書を提出しました

2022-09-24 10:56:48 | 鉄道・公共交通/交通政策
安全問題研究会は、9月22日、「根室本線の災害復旧と存続を求める会」と共同で、北海道十勝総合振興局に対し、根室本線の災害復旧を求める要請を行いました。

「存続を求める会」の平代表、佐野事務局長、安全問題研究会代表の3人が出席し、要請書を手渡し、約40分間意見交換を実施。振興局からは「本庁へ上申する」との発言がありました。

以下、要請書の内容を全文記載します。印刷に適したPDF版は、安全問題研究会ホームページに掲載しています。

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                             2022年9月22日

 北海道十勝総合振興局長 芳賀 是則 様

                             根室本線の災害復旧と存続を求める会
                             安全問題研究会

 根室本線(富良野~新得)廃止を撤回し、災害復旧と存続を求める要請書

私たちは、これまで、JR北海道がバス転換を求めるいわゆる「5線区」のひとつである根室本線(富良野~新得)の災害復旧と存続を求めて活動を続けてきました。

同じく5線区のひとつである留萌本線について、JR北海道が先行廃止する石狩沼田~留萌間の廃止届を提出した旨が報道されています。しかし、根室本線はいまだ廃止届は出されていません。輸送密度は低くても、北海道における一大幹線であり、観光輸送の可能性を持ち、災害などの有事において代替輸送路となり得る路線をわざわざ断ち切って通行不能にすることは常識では考えられない鉄道政策の退化であり、有事におけるレジリエンス(回復力)の発揮をも困難にすると私たちは考えています。

こうしたことから、本日、下記のとおり要請を行いますので、本要請の趣旨をご理解の上、本要請書に対して文書により回答を行われるよう要望いたします。



<要請内容>
根室本線(富良野~新得)について、災害復旧させJRによる運行を再開させること。また、廃止届の提出を中止させるとともに、存続させるようJR北海道を指導すること。

【説明】
JR本州3社及び九州の完全民営化に当たって国土交通省が定めた「新会社がその事業を営むに際し当分の間配慮すべき事項に関する指針」(平成13年11月7日国土交通省告示第1622号。以下「指針」) では、JR各社は完全民営化後にあっても「現に営業する路線の適切な維持に努めるものとする」とされている(指針 II-2-イ)。

完全民営化されていないJR北海道、四国の2社については、さらに厳格な路線維持努力義務が課せられているものと考えられるが、 バス転換を求める5線区については、JR北海道は指針が定めるような維持義務を果たさず 、2016年の「維持困難線区」公表以降今日に至るまで、地元自治体が存続を諦めるまで放置して待つという姿勢しか見られなかった。こうしたJR北海道の姿勢は明確な指針違反であり、私たち2団体としては到底受け入れられない。

国土交通省「鉄道事業者と地域の協働による地域モビリティの刷新に関する検討会」は、今年7月25日、提言を公表した。この提言においても、指針を引用した上で、JR各社は「単に不採算であることや一定の輸送密度を下回っていることのみで、路線の存廃を決定すべきではない」(P.29)と明記し安易な廃線を戒めている。また、 鉄道を運行する「公共政策的な意義」(バス転換が、(1)車両や運転士の安定的な確保の点で極めて困難、(2)定時性・速達性が著しく低下、(3)渋滞を悪化させる等 、あるいは、鉄道の果たす役割が、当該地域のまちづくりや観光戦略上、必要不可欠な要素の一つに位置付けられている場合等(P.34))を有する路線には輸送密度が低くても存続があり得ることを初めて示唆するものとなっている。

根室本線は北海道における一大幹線であり、その全線にわたって、(1)アフターコロナにおける観光客の輸送、(2)石勝線などの基幹路線が災害で不通となった場合における貨物代替輸送--という公共政策的役割が期待されている。こうした根室本線の重要性をJR北海道に対して再認識させるとともに、富良野~新得間に係る廃止を撤回させるようJR北海道を指導することは、道としての最も基本的な責務である。

