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安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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部分最適と全体最適/日本ではどんな組織・政党が生き残れるのかに関する考察

2020-02-09 15:10:56 | その他社会・時事
当ブログをある程度の期間、ご覧のみなさまはお気づきかもしれないが、2020年初頭から運営方針を大きく変えている。昨年までは、管理人にとって2大ライフワークとなっている原子力問題と、公共交通問題に特化した書き込みにしてきた。しかし、この2つの問題はどちらも膠着状態で、当分の間解決の見込みはほぼない。そんななかで、解決の見込みがないとわかっている問題にばかり取り組み続けるというのは、よほど心身強健な人でないと難しい。管理人も、そんな状態が長く続き、仕事でも「詰んで」しまったため、メンタル異常気味になってしまった。

どのみち今年は東京オリンピック・パラリンピックのせいで海外はともかく9月まで国内情勢は動かないだろう。そう思い、今年は思ったことを気軽に書き綴るブログ本来のあり方に戻してみようと思ったのだ。

「逃げるは恥だが役に立つ?~離脱、脱出が2020年代のキーワードかもしれない」と題した2月1日付記事はある程度好評だったようだ。日本人は従来から逃げることを恥と捉えることが多い。むしろ負けるとわかっていても闘い、忠誠を誓った人/思想/イデオロギーと共に散る人、最後まで信念を曲げない人が賞賛される傾向にある。たとえその信念がどれだけ間違っていたとしても、またその闘いがどんなに自分に不利なルールの下で行われていたとしても、だ。

だが、果たしてそれは正しいあり方なのだろうか、という問いを立てたいと思って書いたのが2月1日の記事だった。いま自分が立っている場所でのゲームが著しく自分に不利な糞ルールで行われ、しかも内部からの改革でそれを自分有利にはならないとしても、せめて中立に近いものに改めていく道も否定されたとき、自分がその場所にとどまるべきかどうかはもっと正面から問われていいのではないか。

糞ルールの下で、いつか「負け」と判定されるときが来ることはわかっているのにそれに身をやつすのは、自分がピッチに立っている間に「負け」宣告を受けたくないだけのことが多い。いつまでもクソゲーを続けている間に消耗し、傷はどんどん広がっていく。ここでゲームから降りられたらどんなに楽だろう――そう思ったことは誰しもあるはずだ。今回、英国はその決断をしてEUというクソゲーから降りた。ヘンリー王子とメーガン妃も英王室というクソゲーから降りる決意をした。頑強に結婚に反対する保守オヤジたちといつまでも地上でクソゲーを続けるより、眞子さんも皇室から降りてもいい――そういう心境になりつつあるのではないか。

ボクシングやレスリングでは、タオルを投げてリングから降りることは敗北を意味する。だが、圧倒的に自分が不利なクソゲーを強制している相手からの一方的な「負け」宣告なんて知ったことか、自分には関係ねぇ、と割り切ってしまえば楽になる。そう考えれば、民主党政権崩壊後、なぜ日本の無党派層が誰に何を言われようが決して選挙に行かなくなったのかも理解できる。自民党だけがいつまでも勝ち続け、たまにそれ以外の政党が政権を取っても裏切られるクソゲーからは降りたほうが楽だからだ。

かくいう当ブログ管理人も、何度もこのクソゲーからは降りようと思った時期がある。自民党公認の5文字がポスターに入っているだけで、候補者が人間でなくても当選してしまうようなクソゲーに自分が参加する意味があるのか、と。最初から勝ち目のない選挙という究極のクソゲー。それでも当ブログ管理人が降りられないでいるのは、政治に無関心ではいられても無関係ではいられないからだ。それゆえ、当ブログ管理人はこのクソゲーには「プロテスト・ヴォート」(抗議投票)を超える意味はないと見て、自民党から最も遠い政策、理念を訴える政党への投票を抗議のためだけに続けてきた。

2020年代の大胆(?)予測~向こう10年の世界はこうなると題した1月25日付の記事は、誤解していただきたくないが、あくまでこのまま日本社会が進んだ場合に向こう10年代がどうなるかを予測するものであり、筆者の希望、願望は一切含まれていない。それなのに、そこを「誤読」した特に「左翼」陣営の人々からは、当ブログ管理人があたかも55年体制礼賛論者かと問い詰めるような批判を受けることがある。念のため言っておくが、当ブログ管理人は55年体制を礼賛などしていない。ただ、それでもこの体制が崩壊した後、それよりましな体制が一度でもこの日本社会に生まれたことがあるのかは問いたい。「他に適当な人がいない」から仕方なく安倍政権を支持している保守層と同じように、当ブログ管理人もまた、政権交代可能な保守2大政党制をめざして政治改革が進められてきたこの四半世紀、自民、公明、共産以外の各党が離合集散を繰り返してきた挙げ句に、何者も生み出さなかった歴史的経緯を検証する中から仕方なく「55年体制のほうがよりましだった」との結論に達したに過ぎないのだ。

いたずらに時間を浪費しただけに見えるこの四半世紀から、私たちはどんな教訓を汲み取らなければならないのだろうか。別の表現をすれば、なぜ日本には自民党に代わって政権を担いうる野党が育たないのだろうか。前置きが長くなってしまったが、2010年代を通じてずっと考え続けてきたことを今日はここに書いておきたいと思う。

政権交代可能な2大政党制が成立するためには当然ながらいくつかの前提条件がある。①官僚機構がどの政党に対してもフラットな立ち位置を取り得ること、②2大政党がいずれも全国的で強固な組織基盤を有していること、③世論が左右両極に分裂せず、対立型争点(国防、安全保障、エネルギー、民営化問題など)よりも合意型争点(政治改革、経済政策、社会福祉など)が優位であること――等は最低限必要な条件といえよう。しかし、これらのうち日本が現在満たしている条件がひとつでもあるだろうか。当ブログ管理人の答えは「ノー」である。

加えて、多くの政党が与党と野党のいずれをも長く経験し、与党の役割である政権運営と、野党の役割である与党監視、批判、チェックの役割をいずれも担えるようにならなければならない。しかし日本の場合、自民党には与党の経験、野党には野党の経験しかないから、お互いが別の役割を習得する機会がめぐってくることはほぼない。野党が政権運営の経験を積むためには一度チャンスを与えることが必要だが、日本人は未熟な新しい政権にも即結果を求め失敗を許さないから、結局未熟な勢力にはチャンスが与えられること自体がない。こうして、野党はさらに政権獲得の機会から遠ざけられるのである。

日本人が未熟な新しい勢力に政権をゆだねる気にならない、どんなに腐敗していても政権担当の豊富な経験がある老舗政党の政権がいつまでも続くのがいいと考えているなら(政権交代可能な2大政党制を求める人たちは「そうではない」と主張するだろうが、当ブログ管理人には多くの日本人がそう考えているとしか思えない)、取り得る選択はひとつしかない。自民党と野党のそれぞれを「政権担当に特化した部分最適政党」「与党監視、批判、チェックに特化した部分最適政党」として育成し、それこそ部品のように組み合わせながら全体最適を実現することである。なんだ、それじゃ55年体制そのまんまじゃないか、という人がいるかもしれないがその通りである。政権担当用の部品(自民党)とブレーカー(野党)を組み合わせて製品(政治体制)の暴走を防ぐ。55年体制は、部分最適はできても全体最適ができない日本人に最も向いている政治体制だったのである。

さしあたり、立憲民主党に対し「対案も出さずに批判だけするな」という攻撃をするのは控えたほうがいいように思う。むしろこの党を与党監視、批判、チェックに特化した部分最適政党として、150議席クラスに育てれば、自民党もうかうかしていられないと襟を正すだろう。立憲は、旧社会党のように「政権をめざさない宣言」をしてみたらどうだろうか。「自分が投票することで、間違って自民党以外に政権が渡る危険」から解放されれば、政権交代しても裏切られるのが怖くて選挙というクソゲーから降りていた多くの無党派層にピッチに戻るチャンス――自民党を政権に就けたまま、懲らしめるために選挙に行くという新たな選択肢――が生まれるからだ。

当ブログ管理人が、サラリーマンとして組織に勤めるようになって四半世紀が過ぎた。その四半世紀は、政権交代可能な保守2大政党制をめざして政治改革が進められてきた日本の歩みとほぼ重なる。その四半世紀、組織というものに身をゆだねて生きてきた当ブログ管理人もまた「本当に日本人は全体最適が苦手なんだな」とつくづく実感するのだ。各課で同じ作業をしていたり、同じ資料をあちこちでコピーしていたり、組織としての方針を出すために開催されたはずの会議が部署ごとの利害対立で機能不全を起こしたりする様子を幾度となく見てきた。各部署、各現場がそれぞれ勝手に自分たちの狭いテリトリーだけをうまく回すための「部分最適」なら日本人は他のどの民族よりも得意なのだが、組織を大所高所から見渡し、全体最適となるように調整する人がいない。完成品市場で負け続け、日本の製造業に最終的に部品産業しか残らなかったのも、狭いテリトリーだけの部分最適しかできない日本人の特性の結果かもしれない。

特に、危機管理、セキュリティ対策といった分野での日本の組織の行動を見ていると、苦手どころではなくもはや哀れみしか感じない。この分野に限っていえば、それこそ外国の民間セキュリティ会社に金でも払って任せたほうがはるかにうまくいくと思う。

この日本の苦手分野――危機管理、セキュリティ対策といった分野――は、政治に関していえば与党となったときの「政権担当能力」を表す典型的な指標である。そこで自民党に代わるまともな野党が育たない理由としては、結局のところ日本人には危機管理が苦手だからということに尽きる。自民党にしても「他よりまし」なだけで五十歩百歩であることは、新型コロナウィルス対応ひとつ見ても明らかだろう。

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翻って考えてみたい。日本ではどんな組織、どんな政党が強くなり生き残るのか。

現在、良くも悪くも安定している政党は自民党、公明党、共産党の3つである。共産党は、戦前から続く唯一の党。自民党は1955年に結成された。公明党は、1961年に前身となる公明政治連盟として発足後、1964年に現党名に変更された。現在、国会に議席を有する政党の中で、現党名になってからの歴史が長いほうから1位、2位、3位の政党である。メディアでは「江戸時代から300年続く老舗店」で看板を継いだ何代目店主の誰それさん、などの形で名店を紹介する番組や記事が多いが、これと同じである。「一度決めた看板は容易に変えないこと」が存続条件のひとつである。