なお、安全問題研究会は、これまでに、鉄道線路を地方自治体が所有した場合にも、道路等と同様、地方交付税の算定・交付対象となるよう求める総務省宛要請を実施したほか、災害等の有事において貨物列車の迂回輸送の対象となり得る線区を貨物調整金の支給対象に加えるための法改正案を作成し、提案も行ってきたところである。 地域交通網維持のため、このような政策提案などを通じて道とも協力したいと考えている。

(以   上)

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ついにJR東日本までが赤字線区を公表 JR大動乱へ 鉄道網維持のため、ローカル線に新たな役割を

2022-08-21 20:15:43 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2022年9月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 新型コロナウィルスの感染拡大以降、観光業・旅行業・イベント関係業界など、「密」を前提としてきた産業の多くがキャンセルや中止の嵐に見舞われ、かつてない苦境の下に置かれてきた。鉄道業界もまた多くの運賃収入を生んでいた通勤通学客、客単価の高いインバウンドが揃って蒸発するという事態の中で、多くの事業者が赤字に陥るなど苦境が続いている。

 100年前のスペイン風邪の流行は3年程度で収束に向かった。高度成長期の国鉄でも、全体の2割ほどの儲かる路線で残り8割の儲からない路線を支えるという内部補助の仕組みがうまく機能し、赤字線問題が顕在化してくるのは1970~80年代になってからのことだ。

 だが、現在と当時を比べてみると、物の動きももちろんだが、何よりも人の動きが質量ともにまったく異なる。新型コロナ禍でも完全に人の動きを止めてしまうことは不可能である以上、コロナの流行はもうしばらく続きそうな気配が濃厚だ。

 こうした中、今年4月、JR西日本が赤字線17路線30線区を公表したのに続き、7月28日にはJRグループ最大の東日本までが35線区66区間の赤字を公表した。2016年に自社単独では維持困難として10路線13線区を公表した北海道に続くものだ。線区・区間の数だけで規模を計ると、JR西日本が北海道のほぼ2倍、東日本が西日本の2倍程度になっている。

 JR東日本の赤字線公表に先立つ7月25日には、国土交通省「鉄道事業者と地域の協働による地域モビリティの刷新に関する検討会」が提言をとりまとめ公表した。この提言では、従来、黒字基調にあったJR本州3社と九州を含め、JRグループ全社が2020年度決算で赤字となったことや、地方鉄道の98%が赤字というコロナ禍以降の厳しい実態が示された。

 『国、沿線自治体、鉄道事業者等、関係者が、ローカル鉄道を取り巻く現状をまず直視し、危機意識を共有する必要がある。その上で、関係者が一丸となって、単なる現状維持ではなく、真に地域の発展に貢献し、利用者から感謝され、利用してもらえる、人口減少時代に相応しい、コンパクトでしなやかな地域公共交通に再構築していく、という観点から必要な対策を講じていくことが急がれる』。提言はみずからの目的をこのように説明している。

 だが、長年、公共交通問題に取り組んでいる筆者からすれば、これらの課題はコロナ禍によって新たに生じたものではない。鉄道会社が暫時、実施してきた『列車の減便や減車、優等列車の削減・廃止、駅の無人化等の経費削減策や、投資の抑制や先送り等』によって『公共交通としての利便性が大きく低下し、更なる利用者の逸走を招くという負のスパイラル』が起きている。その結果、『民間事業者として許容できないレベルの大幅な赤字に陥り、将来に向けた持続可能性が失われつつある』と提言は指摘するが、これらは表裏一体の現象として高度成長期以降の半世紀ずっと続いてきた東京一極集中、地方衰退がもたらしたものである。こうした長年の歪みが、コロナ禍で加速化、可視化されたに過ぎないというのが筆者の見解である。

 ともあれ、JR東日本による赤字線区公表の翌日、7月29日の大手全国3紙(朝日・毎日・読売)は、揃って1面トップをこのニュースが飾った。北海道内で赤字線の整理が進んでも、北海道の地域課題に押し込められ、どんなに訴えても理解を得られなかった問題が、ようやく全国課題に押し上げられたのだと思うと、身が引き締まる思いがする。北海道ではローカル線維持を求める闘いはすでに終局ムードだが、全国レベルで言えば、ようやくスタートラインに立つのだ。

 ●従来の方法論では維持不可能~鉄道に新たな役割を

 1980年に制定された国鉄再建法に基づいて、輸送密度4000人未満の路線が特定地方交通線とされ、原則として国鉄からの切り離しが求められた際には、「乗って残そう○○線」運動が各地で繰り広げられた。再建法施行令で基準年度とされた年の輸送密度が4000人を上回ればいいのだから、一時的でいい、みんなで乗ってくれ、と地元主導で行われたこれらの動きは「サクラ乗車運動」と皮肉られた。だが、結局はそうした付け焼き刃の闘いのほとんどは実らず、多くが第三セクター鉄道やバスへの転換を余儀なくされた。

 ローカル線問題は、(1)鉄道を中心としたまちづくりが行われず、鉄道を地域社会の中で、あるいは国家経済の中でどのように位置づけるかについてのビジョンが国、地域、住民いずれにもない、(2)人口の地方から東京への流出が止まらない、(3)鉄道の存廃が私企業の経営の視点だけで語られ、数値化できないものを含めた公共財としての価値に対する正当な評価が置き去りにされている――など複合的な要因が絡み合った構造的なものである。これらの諸課題はそれから40年近く経過した現在も解決していないどころか、より深刻さを増している。

 赤字線の廃止を進めたい側は、しばしば「役割を終えた」ローカル線は、縮小した地域にふさわしい別の交通モード(ほとんどの場合、バスを意味している)に切り替えられるべきである、という言い方をする。筆者は一度「あなたが言う終わった役割とはどんな役割か」と尋ねたが明確な回答がなかった。このような言説は「人口数千人レベルの地域に鉄道などぜいたく。赤字を少しでも縮小させることが『公共の利益』につながるのだから、少数派は交通モードの縮小に協力せよ」という「暴力的な本音」を覆い隠すための見え透いたオブラートに過ぎない。しかし、政府トップからその日暮らしを強いられている末端庶民のほぼすべてが、骨の髄まで新自由主義と自己責任論に毒されている日本では、この説が疑いの余地もなく正しいものとして受け入れられているという厳しい現実がある。

 このような状況で「通学の高校生、免許を返納した通院のお年寄りはどうするのか」と問うても、「そんなものはバスでいい」と反論されるだけで、結局はバス転換への流れを押しとどめることはできなかった。筆者はそのことに対する悔しさ、無力さを感じながらこの半世紀の人生を生きてきた。サクラ乗車運動、交通弱者を守れと叫ぶだけの闘いでは鉄道を守れないことは、この半世紀の歴史が証明している。そして、この歴史こそが「一度、鉄道会社から廃線を持ちかけられたら、もう地元は何をやってもダメだ」というあきらめを生み、バス転換交付金を1円でも多く取ろうとする条件闘争ばかりが繰り返されてきた。

 半世紀、ずっと公共交通問題に取り組んできた筆者も、この流れを止める有効な方法があるかはわからないというのが正直なところである。だが、社会情勢の変化を注意深く観察すると、40年前との相違点も見えてくる。

 1975年、ストライキが禁止されている官公労働者がストライキ権の回復を求めて行ったスト権ストでは、国鉄のほぼ全線が8日間にわたってストップしたが、政府・経済界は他の輸送機関を総動員してこの危機を乗り切った。求めていたスト権回復は実現せず、労働側敗北で終わったこのストライキは鉄道貨物の地位低下を象徴する出来事として、その後、国鉄分割民営化に至る過程で「貨物安楽死論」とも呼ばれる鉄道貨物の整理縮小論を勢いづけることにもつながった。当時、ストップした鉄道貨物に代わって役割を果たしたのはトラック輸送だったが、こうした措置が可能だったのは、トラックによる長距離輸送という過酷な労働も担える若年層が日本の労働人口の中心を占めていたという事情が大きい。