2つ目は「時代に合わせて柔軟に目玉商品を変えること」である。メディアで取り上げられる老舗店は、創業時と今とで目玉商品が変わっていることが多い。「創業したときは○○だったんですが、今はそれよりも××ですね」というケースである。屋号が老舗としてのブランド価値を持つようになっても、時代は変わる。創業時の目玉商品や品揃えのままで長く商売を続けられるほど世間は甘くない。いつまでも潰れずに生き続ける老舗は、時代に合わせて目玉商品や品揃えを変えてきたからこそ現在までしぶとく生き残ってきたともいえる。

3つ目は「万人受けする品揃えとせず、一定層を固定客にできればよい」と割り切ることである。老舗店の多くは固定客でしぶとく生き残っている。店主が親から子へ、子から孫へと引き継がれるように、顧客も親の世代からずっとファン、という人は多い。

これを政党に置き換えると、「看板は時間が経てば経つほどブランドとして価値が出るので容易に変えてはならないが、目玉政策やマニフェストは時代に合わせて柔軟に変え、固定客をがっちり維持していくこと」がしぶとく生き残るための条件ということになる。自民、公明、共産の3党は、この条件を満たしているからこそ生き残っているのだ。

このうち日本共産党に関しては、興味深いエピソードがある。志位和夫委員長が30歳代の若手ながら初めて書記局長に登用されたのは1990年だった。その翌年には、東ヨーロッパ諸国での相次ぐ社会主義体制崩壊の影響を受け、西ヨーロッパ最大の共産党だったイタリア共産党が左翼民主党に名を変える。日本共産党もイタリア共産党にならい、党名を変更したほうがいいのでは? ――そう問う記者に対し、志位書記局長はこう答えたのだ。

「我々が(イタリア共産党のように)党名を変えたとしても、どうせあなた方マスコミは新党名の下にかっこ書きで「旧共産党」とお書きになるんでしょう? であるならば、我々は党名変更などせず、日本共産党のままで活動します」。

志位書記局長のこの発言には根拠がないわけではない。東ヨーロッパの社会主義国で一党支配していた政党には、共産党でない名称を名乗るケースもあった。だがこうした政党に対し、当時のマスコミは「東ドイツ社会主義統一党(共産党)」(新聞)、「ポーランドの事実上の共産党に当たる統一労働者党は、……」(テレビニュース)などと実際に報道していたからだ。どうせ「旧共産党」と呼ばれるなら共産党のままでいい……これまで見聞きしてきた各政党党首の記者会見における発言で、これほどすがすがしいものを当ブログ管理人は現在に至るまで知らない。

離合集散を繰り返してきた立憲民主党、国民民主党などの諸政党が、ネットを中心に今なお「旧民主党」「隠れ民主」などと呼ばれ続けている事実は、若かりし頃の志位書記局長のこの「読み」が正しかったことを物語っている。民主党系の諸政党がいつまでもまとまらず、彼らがめざす「大きな塊」にもなれないのは、「目玉商品を変えても看板変えるな」という老舗組織の法則の真逆――「失敗した過去の政策を変えることなく、看板だけ変える」を繰り返しているからだ。

そろそろ結論に入らなければならない。特にこの日本で、自民党に代わって政権交代可能な政党を育てるには10年や20年ではきかない長い年月を必要とする。場合によっては人間の一生に匹敵するほどの時間が必要かもしれない。「由緒あるこの党名を守り抜くためなら、死んでもいい」と党員、議員、支持者が思える程度には長く看板を維持することが必要だ。逆に、いくつかの目玉政策は維持しつつ、それ以外の政策は時代の変化に合わせて変えていく柔軟性はあっていい。そして、地道に地方から組織を作り、選挙の声が聞こえると演説を始めるのではなく、いつでもどこでも目玉政策を訴える活動を続ける。自分の生きている間に自民党を倒せなくてもいい、子どもや孫の世代にこの誇りある看板を引き継ぎ、自分たちの世代にできなかった打倒自民の夢を託す――そこまでの覚悟を持った人々が集うとき、初めて打倒自民は実現するのである。

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逃げるは恥だが役に立つ?~離脱、脱出が2020年代のキーワードかもしれない

2020-02-01 22:32:57 | その他社会・時事
 ●歴史を「横」に眺めてみると……

 2019年代最後の年の大みそか、カルロス・ゴーン被告が除夜の鐘とともに自家用飛行機でレバノンに脱出してから、もう1ヶ月経ったのかと思っていたら、今度は1月末をもって、英国のEU離脱がついに成った。2016年の国民投票で離脱が決まってから3年半も揉め続けてきたのが一体何だったのかと思うほど、2020年代開始とともにあっさりと決まった離脱。北アイルランドの帰属をめぐって長年続いた後、調停された内戦の再燃を防ぐ措置が盛り込まれたことで、離脱の最大の障害がなくなったことが背景にある。

 そして、英国王室からの離脱が決まったヘンリー王子とメーガン妃のカナダ・バンクーバー島への移住に続いて、結婚問題が暗礁に乗り上げた秋篠宮家の眞子さんにも皇室離脱の動きがあることを、週刊誌が報じている(参考:女性自身の記事)。これらの動きは一見するとバラバラで、お互いに個別の事象として何ら相互に影響を与えるようなことではないように思われる。強引に結びつけるのにも無理があると、筆者も思っていた。

 しかし、歴史を「縦」にではなく「横」に展開してみると、思わぬ発見につながることがある。一党独裁体制だった東ヨーロッパでいっせいに民主化ドミノが起き社会主義体制が崩壊したのと、中国で天安門事件が起きたのはともに1989年だが、これを単なる偶然で片付けることはできない。「一党独裁による言論抑圧」という同じ問題に端を発し、同じように民衆が抗議に立ち上がったという共通項があるからだ。違うのは、東ヨーロッパで社会主義体制は倒れたのに中国では倒れなかったという点だけだ。

 日本で長かった自民党政権が倒れ、民主党政権に移行したのは2009年。その1年後にはチュニジアで政権に抗議して1人の青年が焼身自殺したのをきっかけに、中東・アフリカ北部でいっせいに反政府運動が起き「アラブの春」と呼ばれる状況が生まれた。エジプトではムバラク長期政権が倒れた。これらも長期支配していたのが大統領個人か政党かという違いがあるものの、長期政権の崩壊という意味で共通項がある。ただ、それでも日本とアフリカは地理的に遠すぎて、強引に結びつけるのにも無理があり、偶然の要素が強いと思っていた。

 だが、今振り返れば、2008年に起きたリーマン・ショックによる経済混乱が世界に波及しており、経済混乱の結果の長期政権崩壊だったという意味でちゃんと共通項を持っている。歴史を「横」にして眺めると、案外世界はつながっているのである。

 英国のEU離脱は、離脱派、残留派に国論を二分しての激しい政治闘争の末、たまたま解決がこの時期になったに過ぎないし、ヘンリー王子とメーガン妃の件もたまたまこの時期に話が出たに過ぎないように見える。ゴーン被告も眞子さんも、火種はもう何年も前からくすぶり続けていた件が深刻さを増した結果であって、偶然で片付けようと思えばさして難しいことでもない。

 しかし、一見するとバラバラに見える一連の出来事が、ある共通項を持っていたり、ある一定の方向性を持っていたりということは、歴史を「横」に眺めてみた場合、往々にしてある。そして、現在進行形の段階ではわからなくても、後に歴史として眺めた場合、「あの一連の動きこそが時代の転換点だった」と評価されることもある。歴史感覚を持つとは、要するにそういうことである。タイムマシンに乗って未来から現在を眺めるような感覚で俯瞰してみると、バラバラに見えた出来事が線で結ばれて見えてくる――そんな瞬間があるのだ。

 英国のEU離脱、ヘンリー王子とメーガン妃の王室離脱、ゴーン被告の日本脱出、眞子さんの結婚問題による皇室離脱の可能性――これらはいずれも現にいる場所からの離脱、脱出という共通の方向性を持っている。ひとつひとつは小さな出来事であっても、こう立て続けに「脱」の方向で事件が続くと、どうやらこれが2020年代(~2030年代)を読み解くひとつのキーワードになりそうな気がなんとなくしてきた。

 ●改革挫折で「統合」の時代終了へ

 第二次世界大戦後の世界は、ともかくも「統合」の方向で動いてきた。各国がバラバラに自国の利益だけをめざして行動し、衝突したのが大戦だったという共通認識が世界をその方向に動かしてきたことは間違いない。だが、大戦終了からほぼ人間の一生に等しい75年もの歳月が過ぎ、統合から「脱」の時代へという世界的潮流がかなりはっきりしてきたように見える。これら一連の事件がその「号砲」かもしれないという思いが、新年以降、次第に強くなってきたのだ。

 生物学者ダーウィンの「強い者が生き残るのではなく、変化に適応した者が生き残るのだ」という有名な発言をご存じの方は多いだろう。種として、あるいは個として、生き残りたければ日々、激動する世界の中で変化に適応していかなければならない。統合よりも「脱」への動きが目立ってきたのは、生き残り戦略としてそのほうが合理的だと考える人が増えたからである。

 現にいる場所が本当に自分にとってふさわしい場所なのか。自分が今まで所属し、帰属していることが当たり前と考えてきた社会や集団が、多大な犠牲を払ってまでも残留するに値する場所なのか。自分自身の「ありよう」をゼロベースで考える。もう一度、スタート地点に立ち返って、自分と自分が帰属する集団との関係を捉え直し、メリットよりデメリットが勝っていると思うなら、これまでタブーと思われていた「脱」に舵を切ってみる。2020年代、そうした動きは今まで以上にはっきりしてくるだろう。