 これに対して、現在ではバス、トラックなど大型車の運転に必要な大型2種免許の保有者は50歳以上が大半を占める。北海道内に限ると、大型2種免許保有者のうち50歳以上はすでに8割にも達しているのだ。この上、2024年には、ドライバーの年間時間外労働時間の上限が960時間に制限される。当時と同じことが現在、再び可能とは考えられない。

 『鉄道固有の特性は発揮できていないものの、鉄道を運行する公共政策的な意義が認められる場合』には『関係者が一丸となって、地域戦略と利用者の視点に立った鉄道の徹底的な活用と競争力の回復』に取り組むべきだとして、「提言」は鉄道を残す道について言及している。公共政策的な意義が認められる場合の具体例として、「提言」は『バスへの転換が、(1)車両や運転士の安定的な確保の点で極めて困難、(2)定時性・速達性が著しく低下、(3)渋滞を悪化させる等の道路交通への悪影響が見込まれる等の理由で困難、あるいは、鉄道の果たす役割が、当該地域のまちづくりや観光戦略上、必要不可欠な要素の一つに位置付けられていること』等を列挙している。コロナ禍以前から、日本全体の貨物輸送量は右肩上がりであり、「荷物があっても運ぶ人がいない」という問題があちこちで顕在化し始めている。

 運ばれる貨物も、かつては産業用製品など「重厚長大、少品種、同一方向」への輸送が中心で、物流業界にとって利幅が大きかったが、最近は宅配便など「軽薄短小、多品種、多方向」への輸送がメインを占めるようになった結果、手間ばかりかかる割にはまったく儲からないという状況が生まれている。トラック運転手の低賃金是正が叫ばれながら実現しない背景には、こうした物流業界の変化がある。

 こんな時に「大量性、定時性、安定性」を持つ鉄道を有効利用しなくてどうするのだろうか。公共交通機関を、採算を度外視できる新しい事業形態に変える必要がある。鉄道を上下分離し「下」(線路保有・管理)を国や自治体の管理とする。あるいはJRを再国有化するなどの再建・改革案は、この意味からも今日、正しい方向性といえるのである。

 運転手を長期間拘束する長距離輸送の分野をトラック任せにしていては、減る一方のトラックドライバーの適正配置は不可能だ。中長距離輸送は鉄道や海運を中心とする。トラック輸送は最寄りの港や貨物駅から配達先までの「ラスト・ワンマイル」だけを担う。そのような方向に物流政策を転換させる必要がある。このとき、貨物輸送のためローカル線が生きてくる。極端に言えば、これからのローカル線は貨物輸送をメインとし、旅客に関しては、貨物のついでに乗せてやる程度でいいと筆者は考えている。

 単線で行き違い設備も少ないなど輸送力に余裕のないローカル線では、客車と貨車を同一編成に連結する混合列車の復活を検討してみてもいいだろう。混合列車を運転するためには、現在のような旅客・貨物が別の会社という体制では不都合が多く、この意味からもJRグループの再編は急務であるといえるのである。

 ●災害時の迂回輸送ルートとしてローカル線の活用を

 過去30年に限定しても、日本では阪神・淡路大震災、東日本大震災という2度の大災害を経験した。阪神・淡路大震災では、大動脈の山陽本線が長期間寸断されたが、この際、福知山線や播但線を使った貨物列車の迂回輸送が行われた。東日本大震災でも、東北本線・常磐線など首都圏と東北地方を結ぶ基幹路線は全面的に寸断されたが、数日で磐越西線(新潟~福島県郡山市)が復旧。根岸製油所(横浜市)からいったん上越線で新潟に出て、磐越西線で再び東北本線に戻るルートで、燃料用石油の迂回輸送が実施された。東北地方の3月はまだ真冬であり、このまま長期間石油の輸送ルートが途絶すれば凍死者が出かねない危機だった。

 石油輸送の行われた磐越西線は、東日本大震災の起きる10年ほど前まで実際に貨物輸送が行われていたことが役立った。だが、旅客輸送に関していえば、地元の新潟・福島両県でも「誰も乗っていない」「高校生の頃は毎日通学で使ったが、高校を卒業してからは1回も乗ったことがない」「廃線になっても誰も困らない」などといわれており、現在、北海道内で廃線に向けた協議が行われている路線と変わらない状況だった。有事の際に人々の生命や生活を救うのが、普段「なくなっても誰も困らない」などと陰口を言われているようなローカル線であることは、いくら強調してもしすぎることはない。