 第二次世界大戦後の世界を、思い切り乱暴に、いくつかの時代に区切るなら、1970年代までははっきり「統合」へ向かいながらも抵抗の闘いがあちこちで起きた時代だったと思う。80~90年代はモラトリアムとでもいうべき停滞の時代で、2000年代から2010年代は、世界のあちこちで改革への動きが表面化した時代だった。2010年代に入る前後に「アラブの春」が起きたのも、日本で民主党政権ができたのも「改革」への動きだったと捉えれば納得がいく。いま所属、帰属している社会集団にとりあえずとどまったまま、内部からの改革をめざす。おおむね20年スパンで時代を切り取ると、流れが見えてくるような気がする。

 しかし、結論からいうと、2010年代に試みられた改革は日本でも世界でも挫折した。「アラブの春」が結局は民主主義的な政治体制の誕生につながらなかったことは、腐敗したムバラク政権がイスラム政権に代わったエジプトを見ればはっきりしている。日本でも民主党政権は失敗した。筆者は「コンクリートから人へ」のスローガンが間違いだったとは思わないが、「政権交代などできないと思っていた日本でもできるんだ」という期待を「やっぱり日本人に政権交代なんて無理」というムードに変えてしまった民主党政権の罪は100年に一度レベルの重いものだと思う。はっきりいえば安倍政権なんてそれだけが理由で持っているようなものだ。EUで行われた改革も挫折。人々が求めていた新自由主義的政策の放棄は実現せず、EU加盟国同士、市民同士の格差を拡大させただけだと人々に思わせてしまったことが、挫折の背景にある。

 ●統合から「脱」の時代へ 大切なのはゼロベース思考

 2020年代という新しい10年代が始まったこの新年早々、「脱」への動きが加速している背景は、乱暴だがこうした動きと重ねてみるとだいたいの説明がつくと思う。自分が所属、帰属している社会集団の内部にとどまって改革をいろいろ続けてきたけれど、最終的にダメだった。改革の可能性が閉ざされたいまの場所にこのままとどまっていても未来がない。それならば、多少の危険を冒してでも今いる場所の外に出るしかない――人々がそのように考え、行動する新しい10年間(場合によっては20年間)が始まったのだ。

 「逃げるは恥だが役に立つ」というテレビドラマが数年前ヒットしたが、このタイトルの語源はハンガリーのことわざだ。「どんなに格好悪くても、生き延びればいつかチャンスはやってくる」という意味合いで使われる。最後まで主君に忠誠を尽くし、主君が倒れるときは運命を共にする「忠臣蔵」をいつまでも変わらず愛し続ける日本人には理解しがたいメンタリティかもしれない。しかし、ダーウィンの言葉の通り、変わることを拒絶し、世界潮流に背を向ける日本は少子高齢化で内部崩壊を迎えつつある。自家用飛行機で日本を脱出したゴーン被告がここまでさんざんに叩かれている背景に、単に悪事を働いたということ以上に「自分だけさっさと逃げやがって。こっちは脱出したくたってできないんだよ」という若干の妬みや羨望が含まれているように感じるのは筆者だけだろうか。日本人は、叩いている暇があるなら、むしろこの閉塞状況を「一気に飛び越えた」ゴーン被告の行動を見習い、参考にしたほうがいいと思う。

 筆者が小学生の頃、こんな出来事があった。「りんごを食べたいと思っている子どもが2人います。でもりんごは1つしかありません。そんなとき、あなたならどうしますか」という先生からの「お題」に対し、10人中9人が「もう1つりんごを買ってくる」とか「りんごを2等分し、分け与える」という無難な回答をするなか、ある男子児童が「2人の子どものうちどちらか1人、殺せばいい」と答えた。先生は「人を殺してはいけません」でその場を終わりにしてしまった。

 筆者は、子どもの頃から尖った変わり者だったから、この先生の発言に違和感を持った。殺人を肯定したいのではない。そもそも「2人の子どもにりんごが1個」という状況――供給が需要を満たせない経済状況にどうやって対処するかを問うお題であって、殺人の是非を問うお題ではそもそもなかったはずだが、という違和感である。初めは問われてもいなかった、まったく無関係な別の規範を途中から突然持ち出し、重要な選択肢の1つを検討もしないまま潰してしまうという議論のやり方にアンフェアさを覚えたのである。たとえその解決法がタブーであるという社会的合意があったとしても、だ。

 物事をゼロベースで考えるということは、このタブーを取り払ってみるということである。繰り返しておくが殺人を肯定したいのではない。この事例は極端すぎるので置くとしても、それまで誰もがタブーだと考えてきた選択肢こそが本当の意味で唯一の解決策だった、ということは歴史のある局面においてはあり得る。日本の何が問題で、どこに着地すべきかについてはもうこの20年近く議論し尽くしてきたし、大方の日本人が着地すべき場所もわかっている。それにもかかわらず、そこに「たどり着く方法」(=解決策)がない、という閉塞状態を一気に飛び越え、しかるべき場所に正しく着地するために、タブーとして排除されてきた選択肢(民営化された企業の再国有化など)をもう一度真剣に検討すべき時期にさしかかっているのではないか、と筆者は主張したいのである。

 もしそれが本当の動きにならない場合、日本からも「脱」の動きが表面化する2020年代になるような予感がする。ゴーン被告の脱出がその号砲でないことを願ってやまない。

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2020年代の大胆(?)予測~向こう10年の世界はこうなる

2020-01-25 22:22:46 | その他社会・時事
(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2020年2月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 新しい年が明けた。本誌が読者のみなさんのお手元に届く頃には正月気分などとうに失せているであろう。東京オリンピックの年を手放しの礼賛で迎える人はおらず、本誌読者の多くは憂鬱な年の始まりだと思っているかもしれない。

 しかし、今年は単なる新しい年の始まりではなく、2020年代という新しい10年代の始まりでもある。一寸先は闇とはいえ、来たるべき10年間がどのようなものになるかを予測しておくことは無駄な作業ではないと思う。

 「人間は、自分で自分の歴史をつくる。しかし、自由自在に、自分勝手に選んだ状況のもとで歴史をつくるのではなくて、直接にありあわせる、あたえられた、過去からうけついだ状況のもとでつくるのである」(「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」マルクス)とあるように、未来は現在、そして過去からの連続の上にしか存在し得ない。現在の日本と世界の姿を正しく分析できれば、未来を予測するのはそれほど困難な作業ではない。

 ●内外政治~分断克服への模索続く、国内は変化なし

 まず政治について、2020年代は内外ともに国民国家内部でも、国家間関係でも分断の動きが強まった10年間だった。英国のEU離脱の確定と、米国のトランプ政権登場はその最も象徴的な動きである。選挙という民主主義を保障するはずの手段が分断を加速させたことも2010年代の大きな特徴だ。しかし、こうした分断は広範な市民的合意が必要な問題の解決を不可能にする。少数の支配層、既得権益層が喜ぶだけで市民が分断から得るものがないとわかれば、2020年代は分断克服への動きが顕在化する可能性がある。

 国内では、野党共闘に向けた努力が続くものの、1993年の細川連立政権、2009年の民主党政権がいずれも内部対立で瓦解したこと、各級選挙における自公の基礎票の手堅さを踏まえると、野党による政権奪取は2020年代も困難であろう。自民党に代わって政権獲得が可能な位置にいる党がないという55年体制当時と同じ状況が生まれている。

 現在の政治状況が55年体制の事実上の復活であることをデータで示しておきたい。以下の表は、1983年6月の参院選と2019年7月の参院選における各党の得票率を比較したものである。1980年、それまでの参院全国区を比例区に変更する公選法改正が行われた後、初めて実施されたのが1983年参院選だ。若干の総定数の変更はあるものの、これ以降今日に至るまで、参院の選挙制度の変更は小幅なものにとどまっており、中選挙区制が小選挙区制に置き換えられた衆院のようなドラスティックな変更がないため、このような比較に向いているのである。

 結果は驚くべきものであった。自民、公明の得票率はほぼ同じ。共産党に至っては小数点以下までまったく同じである。その他の政党では2019年の立憲民主党が1980年の日本社会党に、国民民主党が民社党にほぼ対応している。1983年当時、社会民主連合(社民連)は議席が衆院だけであったためこの表に登場していないが、参院に議席を有していれば2019年の社民党に対応していたと推測できる。当時と今で異なるのは、公明党が野党から与党になったことくらいで、公明党を野党に割り戻して再計算すると与党陣営、野党陣営全体での得票も当時と今でほぼ変わらないことになる。


※1983年参院選の得票率は「データ戦後政治史」(石川真澄/著、1984年、岩波新書)より抜粋

 55年体制崩壊後、「政権交代可能な保守2大政党制」への試みが続けられ、数え切れないほどの政党が離合集散を繰り返し、浮かんでは消えた。その変動の歴史が終わった後、見えている風景は1980年代とほぼ同じものだ。

 自民党の最大の強みは公共事業を通じた利権誘導体制にある。選挙ポスターに自民党公認の文字さえあれば、候補者が人間でなくても当選してしまいかねないほど自民の集票基盤は大きく、疲弊したといわれながらもそれほど崩れていないことは1980年総選挙との比較を見ても明らかである。この「自民党ブランド」が1強体制を支えているのだ。

 今後、自民党が1993年当時のような中途半端な割れ方ではなく真っ二つに割れるようなことになれば、保守2大政党制が成立したと「錯覚」するような状況が出現することは一時的にはあり得る。だがその場合でも、自民党を割って出た勢力はこの強力な「自民党ブランド」を失うから、民主党~民進党がそうであったように徐々に衰退過程に入り、その後は現在と同じ状況に戻るだけであろう。日本には2大政党制が成立する基盤はなく、今後もその試みが成功する見通しはないと断言してよい。基本的には次の10年間も日本の政権は自公中心に展開するというのが筆者の予測である。

 自民党の政権追放の可能性がきわめて薄いとなれば、現在の「自民党的価値観」が受け入れられず、そこからの転換を願う市民は今後どのようにすればいいのか。戦後イタリア政治史は重要な示唆を与えてくれている。イタリアで戦後、単独では常に過半数に達しないものの、30~40%の議席を獲得、第2党以下を大きく引き離して長く第1党の座にあったキリスト教民主党(DC)は、総選挙で議席構成が変わるたび、多数派工作のため連立相手を組み替えて巧みに政権を維持した。自公政権の枠組みは変えられないとしても、自公両党の力が弱まって過半数を割り込んだ場合、私たちに比較的近い思想、政治的位置を取る「よりましな政党」を自公が不本意ながらも連立相手に迎えなければならないという事態は起こり得る。イタリアの政治学者ジョバンニ・サルトーリは、母国で頻繁に起きるこうしたDC中心政権下での連立組み換えを「周辺型政権交代」と呼んだ。