 JR貨物は自分の線路を持たない鉄道事業者である。線路はJR旅客6社の所有であり、JR貨物は線路を借り、借料を払って「通していただく」立場だ。しかし、元は旅客も貨物も同じ国鉄だったという事情、また国民経済に果たす鉄道貨物の重要性を考慮して、国が「アボイダブル(回避可能)コストルール」を設けている。JR旅客会社は、線路維持費のうち貨物列車が走らなければ回避が可能であったはずの部分しかJR貨物に対し請求してはならないという制度が国の指針で設けられているのだ。

 もし、災害時に備えて、迂回輸送が可能なルートを、常に貨物列車が通れるように保線しておく義務を国がJR旅客会社に課した場合、旅客会社は、旅客列車だけであれば必要なかったはずの費用だとして、JR貨物にこれら保線費用を請求することになろう。一方、JR貨物にとっては、何年に一度走るのかわからない線路を維持してもらうだけのためにそんなお金は払えない。

 結果として、災害がいざ起きてから、貨物列車が通れる迂回路線があるか、保線状況はどうかなどをバタバタと検討しては、旅客会社との難しい交渉を経て、ようやく準備を始めるという場当たり的対応が続いている。このようにして実現した迂回輸送でも、結局は通常時と比べ、3割程度の貨物しか運べていないとするデータもある。全国レベルの鉄道ネットワークがありながら有効活用できないのは、実にもったいないといえよう。

 なお、安全問題研究会では、貨物列車を運転すべき線区や、迂回輸送に必要と考えられる線区の保線費用を補助するため、新たな補助金制度を設ける法案をすでに決定、公表している。

 ●大胆な発想の転換も必要~沼田町「鉄道ルネッサンス構想」

 北海道で廃線協議が続いている留萌本線の地元・沼田町が2021年秋に公表した「鉄道ルネッサンス構想」が一部で注目されている。長引くコロナ禍で、乗車のつど利用者から運賃・料金を収受する方式ではもはや費用をまかなえず、鉄道は維持できないとして、大胆な発想の転換を試みている。持続可能な鉄道にするためには新たな収入源が必要であるとして、JR北海道の鉄道を会員制に変更するよう提案している。JR北海道の年間赤字額420億円を道人口530万人で割り、1人当たり年間8千円を負担すれば1年中、道内全線が乗り放題となる「フリーダムパスポート」の導入を訴える。パスポートは、会員と非会員との間で貸し借りを防ぐため顔写真入りにするという具体的なものだ。シルバープラン(高齢者割引)やファミリープラン(家族割引)なども提案。2人以上での利用だと結局は自家用車のほうが安いという問題の解消が期待される。

 沼田町は提案理由について「会員制度を魅力的にするには、スケールメリットと広いネットワークが必要」としている。利用者にとっては、年会費制のため乗れば乗るほど得になるというメリットがあり、またJR北海道にとっては景気に左右されにくい安定収入が確保できるとしている。

 この再建策自体は決して奇をてらったものではなく、むしろ筆者が提案している「日本鉄道公団法案」によるJR再国有化よりはるかに実現が容易である。既存の法制度に一切手を付けることなく、営業施策の枠内で取り組みが可能だからである。この構想に懸念があるとすれば、全道民の加入を想定している点だと思う。鉄道沿線でなく利用機会もなさそうな道民が、自分が乗らない鉄道を支えるためだけに毎年8千円を払い続けるかどうかには疑問がある。むしろ、北海道の魅力を理解しているファンは道外にこそ多くいることを踏まえると、大半は道外会員でもいいと割り切るべきだと思う。