 日本で2020年代、現実的に起こり得るのはむしろこうした周辺型政権交代であろう。そのときのため、自民党と明確に異なった政治的立ち位置と一定の議席数を持つ政党を私たちと政治をつなぐ「パイプ」として育てることは、これからの10年間の検討課題である。

 ●経済~日本の位置はさらに低下し「衰退途上国」の呼称が一般化する

 経済に関しては楽観的な見通しはない。人口高齢化は労働力人口そのものに加え、1人あたりの労働時間数をも制限する方向に働く。何をするにも「労働者の健康に配慮することが最優先」となり、労働効率は大幅低下を余儀なくされる。労働集約型産業は大幅な合理化を迫られ、対応ができない企業は経済から退出させられるであろう。

 運輸・交通、医療・福祉・介護など公共的性格を持ち、企業的運営によっては持続不可能であっても容易な退出が許されない部門をどうするかは、すでに現在でも大きな問題として浮上している。自公政権にこの問題を解決する意思も能力もないことは明らかであり、2020年代のどこかの段階で、この分野を得意とする小政党が自公から与党に迎えられることがあるかもしれない。さしあたり、その候補となりそうな政党も現時点で出てきているが、具体名を挙げることは控えておきたい。

 2020年代、日本に対しては「衰退途上国」とする評価が一般的となり、この呼称もある程度定着するであろう。人口高齢化、少子化が加速的に進行する以上、形態はどうあれ衰退は避けられないが、そうである以上、よりましな衰退を追求する責任が政治・行政にはある。筆者が見る限り、日本が参考にできそうなのは英国だ。ともに君主制で島国、完全な二大政党制ではなく野党陣営が分裂傾向を強めている点でも両国は酷似しており、英国はある意味では日本にとって理想的な衰退モデルといえる。EU離脱によって独自政策を進めやすくなる英国の動向を、日本は注視すべきであろう。

 ●法の支配と正義~罰せられるべき者は罰せられず、必要ない者が罰せられる司法に国民の不満が爆発する

 日本国民にはあまり実感がないかもしれないが、2020年代、日本の国際的信用と地位を最も決定的に傷つけるのは、実はこの分野になる。あれほど巨大な艱難辛苦を国民に強いた原発事故の責任者や、白昼公然とレイプ事件を起こした「自称ジャーナリスト」が、国策企業である、または安倍首相の取り巻きであるというだけで刑事責任を問われず、裁判に持ち込んでも無罪となる。その一方で(大量解雇を伴う日産の業績回復を筆者は実績とは思わないが)、カルロス・ゴーン被告に対する検察の人質司法は、同じ日産経営者の立場にあった日本人に対する対応と比べてあまりに不公平すぎる。これでは日本の検察が「皮膚や目、毛髪の色」を理由に対応に差をつけていると疑われても仕方がないであろう。新年早々、自家用ジェット機で日本から脱出、レバノンに到着したゴーン被告が行った会見では、日本人が期待していた政府高官の名や脱出方法については語られなかったが、少なくとも日本の司法のアンフェアさを国際世論に印象づけることができたという意味で成功と評することができよう。

 日本政府にとって目障りとなれば、他の同様の立場にある人物との公平性も考慮されず一方的に拘留され、弁護士の立ち会いも許されない環境で自白を強いられた挙げ句、起訴されれば99%有罪となる。一方で国策企業や首相の取り巻きであれば99%無罪があらかじめ決まっている。こうした事実はすでに海外メディアを通じて世界中に発信されており、日本の国際的地位、信用に回復不能な打撃となりつつある。この国には法の支配も正義もなく、今後の復活の見込みもない――多くの日本の市民がそう思うようになったとき、どんなことが起きるだろうか。

 「私の人生をめちゃくちゃにしたあの人に、どんな手を使っても復讐してほしいんです。成功したら報酬を払います。金額はそちらのご希望通りでかまいません」と言いながら、依頼者が札束の入ったスーツケースを開け、中を見せる。「わかりました。そのご依頼、お引き受けしましょう」と「闇の仕事人」が請け負う――テレビドラマや映画、小説ではおなじみのワンシーンであり、ひとつのジャンルを確立している分野でもあるが、国家が罰すべき者をきちんと罰していない、法と正義が実行されていないと多くの市民が感じれば、2020年代の遠くない時期、これがフィクションではなく現実となるおそれがある。不倫や薬物などの騒ぎを起こした有名人に対する最近のネットでの異常なまでのバッシング、「私刑制裁」の横行はその明らかな予兆である。

 ●IT技術~ネットの「フェイク」化が進行、アナログへの揺り戻しの動きも

 インターネット、とりわけツイッターやフェイスブックのようなSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)に関しても、予測は悲観的にならざるを得ない。現時点でもSNSがフェイクニュースの発信・拡散源になっているという世界的傾向があるからだ。

 欧米諸国を中心に、書き込みがきちんと事実に基づいているかを調査する「ファクトチェック」の動きも始まっているが、効果は限定的なものにとどまるだろう。飲料のビンに中身が半分入っているのを見て「もう半分に減っている。直ちに不足対策をしなければ」と考える人と、「まだ半分も残っている。こんな状態で政府が不足対策をするなんて税金の無駄だ」と考える人が激しく論争を始めても、どちらも「飲料が半分残っている」という正確な事実に基づいているためウソだという決めつけはできない。どちらも自分が正義だと信じているため譲歩するつもりもない。自分の立場に近い人々が紹介され、表示されることが多いSNSの性質上、「不足対策」派も「税金の無駄」派も自分の味方ばかり集め、ますます同類で団結を強め、コスモ(小宇宙)化する。SNSが社会分断を加速させる役目を果たしたことは、2010年代を総括すれば明らかだ。

 筆者は時折、北海道庁前で毎週金曜夕方に行われる反原発定例行動に参加することがあるが、そこで「もうネットはやめました。でもあなたのスピーチ原稿は勉強になるので、郵送かFAXでください」という人にこの間、何回か出会った。SNSでの不毛な「闘争」や情報の真偽の見極めに疲れ、ネットから「降りる」動きが出始めている。

 この傾向は2020年代を通じて加速する。「ネット上の情報を自由に操作して支持を集めることができるごく一部の強者」と、ネットに展望がないと見て、みずからの意思で能動的に「降りる」決意をした人――この両極端の行動を取れる人が2020年代の勝者となる。どちらにも立てず、ウソとも真実とも判定できない巨大な情報の海でもがく大多数の「ネット中間層」は敗者になるというのが筆者の予測である。

 ●原発、公共交通はどうなるか

 最後に、本稿筆者のライフワークである原発、鉄道を中心とする公共交通の今後について触れておきたい。

 原発は、政府・電力産業の巨大な下支えにもかかわらず、2020年代を通じて地位を回復させることはない。即時原発ゼロは政治的に困難で実現しないものの、電力会社にとっては安くても社会的にコスト高となった原発は徐々に衰退する。受け入れ地の決まらない核のゴミ(高レベル廃棄物、大量に発生する除染廃棄物)の処分をめぐって逆風がさらに強まり、2020年代後半には「ポスト原発」の姿がかなりはっきり見えるだろう。安倍政権退陣後は自民党内で現実路線が台頭し、自公政権の下で原発撤退の政治決断が行われる可能性はある。少なくともそれは政権交代の可能性よりは高いであろう。

 公共交通の分野では「災害復旧」と「貨物輸送」が鍵を握る。特に鉄道はその高い輸送力に注目した保守・右派勢力によって戦争遂行のために整備された歴史的経緯がある。大量・高速・安定輸送に強いという特徴を持つ鉄道は、不安定で担い手(トラック運転手)が減る一方の道路輸送に代わり、2020年代、貨物輸送部門から復権が始まるだろう。それは政策的に政府が望んだ結果ではなく、トラック輸送が困難になることによる「強いられた政策転換」として実現する。しかし、一度その効用が発揮され、国民にそれが可視化されると、一気に鉄道貨物復権が進む可能性がある。旅客・貨物を別会社に分割した国鉄改革が問われ、JRグループ再統合の気運が高まるだろう。リニア新幹線、九州新幹線長崎ルートなど国民不在の大型鉄道プロジェクトのいくつかは頓挫することになる。

 災害が多発する中で、寸断された地方路線の復旧をどうするかもすでに課題として見えている。地方路線の多くはすでに公共交通機関としての地位を降りているが、観光資源としての役割が再評価される。さしあたり、地方路線の維持が公共交通としてではなく観光面から始まることは、過去の経緯や日本の特殊性から見ればやむを得ないであろう。一時的な需要が中心で浮沈も大きい観光輸送中心から、安定した需要が見込まれる貨物輸送や地元利用中心へと地方路線の役割を変化させるため、どのような手法があり得るかを検討することが2020年代の公共交通政策の鍵を握ることになろう。

(2020年1月25日)

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2020年は安倍政権終わりの年になるか?~ヤンキーの「卒業」と安倍首相

2020-01-12 16:42:58 | その他社会・時事
昨年秋の「桜を見る会」問題の発覚以降、安倍政権が変調を来している。支持率も久しぶりに不支持を下回ったままだ。

だが、安倍政権はこれまで「核」となる支持基盤(改憲右派/財政出動・公共事業拡大派の連合体)が非常に強く、一時的に支持率が下落してもすぐに盛り返し、危機を何度も乗り切ってきた。だから当ブログもこれまで支持率に一喜一憂しない方針を決め、安倍政権の支持率に関するニュースも「あえて」取り上げず、原発やJR北海道問題に特化した報道を昨年は続けてきた(その2つの問題に特化した方が、結果としてアクセス数がよかった、という実際上の理由もある)。今回の支持率低下に対しても、「またどうせすぐ支持率は盛り返す」と見る人も依然として多い。安倍支持派よりもむしろアンチ安倍派のほうに、そうした一種の諦念を抱きながら「どうせ盛り返す」と見る人は多いようだ。

ただ、今回だけはどうも様子が違うように見える。「桜を見る会」問題が安倍政権支持率の低下要因だというのがメディアの分析だが当ブログはそのような安易な分析を信じていない。「桜を見る会」ごときで離れるような支持者は「モリカケ」問題でとっくに離れており、今さら支持率への影響は小さいと当ブログは判断しているのだ。

では、ここに来ての安倍政権の支持率低下は誰のせいなのか。当ブログはこれを「韓国に融和的姿勢を取ったことによる「核」的支持基盤(改憲右派)の一部の離反」が原因と分析する。「安倍さんなら韓国と断交してくれると思って支持してきたのに、土壇場でGSOMIA(日韓軍事情報の交換協定)の失効を回避するなんて、裏切られた!」と憤る改憲右派の一部が離れたことこそが支持率低下の原因だというのが当ブログの分析だ。だからこそ今回の支持率低下の根は深く、政権の命運に関わる事態になるかもしれないのである。

安倍首相に関しては「東京オリ・パラ後花道論」(東京オリンピック・パラリンピック後に辞意表明)を開陳する大手週刊誌も出ているが、当ブログが安倍政権に終わりの予感を見いだしたのもそんな陳腐な報道が理由ではない。民主党政権が無残な崩壊を迎えた後、「時代の空気」に見いだされて政権に復帰し、我が世の春を謳歌してきた安倍首相にとって、自分自身を政権に就けた「時代の空気」の変化がそのまま「引導」となるのではないか、という予感が大きくなってきているのだ。

精神科医の斎藤環さんは、安倍政権について世間で言われている「超右派政権」という見方に対しては否定的だった。財政出動による公共事業拡大など、リベラル派が好む政策も多く動員している点に着目したからだろう。むしろ、安倍政権に対しては「ヤンキー政権」と呼ぶほうが実態にかなっている、と主張してきた(関連記事)。この主張を当ブログはこれまで取り上げてこなかったが、当初から注目はしていた。

誤解のないように述べておくと、ヤンキーとはもともとアメリカ人に対する蔑称であり、当ブログ管理人より上の世代はこの意味で理解している人のほうが今も多いだろう。沖縄の日本復帰を求める運動では「ヤンキーゴーホーム」という反米ソングが毎日のように歌われた。ただ、当ブログ管理人を含む40代以下の世代では、ヤンキーとは不良少年少女を指す言葉として使われている。当初、アメリカ人の蔑称だった言葉がどうして不良少年少女を指す言葉に変化したのかは推測の域を出ないが、1980年代、大阪の不良少年少女がアメリカ村付近にたむろしていることが多かったことから「アメリカ村にたむろするような連中」の意味で不良少年少女のことをヤンキーと呼ぶようになった、というのが最も有力な説である。1984年にヒットした「ヤンキーの兄ちゃんのうた」(嘉門達夫)がこの流れを決定的にしたといえよう。

「ダチ」と「敵」を明確に峻別し、ダチ(特に「マブダチ」=親友)には徹底的な連帯と優遇で報いる一方、「敵」は徹底的に叩き潰すのがヤンキーの行動原理だ。弱いくせに調子に乗っている奴がいると見たら「おい○○、放課後ちょっと体育館の裏に来いや」と呼びつけ、胸ぐらを掴んで脅し、カツアゲした後、みんなでボコボコにして威勢を見せつける。当ブログ管理人より上の世代は、「ああ、うちの学校にもそういえばいたいた」と思い出すだろう。あるいは自分自身がそうだった、という苦い記憶と若干の反省を込めて。当ブログ管理人のような、最近の若者用語でいう「陰キャ」は当時、ヤンキーにはさんざん痛めつけられてきた。体育館の裏に呼び出された経験も実際にある。呼び出して胸ぐらを掴んできた男子のヤンキー連中のことは今でも忘れられないし、毎日のようにお行儀悪く机に腰掛け、当ブログ管理人を呼び捨てにして乱暴にパシリを命じてきた女子のヤンキーのことも忘れることができない。

これも誤解のないように述べておくと、当ブログは別に過去、そうであった人たちを今さらあげつらい、批判したいわけではない。過去、そうしてやんちゃしてきた人のほとんどは、今ではよき父母としてまっとうに暮らしているはずだ。仲間を大切にする彼らの姿勢はむしろ見習いたいくらいで、当ブログが今、社会生活を送れているのも、それを自分流にアレンジして取り入れてきたからである。私を体育館の裏に呼び出したり、パシリを命じたりした人たちに復讐したいという気持ちもすでに持っていない。

そうしたヤンキーたちには、当時、教師も手をつけられないほどの派手な暴れ方をする人もいた。きまじめな学級委員(特に女子)の中には「やめなさい!」なんて声を上げる勇気ある人もいるにはいたが、それですんなり暴れるのをやめるようなヤンキーたちではなかった。

今、どうしてこんな昔のことをブログに書くのか、とみなさんは管理人の意図を測りかねているかもしれない。ここで斎藤環さんの「安倍政権=ヤンキー論」に立ち戻ってみてほしいのだ。当時の教室の中の世界と、安倍政権が驚くほど似ていることがおわかりいただけると思う。安倍首相=番長、萩生田文科相=切り込み隊長(ナイフを常時携帯、刺繍の入った学ランを着ていてキレると何をするかわからない最恐の男)、三原じゅん子議員=スケ番または番長の「彼女」、きまじめな学級委員=野党女性議員、と置き換えてみるといい。これ以上の説明はもはや不要なレベルだ。

さて、我が世の春を謳歌していたヤンキーたちにとって、青春とは期限付きのはかない夢である。王様にも奴隷にも平等に死が訪れるように、優等生にもヤンキーにも平等にやってくるものがある。それは「卒業」である。どんなに我が世の春を続けたくても、田舎の公立中学校はヤンキーたちも一般生徒同様、強制的に卒業させる。盗んだバイクで走り出すヤンキーどもの青春を歌い上げた尾崎豊が結局最後は「卒業」を歌ったように。授業にほとんど出ていなくても、出席日数を「改ざん」して、都合の悪い書類をシュレッダーにかけてでも、学校は彼らに卒業証書を用意する。

卒業式が迫ってくると、ヤンキーたちもさすがに自分の運命を悟る。「もうそろそろ“やんちゃ”からも卒業しないとな」と仲間同士で言い合いながら、最後に青春の締めくくりとして、精いっぱいの虚勢を張って集合写真を撮るのだ。後日の思い出とするために。

そして、卒業式が来ると、ヤンキーの対応も2通りに分かれる。虚勢を張っていただけで本当はいい奴、というケースの場合、さんざん迷惑をかけた先生のためにこっそりプレゼントを用意するなどの「サプライズ」で周囲を驚かせ、泣かせる。

もうひとつは、本当の意味で腐っているヤンキーのケースだ。卒業式の日に「お世話になった」先生を体育館の裏に呼び出し、思いっきり「お礼」をする。内申書は当時、非開示で、入試までは何を書かれるかわからないためヤンキーはおとなしくしているが、卒業式の時点では入試は終わっていて、合格発表前の段階であっても今さら内申書の書き換えは不可能であることを生徒たちは知っている。そこで腐ったヤンキーたちは、卒業式の日に先生に「お礼」をカマすのである。日頃、生徒を抑えつけていた体育の教師などが「犠牲者」になることが多かったように思う。今の若い人たちには信じられないかもしれないが、こんなことをする生徒が当時(30~40年前)は本当にいたのである。

さて、話が巡り巡ってしまったが、そろそろ「本題」に戻ろう。私が安倍政権に終わりの予感を覚えたのは、「桜を見る会」問題で、安倍首相や菅官房長官らと、いわゆる「反社」の人たちまで含めた参加者と一緒の「集合写真」が出たときである。集合写真とはヤンキーにとって「青春の終わり」「けじめ」を意味することが多い。それが、野党などの敵陣営からではなく、参加者という「ダチ」側から出たことは、長かった我が世の春が終わり、ヤンキーたちに「卒業」が迫っていることを示しているのではないだろうか。かつてさんざんヤンキーに痛めつけられてきた当ブログ管理人にとって、ヤンキーを嗅ぎ分け、避けるのはもうDNAにまで染みついた本能のようなものだから、人一倍敏感なアンテナを持っている自信はある。今までどんなに安倍政権が窮地に陥ったとメディアで騒がれても反応しなかったアンテナが、なぜか今回は「宴の終わり」を激しく告げているのだ。もし当ブログ管理人のこの「アンテナ」が正しいなら、野党による政権交代でもなく、自民党内「ポスト安倍」勢力によるクーデターでもなく、「卒業」という時代の区切りによって、安倍政権の閣僚や「ダチ」たちがデカい声で「仰げば尊し」を歌い、巣立つ日が遠からず訪れるだろう。

そのとき、安倍政権が「サプライズ」型ヤンキーと「お礼」型ヤンキーのどちらの形を取るのか。その「最後の姿」によって安倍政権への評価(特に安倍支持層からの評価)は大きく変わるに違いない。

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2019年 安全問題研究会10大ニュース

2019-12-31 20:19:35 | その他社会・時事
さて、2019年も残すところあとわずかとなった。例年通り今年も「安全問題研究会 2019年10大ニュース」を発表する。

選考基準は、2019年中に起きた出来事であること。当ブログで取り上げていないニュースも含むが、「原稿アーカイブ」「書評・本の紹介」「インターネット小説」「日記」「福島原発事故に伴う放射能測定値」「運営方針・お知らせ」カテゴリからは原則として選定しないものとする。

1位 福島原発事故刑事訴訟で東京電力旧経営陣に無罪判決<原発問題>

2位 関西電力で原発マネー不正還流問題が発覚<原発問題>

3位 台風15号、19号連続襲来で鉄道大被災、新幹線長野車両センターが水没<鉄道・公共交通/安全問題>

4位 都市部で新規開業相次ぐ~おおさか東線、相鉄~JR連絡線が開業/JR石勝線夕張支線が廃止、日高本線は沿線7町がJR北海道と「個別協議入り」決定<鉄道・公共交通/交通政策>