 考えてみれば、電気・ガス・水道などの社会的インフラ事業では、電線・ガス管・水道管の維持管理費に充てるため、使用量の多寡にかかわらず、契約者全員から一律の基本料金を徴収している。鉄道も社会的インフラ事業である点では同じであるにもかかわらず、基本料金も徴収できないのでは、維持困難になって当然だろう。沼田町の提案は、鉄道への「基本料金」導入案と評価することもできる。今こそ、ローカル線を維持するためにはこのような発想の転換をしていくときだろう。

(2022年8月21日)

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<地方交通に未来を(6)>騒がしくなってきたローカル線~鉄道40年周期説から考える

2022-08-17 20:07:02 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 前号のこの欄で、JR西日本の赤字線区公表についての見解を明らかにする予定だったが、海難事故としてはここ数十年来で最悪レベルの知床遊覧船事故が起きたため先送りせざるを得なかった。そうしているうち、7月28日にはついにJR東日本までが赤字線区を公表。翌29日、朝日・毎日・読売の全国主要3紙の1面トップをローカル線問題が飾った。

 これに先立つ7月25日には、国交省「鉄道事業者と地域の協働による地域モビリティの刷新に関する検討会」によるローカル線問題に関する提言も公表され、ローカル線周辺が一気に騒がしくなってきた。

 全国に先駆けて、2016年11月に北海道で「自社単独では維持困難」10路線13線区が公表されてから早くも5年半。北海道の「地域問題」に押し込められ、道外ではどんなに訴えても理解してもらえなかったローカル線問題がようやく全国課題になるのだと思うと、身が引き締まる思いがする。北海道ではローカル線維持を求める闘いはすでに終局ムードだが、全国レベルで言えば、ようやくスタートラインに立つのだ。

 この問題に関する考えを早々にまとめる必要があるが、今はまだうまくまとまらない。だが私は、このような事態が訪れることは割と早い段階で予想していた。というのも、日本の鉄道の歴史を紐解いていくと、「ある法則」が見えてくるからだ。

 今年は1872年に日本初の鉄道が開業してからちょうど150年に当たる。新橋(現・汐留)~横浜で開業したのは官設鉄道だったが、その後は民間による鉄道建設を政府が認めたことによって、現在の全国鉄道網を形作る主要幹線の多くが民間の手によって建設された。

 日露戦争で日本はなんとか勝つには勝ったが、鉄道会社の境界駅で貨物が何日も運ばれないまま放置されるという事態が頻繁に起きた。この事態を重く見た軍部が「今後もこのようなことが続くなら次の戦争は危うい」としてバラバラに別れていた鉄道会社の統合に乗り出す。1906年3月27日、第22回帝国議会衆院本会議は、西園寺公望内閣提出の鉄道国有法案を強行採決で成立させた。「鉄道時報」は裁決時の衆院本会議場の様子を「怒号叫喚」と報じている。

 次の変化は敗戦後に訪れる。侵略戦争遂行に官営鉄道が果たした役割を問題視したGHQ(連合国軍総司令部)が、鉄道の意思決定を政府から切り離すよう要求した。当時、官営でなければ民間企業の形態しか知らなかった日本政府は民営化を計画するが、敗戦後の経済混乱で全国民がその日暮らしの状況の中、金のかかる鉄道の経営に乗り出す民間企業など現れるはずもない。結局、米国で採用されていた公共企業体方式の導入をGHQに提案された日本政府は、他に妙案があるわけでもなくこれを受け入れる。1949年6月1日、日本国有鉄道発足式では、当時の運輸大臣が職員に対し、諸君はこれから運輸省の役人ではなく「パブリック・コーポレーション」の社員として職務に当たるよう訓示している。

 そして、本誌の大方の読者が記憶している次の大変革は1987年4月1日の国鉄分割民営化である。1872年の鉄道開業から1906年の全面国有化まで34年、ここから1949年の公共企業体発足まで43年。公共企業体が再度分割民営化される1987年までが38年。日本の鉄道は、おおむね40年周期で経営形態を大きく変えてきたことがわかる。私はこれを「鉄道40年周期説」と名付けたいと思う。