5位 「桜を見る会」問題表面化、安倍政権が史上最長となる一方弱体化へ<社会・時事>

6位 幌延・深地層研の研究期間の一方的延長を原子力機構が提起、地元「受け入れ」へ<原発問題>

7位 リニア中央新幹線と九州新幹線長崎ルート、いずれも途中県(静岡・佐賀)の反対で計画に大幅な遅れ~長崎ルートでは「対面乗換」長期化へ<鉄道・公共交通/交通政策>

8位 函館本線などで起きたレール検査データ改ざん問題をめぐる刑事訴訟で3労働者無罪の一方、法人としてのJR北海道に罰金100万円の判決が確定<鉄道・公共交通/安全問題>

9位 2017年に起きた「のぞみ」台車亀裂事故について、運輸安全委員会がJR西日本社員による「正常性バイアス」を原因とする調査報告書を公表<鉄道・公共交通/安全問題>

10位 JR北海道が平均11%、最大31%の大幅運賃値上げ/安全問題研究会代表ら3公述人が公聴会で反対の意見陳述<鉄道・公共交通/交通政策>

【番外編】
・歌手、大黒摩季さんが離婚を発表<芸能・スポーツ>

・雨上がり決死隊・宮迫博之さんらを引退に追い込む吉本興業所属芸人の反社問題・闇営業発覚/ジャニー喜多川ジャニーズ事務所副社長死去/NGT48メンバーによる暴行事件など、芸能界の暗部が明らかになるとともに、吉本・ジャニーズなど「帝国」崩壊を思わせる動きも<芸能・スポーツ>

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今年は、前年度と打って変わり、当ブログの守備範囲である鉄道・公共交通の分野や原発問題で大きなニュースが多かった。だがそのほとんどは悪いニュースであり、良いニュースはおおさか東線、JR~相鉄連絡線の開業くらいだろう。総じて低迷の1年だったと思う。ただ、当研究会にとっては、国の公聴会での意見陳述(10位)などを通じて、奮闘した1年だった。

原発問題でも、今年は無罪判決に関電問題と良いニュースは皆無の情勢だった。だが、冷静に情勢を見つめるならば、この2つの出来事は、日本で今後、原子力の存続はできないと内外にはっきり知らしめる効果を持つものといえる。ランキングには加えなかったが、原子力規制委が特重施設(いわゆるテロ対策施設)の工事の遅れを理由に来年春以降、順次稼働中の原発の停止を命じる構えも見せており、来年は再び原発ゼロが実現する可能性がある。あきらめず、希望を持って反原発の闘いを続けたいと思う。

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【安倍風刺お遊びネタ】桜を見る会での安倍首相の姿が某国の「偉大なる首領様」に似ている件について

2019-12-10 22:51:08 | その他社会・時事
まずは以下の2枚の写真をご覧いただきましょう。

朝鮮民主主義人民共和国・万寿台(マンスデ)に立つ「偉大なる首領様」金日成主席の銅像でございます。



お次は、桜を見る会での安倍首相のお姿でございます。



大変よく似ていると思いませんか?

朝鮮民主主義人民共和国で建国の父として国民に崇められている(恐怖政治で崇めさせられている)金日成(キム・イルソン)主席ですら片手しか挙げていないのに、安倍首相は両手を挙げています。今や安倍首相は、偉大なる首領様を超える存在になりつつあります。どちらの国も一党独裁で、指導者を批判すると殺されたり、ヤジを飛ばすだけで排除されたりするという共通点もありますね。

日本には自民党以外の政党もあるから一党独裁ではないという安倍信者(支持者ではない)や自民党支持者からの抗議は受け付けません。なぜなら朝鮮民主主義人民共和国にも朝鮮社会民主党、天道教青友党という政党があり、日本と同じように「選挙」を通じて朝鮮労働党が選ばれているからです。

これからはみなさんも、道で近所の人に出会ったら「偉大なる首領、安倍晋三同志万歳!」と元気よくあいさつしましょう。

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「桜を見る会」に新事実 「税金乱費パーティー」は非正規公務労働者にも犠牲をしわ寄せ!?

2019-12-07 11:50:33 | その他社会・時事
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」に発表した記事をそのまま掲載しています。)

 連日、メディアを賑わせている「桜を見る会」問題。安倍首相はこんな時期でもメディア各社「メシ友」との懇談を通じた口封じに余念がない。だがピークこそ過ぎたものの未だメディアでは追及が続く。今まで安倍官邸のメディア封じに屈してきた各社が今回、報道を続けているのは不思議だと思っていたが、その理由がちらりと見える場面があった。NHKが平日夜11時から放送している「ニュースきょう一日」でその日、話題になったニュースがランキングで示されるコーナーがある。そこで桜を見る会関連ニュースが1位を占める日があった。どうやらメディア各社にとって桜を見る会ネタは「数字が取れる」ようなのだ。

 さて、その「桜を見る会」に関連し、ネットメディア「ダイヤモンド・オンライン」が12月2日付で記事を配信している。当初はあまり目新しさもなさそうなので、読み飛ばそうと思った瞬間、見過ごせない記述を記事中に見つけた。その一節を引用する。

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●「桜を見る会」は疑惑だらけ、長期政権の病は想像以上に深刻だ(ダイヤモンド・オンライン)

 桜を見る会の参加者数は、安倍政権になって年々増え続け、14年の1万3700人から19年は1万8200人。支出額も14年の3005万円が5519万円に増えてきた。

 だが内閣府は予算要求の際、参加者数を8000人と実態より大幅に少なく見積もり、15年度以降の予算計上額は1767万円とずっと同じだ。

 予算を超えた分は、「庁費」と呼ぶ、さまざまな事務費をまかなう会計課所管の一般共通経費から融通してきており、「毎年の桜を見る会の参加人数が読めない状況で、最低限の人数を前提にして予算要求をしてきた結果」という。
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 驚くべきことに、内閣府は、「桜を見る会」が予算面でも参加人数で見ても膨張する一方なのがわかっているのに、予算要求額を前年と同額にずっと据え置いてきたのだという。増額要求をすれば財務省にその理由を問われるからだ。ただでさえ「アベ友大お花見会」と化したイベントについて、財務省に増額要求の根拠など説明はできないだろう。頭を抱える内閣府官僚の姿が目に浮かぶようだ。結局、内閣府は増額要求をせず、予算を超えた分は「庁費」と呼ばれる予算費目から支払っていた、とこの記事は指摘している。

 長年、筆者は霞ヶ関ウォッチャーとしてその取材・観察を続けてきたが、「庁費」とは簡単に言えば中央省庁や国の機関の生活費予算である。各省庁やその出先機関で文房具などの事務用品を購入したり、また光熱費の支払いに充てたりする予算だ。清掃業者、警備業者、設備保守業者などへの委託費、また修繕費に該当しない簡単な機械などの修理費も基本的にはここから支払う。

 庁費の中には「会議費」という費目もある。会議開催に伴って発生する会場使用料や参加者への弁当代といった経費に宛てるものだ。「桜を見る会」の資金不足分に充てる経費として、「この費目なら後々に問題とならないですむ」と官僚が考えたとしても不思議ではない。

 だが、この庁費には隠された問題がある。非常勤職員と呼ばれる、いわゆる非正規公務労働者の賃金もここから支払われているのだ。非正規労働者問題、官製ワーキングプア問題を長年、追いかけてきた方々には周知の事実かも知れないが、正規職公務員の給与は職員基本給の費目で支払われる一方、非正規公務労働者の賃金は「庁費」の中の「賃金」という費目から支払われているのである。公務関係の労働組合を中心に、日本の労働運動は一貫してこれを非正規公務労働者に対する重大な差別と捉え、正規職公務員同様に職員基本給の費目から支払うこと、同一労働同一賃金とすることなどを求めてきた。

 今回、「桜を見る会」の参加者も経費も膨れあがるままに放置され、その穴埋めが庁費の費目を使って行われていたことが何を意味するか、ここまで明らかにすればおわかりいただけるだろう。内閣府の庁費予算全体が増えていれば別だが、そうでない限り、この穴埋めによって庁費の費目から支払われる予定だった他の支出がその分削られることを意味する。内閣府が文房具購入費や光熱費を節約したり、他の会議を中止するなどであれば無駄な経費や仕事の見直しという面もあるから一概に否定するものでもないだろう。しかし、光熱費や事務費を削るといってもおのずから限界がある。「桜を見る会」の無駄遣いが、本来なら引き上げられるはずだった内閣府非正規公務労働者の賃金に影響を与えているかもしれないのだ。

 非正規公務労働者の賃金が人件費ではなく「物品購入費」と同じ予算費目から支払われているという事実だけでも重大な差別なのに、しかもその経費さえ「アベ友大お花見会」のドンチャン騒ぎのせいで圧迫されているというのだ。こんなことをしでかしておいて「働き方改革」などといったいどの口が言っているのか。非正規公務労働者はもちろん、他の労働者も含めた全体でこの問題に対する怒りを叩きつけるべきだろう。

 自分たちのお仲間や取り巻き連中だけを優遇、「インナーサークル」だけを利し、他の市民には負担だけが押しつけられるような極端な側近政治が安倍政権の特徴だ。多くの日本人が先進国と信じて疑うこともなかったこの国は、安倍長期政権で堕落・腐敗の極致となり、筆者の目にはかつてのフィリピン・マルコス政権やインドネシア・スハルト政権の末期とさほど変わらないレベルに見える。確かにトランプ大統領だって娘のイヴァンカさんに政務をさせているし、朝鮮民主主義人民共和国の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長も妹である金与正(キム・ヨジョン)氏を政治にタッチさせている。「だから安倍昭恵夫人が桜を見る会の参加者選定に関与しているくらい問題ないではないか」という安倍首相支持者の寝言にだまされてはならない。イヴァンカさんは正式に大統領補佐官に任命されているし、金与正氏も対外宣伝担当の朝鮮労働党第一副部長という役職にきちんと就いているからだ。政府の公職にも自民党の役職にも就いていない完全なる「私人」(政府閣議決定)が何らの法的根拠もないまま、恣意的に国家権力を行使している。その意味では、もはや日本は朝鮮民主主義人民共和国にも劣るような反法治主義、側近政治状態になっているのだ。

 すべての日本人がこのことが持つ重大な意味を理解しなければならない。今度こそ安倍政権を追い詰め、退陣させ、二度と復活することのないよう徹底的に再生の芽も摘んでしまわなければ取り返しのつかない事態になる。桜を見る会への追及も「新しい年になれば終わる」などと考えているなら政治的に重大な結果を招くと、筆者は安倍政権に警告しておく。

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2019年 私の初夢~沖縄と北海道が日本から分離独立!?(その2)

2019-01-26 23:55:00 | その他社会・時事
(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2019年2月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

(筆者注:今号では別のテーマで執筆する予定でしたが、沖縄・北海道同時独立を夢想した前号の反響が大きかったため、急遽、続編を執筆することにしました。)

 「彼らはいったいいつまで続けるつもりなんだ。こんなに本気とは思わなかった」
 「残念ながらわれわれは、沖縄と北海道の怒りをあまりに軽く見過ぎていたのかもしれない」

 202×年4月。「琉球・アイヌ連邦人民民主主義共和国」の衝撃的独立宣言から3ヶ月。日本は新年度に入っていた。「どうせ彼らはすぐ折れる。日本に戻りたいと言い出すに決まっているから心配する必要はない」との東京の目論見は外れ、新国家の日本からの独立の意思は揺るがなかった。何よりも新国家が“成果を出す”ことにこだわり、矢継ぎ早に社会主義的新政策を実行に移したことで、独立に懐疑的だった人々もその恩恵を実感し始めていた。一方、東京の首相官邸では、閣議後の閣僚懇談会で冒頭のような会話が公然と交わされるようになっていた。手詰まりの官邸の焦りは深まっていた。

 「沖縄も北海道も依然として日本国の領土だ」として、日本政府は沖縄・北海道関連予算をこれまで通り新年度予算案に組み込んだまま国会を通過させた。だが、それらの予算が執行される見込みはなかった。閣僚懇談会でも「もしこのまま沖縄・北海道関連予算が執行できなかったらどうなるか」が話題になり始めていた。国庫返納、他予算へ振り替えるための補正予算の編成などいくつかの案が出ていた。だが、他予算への振替は、沖縄・北海道の独立を日本政府として事実上認めることにつながりかねないとして多くの閣僚は否定的だった。財務省も「予算を本来の目的で執行できないからといって他の用途に振り替えることは財政法違反であり認めない」と主張、国庫返納となりそうな雲行きだった。

 新国家は、中国や朝鮮民主主義人民共和国、韓国、ロシアと次々に外交関係を樹立。一方、日本政府との外交関係樹立は「日本政府による新国家の承認が条件」としたため進んでいなかった。

 新国家の強気の姿勢の背景には、「独立宣言」後も変わらない旺盛なインバウンド(海外からの観光客)需要があった。新国家を構成する2つの共和国のうち、琉球共和国(旧「沖縄県」)への海外(日本除く)からの観光客は年間270万人。アイヌ共和国(旧「北海道」)も280万人を数えた。これら観光客に新国家は観光税を課税したが、もともと独立前から円安傾向だったことに加え、「海外からの観光客は富裕層なのだから、観光税くらいで彼らが日本旅行をやめるとも思えない」(琉球共和国政府幹部)との独立前の読みがずばり当たった格好だった。

 観光税は新国家最大の収入源になっていた。観光大臣から報告を受けた玉城デニー国家主席もこの結果にご満悦で、「海外の富裕層から徴収した観光税収入を財源に“国内”の貧困層のための政策を実現する。これこそグローバル時代にふさわしい、国境を越えた“富の再分配”だ」として、この政策に自信を示した。教育費や18歳未満の医療費無償化など、独立前は不可能と思われた政策が、観光税や、アイヌ共和国産農産物に対する高額の輸出関税、在沖米軍への「迷惑料徴収」などを通じた豊富な財源により次々と実現しつつあった。何よりも、四半世紀にわたって厳しい人口減少に直面してきたアイヌ共和国支配地域(旧「北海道」)で人口減少にブレーキがかかったことが、弱者に優しい新政策の成功を物語っていた。

 一方、東京では、一向に折れる気配のない新国家に対し、自衛隊を派兵しての「武力併合」論が再び強くなり始めていた。このまま新国家の独立が既成事実化するのを避けなければならないとする点で閣僚たちは一致していた。だが、実際に派兵が可能かどうかに関しては政府内部で意見が割れていた。新国家独立宣言前、7割が集中していた米軍基地はもとより、自衛隊の人員の4分の1、駐屯地の2割、そして弾薬庫に至っては全体の半分が北海道に集中している状態で新国家にこれらをもぎ取られた日本の戦力は大幅に低下していた。「本土」にも遊休国有地は多く、失った駐屯地や弾薬庫、また軍需産業のフル回転によって武器や弾薬の調達については何とか見通しが立ちつつあった。だが問題はこれらを扱うことのできる自衛隊の兵員を確保できそうにないことだった。旧安倍政権時代に導入した「アベノミクス」による空前の好景気と人手不足は依然として続いており、若者の多くは自衛隊を忌避し民間企業に就職していた。自民党政権が若者の支持を得るためには就職を好転させる必要があるが、やりすぎると「貧困の徴兵制」が機能しなくなる――日本政府が抱えていたこのジレンマが、結果的に沖縄・北海道同時独立に利用されることにつながったのだ。

 初夏を迎える頃、日本政府に新国家「武力併合」を決意させる出来事が起きた。日本「本土」の人口減少がさらに加速する一方、「琉球・アイヌ連邦人民民主主義共和国」を構成する旧沖縄・北海道の区域で人口減少に歯止めがかかったことが統計結果として公表されたのだ。中でも日本政府に衝撃を与えたのが人口の「社会的流動」の項目で、日本が大幅減、「琉球・アイヌ連邦人民民主主義共和国」が大幅増との結果が示された。とりわけアイヌ共和国では、少子化による人口の自然減を補うほどの大幅な「社会増」が示された。玉城国家主席は「弱者を平気で切り捨てる自公政権の政策が変わる気配のない日本に見切りを付けた人々が、我が国にどんどん移住してきている」と述べ、今後も“新政策”を続ける強い意思を示した。

 この結果を見た東京の日本政府内部では「このままでは手遅れになる」として新国家の武力併合を求める声が一段と強まった。長く続いた安倍政権も結局、悲願だった憲法改正を実現できないまま今日を迎えていた。海外で自衛隊が武力行使をすれば違憲だ。だが日本政府は、違憲ではないのかと質す野党議員に対し「沖縄も北海道も依然として日本国の領土であり“海外”に対する武力行使には当たらないため、違憲ではない」と答弁していた。閣僚の中でこの見解に異を唱える者もいなかった。こうした国会答弁との“整合性”を確保するため、自衛隊の派兵は外国への武力行使を意味する防衛出動ではなく、「国内」の治安を確保するための治安出動として計画されていった。

 自衛隊の兵員が減った中で、東京から見て180度正反対の沖縄と北海道に兵力を同時展開できるのかとの不安は消えていなかった。だが、焦る政権幹部にこうした冷静な懸念の声はもはやまったく届かなかった。「武力併合だ。早くしろ!」と自衛隊派兵を主張する官邸トップの声に「制服組」の懸念はかき消されていった。

 新国家に対する自衛隊の「治安出動」を決めるため、臨時に召集された閣議が始まった。「アイヌ・沖縄の“土人”どもが。日本からの独立などすればどんな目に遭うかわからせてやる」という差別発言が公然と自民党の閣僚から飛び出した。図らずも日本政府の沖縄や北海道への意識を垣間見た瞬間だった。高揚した閣僚たちからは次々と強硬論が飛び出し、自衛隊の派兵はすぐにでも決まりそうな情勢だった。

 だがそのとき、首相の携帯電話が鳴った。電話は秘書官からで、緊急事態発生を告げる内容だった。青白い顔で戻ってきた首相は臨時閣議の中断を告げる。電話の内容を知らされた閣僚たちは、新国家「武力併合」など到底不可能であると悟らざるを得なかった。

 東京都内など日本の大都市部の商店から、次々と食料品が姿を消し始めた。食糧自給率が200%を超え、一大食糧基地だった北海道を「独立」で失った日本では、ただでさえ新国家が行った「輸出関税の10倍引き上げ」によってアイヌ共和国産の食料品が高騰し、パニックが始まっていた。特に、北海道がほとんど唯一の生産地だったじゃがいもは最も大きな影響を受け、「日本」各地ではポテトチップス1袋が1000円に引き上げられた。つい先日も食料品値上げ反対のデモが都内で行われ「ポテチ>最賃 ふざけるな!」と書かれたプラカードが登場していた。「最低賃金ではポテトチップスも買えない」という労働者や貧困層の怒りだった。

 そこへ、日本政府による「琉球・アイヌ連邦人民民主主義共和国」の武力再併合が近いというニュースが流れたことで、市民の不安は頂点に達していた。もし日本と「琉球・アイヌ連邦人民民主主義共和国」との本格的な武力衝突に発展した場合、ただでさえ高騰している北海道産の農産物は完全に供給が途絶するかもしれない――そう考えた市民による食料の奪い合いがついに始まったのだ。渋谷区内のスーパーでは、暴徒化した若者が店の倉庫にまで侵入し、保管してあった商品を強制的に買い取る騒動が起きた。ふざけ半分の若者の一部がその様子をインターネットの動画サイトに投稿したため、騒ぎはさらに拡大していた。

 政府は中断していた臨時閣議を再開したが、国内の治安を担当する国家公安委員長(警察を所管)と法務大臣(公安調査庁を所管)が「国内の治安維持に責任を持てない中での沖縄・北海道への自衛隊派兵には賛成できない」としたため、全員一致が原則の閣議は自衛隊派兵を決められないまま散会に追い込まれた。一方、日本政府の動きについて報告を受けた玉城国家主席はほくそ笑んでいた。「かつてレーガン米政権の農務長官は『食料はミサイルと同じ。食料を制する者は戦わずして世界を制する』と述べたが、その通りだった。北海道を独立に引き入れた私の判断は間違っていなかったのだ」。