 日本全体で見ても、明治維新のどん底(1868年)から日露戦争勝利(1905年)まで37年。太平洋戦争敗戦(1945年)でどん底に落ちた日本は1985年に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われる頂点に立つ。山から次の山まで、谷から次の谷までが80年であることから、歴史家の半藤一利さんは生前これを「日本80年周期説」と呼んだ。しかし、山と谷を40年周期で繰り返している点では鉄道と同じ40年周期であるとの評価もできる。要するに鉄道の経営形態の変革は、日本社会全体の山と谷による40年周期を数年遅れで追っているのである。

 1985年を頂点とする半藤説に従うと、日本社会が迎える次のどん底は2025年となる。原発事故、コロナ、ウクライナ戦争と苦難が続く中、日本人の人心荒廃と劣化を目の当たりにすることが増え、確かにここ数年は閉塞感、終末感がかつてなく強まっている。なぜ80年周期なのかについて、半藤さんは多くを語らないまま旅立ったが「人間は、……与えられた、過去から受け継いだ事情のもとで(歴史を)つくる」(「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」マルクス)という歴史書の記述を意識するなら、人生80年といわれる今日、ちょうどその長さに匹敵する時間を単位として歴史が次の局面に移行するのだと考えてもそれほど大きくは外れていないだろう。

 鉄道に話を戻すと、もうひとつ重要な点がある。民営鉄道から国有化へは、会社境界駅での滞貨に業を煮やした軍部主導で変化した。官設鉄道から公共企業体への変化は、国家意思と軍事輸送を分離するよう求めるGHQの意向が大きかった。国鉄分割民営化は、モータリゼーションの進行によって鉄道貨物の地位が急低下する中、財界主導で起きた。過去、40年周期で3回起きた鉄道の経営形態の変化からは、いずれも(1)旅客ではなく貨物輸送の行きづまりを直接の契機としている、(2)軍部、GHQ、財界など、その時代において鉄道当局が抗うことのできない絶対権力者からの「天の声」によって行われる一方、鉄道当局みずからは受け身で一度も主導的役割を果たしていない――という2点が見える。

 もし歴史が繰り返すなら、鉄道40年周期説における「次」の節目、すなわち2027年頃を目標として、JRグループの「次」をめざす動きがよりはっきりしてくるだろう。冒頭で取り上げた一連の出来事も「次」への予兆と見て間違いない。今回も事態は旅客輸送よりも貨物輸送、鉄道当局自身よりも外的要因によって動くだろう。

 このように分析すると「次」がどのような形を取って私たちの前に現れるかが見えてくる。旅客輸送は上下一体、貨物だけが上下分離という変則的な分割形態の是正が「次」の主要テーマになる。上下一体を維持するか「下」のみにとどまるかは別として、地域6社分割の弊害を是正する方向での変化となるであろう。主導権を誰が握るかはまだ見えないが、少なくとも国交省やJRグループ自身でないことだけは確かだ。これ以上の廃線を避けたい地方、災害で鉄道が運休するたびに荷物が停滞して被害を受けている物流業界、脱炭素を求める「外圧」、ウクライナ戦争を受け鉄道による軍事輸送のオプションを残したい防衛省などの意向が複雑に絡み合い、事態は進行していくと予想する。

 (2022年8月16日)

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【管理人よりお知らせ】さっぽろ自由学校「遊」2022年度上半期講座「北海道の問題から地球と共生の未来を考える」第3回講座資料を掲載しました

2022-07-26 21:11:58 | 鉄道・公共交通/交通政策
管理人よりお知らせです。

さっぽろ自由学校「遊」2022年度上半期講座「北海道の問題から地球と共生の未来を考える」第3回講座資料を掲載しました。

さっぽろ自由学校「遊」における2022年度上半期講座「北海道の問題から地球と共生の未来を考える」第3回の講座で、当研究会代表が「北海道における『持続可能な社会』と鉄道復権」と題して講演しました。「遊」からのテーマは、持続可能な環境政策に鉄道をどのように位置づけるべきかというもので、主として環境政策の面から鉄道の優位性を説明、できる限り廃線を避け活用する道を追求しています。紙に印刷する場合は、印刷版PDF資料も用意しています。

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