 新国家樹立後に導入された人民代議員大会制度には、自由な選挙を否定するものだという批判が絶えなかったが、玉城国家主席はまったく意に介していなかった。公共事業を餌にして自民党が合法的に票を買収し続ける日本の例を引き合いに、人民代議員大会制度が日本の『自由選挙』に劣っているとは思わないと述べ、制度を変えることに否定的だった。労働者・市民が職場や地域代表を代議員として大会に送るシステムは、労働者や市民と職場・地域代表代議員との強固な結びつきを生み、労働者・地域住民本位の政策が立案されることにつながっていた。保育所整備を望む女性など、日本の自民党政権ではまず反映されることのなかった層の意見が政治に反映されるようになりつつあった。この意味でも人民代議員大会制度の優位性が示されたといえよう。

 「日本」を含む海外メディアの取材に対し、玉城国家主席は「日本を初めとする西側先進国の『自由選挙』とわれわれの制度のどちらが優れているか? 日本の人口が急減し、我が国の人口が下げ止まったことをみれば議論などする意味もないでしょう。あなた方は私が直接選挙で国家主席に選出されたわけではないと非難しますが、日本の首相だって直接選挙で選ばれていないという点では変わりがありません。国民の直接選挙で選ばれてもいない日本の首相が、直接選挙で旧「沖縄県知事」に選ばれた私を無視して基地を押しつけていた日本時代と、国家主席が直接選挙で選ばれていない点は同じでも、国民が自分の意思で自分たちの未来、自分たちの運命を決定できる今の体制。どちらを選ぶかと問われたら、あなただって今のほうがいいと思うでしょう」と、自由選挙否定に疑問を投げかける記者の質問を一蹴した。

 「琉球・アイヌ連邦人民民主主義共和国」は既成事実化し、玉城国家主席は「遠くない将来における在沖米軍の完全撤退」さえ口にするようになった。新しい社会の形は着々と示されつつあった。「日本」からの移住者はますます増え、外国からの国家承認も増えた。突如として生まれたまったく新しい国家の滑り出しは順調だった。(完)

(黒鉄好・2019年1月20日)

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2018年 安全問題研究会10大ニュース

2018-12-31 17:04:11 | その他社会・時事
さて、2018年も残すところあとわずかとなった。例年通り今年も「安全問題研究会 2018年10大ニュース」を発表する。なお、当ブログの名称を「人生チャレンジ20000km」から「安全問題研究会」に変更したことに伴い、昨年まで「当ブログ・安全問題研究会10大ニュース」としていた名称も「安全問題研究会10大ニュース」に改める。

選考基準は、2018年中に起きた出来事であること。当ブログで取り上げていないニュースも含むが、「原稿アーカイブ」「書評・本の紹介」「インターネット小説」「日記」「福島原発事故に伴う放射能測定値」「運営方針・お知らせ」カテゴリからは原則として選定しないものとする。

1位 歴史上初の南北・米朝首脳会談開催 対話大きく前進<社会・時事>

2位 福島原発事故刑事訴訟で勝俣恒久元会長ら3役員に禁錮5年求刑<原発問題>

3位 北海道胆振東部地震で震度7記録、苫東厚真火力発電所が直撃受け全道大停電<社会・時事>

4位 西日本で平成としては最悪の歴史的豪雨、鉄道・道路も寸断相次ぐ。台風21号災害ではタンカーの連絡橋衝突により関西空港が長期閉鎖<社会・時事>

5位 翁長知事死去を受けた沖縄県知事選で玉城デニー知事当選、基地反対勢力が県政死守<社会・時事>

6位 航空業界で乗務員の飲酒問題相次ぎ発覚、関係者に強い衝撃<鉄道・公共交通/安全問題>

7位 北海道の鉄道の再生と地域の発展をめざす全道連絡会、全北海道の路線維持めざす署名をわずか1ヶ月半で8万筆集め道へ提出も札沼線が廃止決定<鉄道・公共交通/交通政策>

8位 日本の原発輸出、トルコ、英国など相次いで中止へ。事実上すべて頓挫<原発問題>

9位 JR西日本、強制起訴刑事裁判で無罪確定の3社長に退職慰労金支給の一方で三江線を廃止<鉄道・公共交通/安全問題>

10位 運輸安全委員会設置から10年 着実に成果上げるも課題多く<鉄道・公共交通/安全問題>

【番外編】

・東海道新幹線車内で男が包丁で乗客切りつける事件が発生<鉄道・公共交通/安全問題>

・大阪市営地下鉄が民営化、「大阪市高速電気軌道」へ<鉄道・公共交通/交通政策>

・安全問題研究会が活動拠点を新ひだか町から札幌市に移転

・大黒摩季、復帰後初(8年ぶり)となるアルバム「MUSIC MUSSLE」発売<芸能・スポーツ>
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2018年の今年の漢字に「災」が選ばれるなど、今年は1年中災害ばかりだった。大阪北部地震など、もっとランク入りさせたい自然災害も多かったが、鉄道・公共交通への被害が比較的少なかったため選外となった。

今年は当ブログがメインテーマとしている公共交通問題や原発問題よりも他の分野で大きなニュースが多かった。特に、南北・米朝首脳会談は東アジアの地域情勢を大きく変え、後の歴史教科書に記載される大ニュースであることに疑いがない。また、フランスで年末に入り、マクロン政権退陣を求める「黄色いベスト」運動が始まったことにも当ブログは注目している。このニュースは2019年に引き継がれる課題であり、今年の10大ニュースからは選外としたが、今後の推移によっては2019年のランク入り有力候補である。2018年も前年に引き続き、歴史的ニュースは国内より海外が目立つ1年だった。全体としては、安倍政権への「反転攻勢」の目もはっきり見えた、来年につながる1年だったように思う。

公共交通問題や原発問題に関しては、ニュースとして「小粒」のものが多かった。原発差し止め訴訟は全敗でニュース価値も低いため選外としたが、原発全廃をめざす当ブログから見て、情勢が悪化したとは思わない。むしろ、東京電力元役員の強制起訴刑事訴訟で禁錮5年が求刑されたり、日本の最悪の国策だった原発輸出が全面頓挫するなど、明るい材料のほうが多い。反原発が運動としてうまくいくかどうかにかかわらず、原発それ自体は順調に自滅していくだろう。

一方、公共交通をめぐる情勢は、昨年のリニア工事をめぐる入札談合のような派手なものがなく、地味なニュース、それも暗いニュースが多かった。明るいニュースは小田急線の複々線化事業完成くらいで、ここまで悪いニュースばかりの年も珍しい。ランクインしているニュースを見ていると、鉄道など5年後には全滅するのではないかと思えるほどだ。

安全問題研究会にとって特に見過ごせないのが航空業界での飲酒問題である。本来であれば声明等を発表しなければならないほどの重大事態だが、それができなかったことに関しては当研究会の力不足を詫びなければならない。2019年早々には対応を検討したいと思う。

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2019年 私の初夢~沖縄と北海道が日本から分離独立!?

2018-12-25 22:49:42 | その他社会・時事
(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2019年1月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 「私は、本日ここに琉球・アイヌ連邦人民民主主義共和国の建国を宣言する」

 202×年1月1日。『旧日本時代』の沖縄県庁から場所を移し、新国家の“顔”となった首里城(主席府)前で、玉城デニー「国家主席」が高らかにそう宣言すると、詰めかけた数十万人の群衆から一斉に歓呼の声が上がった。かつて使われていた「琉球」の国号が復活し、連邦を構成する国家「琉球共和国」となった旧沖縄各地では、市民がカチャーシーを踊りながら「ヤマト」からの独立を祝う姿があちこちで見られた。「これからの私たちはこれまでとは違う。東京の顔色を伺うことなく、自分たちの意思で自分たちの運命を決めるのだ」――外国となった「日本」のテレビ局の取材に、あるウチナンチュは頬を紅潮させながらこう答えた。

 同じ頃、日本からの独立を祝っているもうひとつの地域があった。首里城から3000キロメートル以上離れた「アイヌ共和国(旧北海道)」だ。日本時代、北海道と呼ばれたこの場所でも、琉球に呼応するように、重厚な赤レンガ造りの旧庁舎に道庁を戻し、旧日本時代の道庁本庁舎は分庁舎とすること、アイヌ語を公用語とすることが決められていた。氷点下の凍てつく寒さの中、人々はその赤レンガ造りの庁舎の前に集まり、ささやかに独立の祝杯を挙げた。

 東京の日本政府がこの動きを察知したのはわずか数週間前のことだった。来年度予算の政府原案決定に向けて、財務省と各省庁が最後の予算折衝を行っていた年末。国会閉会中であることに加え、年末年始で中央省庁の体制が手薄となる時期を狙った独立宣言に、日本政府は打つ手がなかった。この直前、10年近い長期独裁体制を率いてきた安倍首相が引退したばかりだったこと、安倍時代にウソ・隠蔽・改ざんが横行した政府発表や政府統計を日本国民の誰も信用しなくなり、政府を支持する声がほとんどなかったことも独立への追い風となった。

 沖縄と北海道は、数年前から水面下で独立に向けた準備を着々と進めてきた。民主主義がないがしろにされているという思いや、大自然などの豊かな観光資源と豊富な食料を持ち、発展への大きな潜在力があるにもかかわらず、植民地と化した搾取的経済政策によって中央に豊かな暮らしを奪い取られているとの不満は、日本の中でも特にこの両地域で強かった。すでに何十回、いや何百回も米軍基地ノーの民意を示したのに、その結果はまったく考慮されず、自分たちが望まない米軍基地を暴力的に押しつけられてきた琉球。それとは逆に、あれほど市民が存続を望んだJRの鉄道路線をその意思に反してほとんど奪われたアイヌ共和国。国鉄分割民営化当時、4000キロメートル近くあった鉄道路線のほとんどはなくなり、札幌周辺の地域の路線だけが、札幌市営地下鉄と統合され細々と運行されているに過ぎなかった。高齢化が進み、公共交通も奪われたアイヌ共和国では多くの人たちが80歳を過ぎても自分でハンドルを握らねばならず、90歳を超えたドライバーも珍しくなかった。多くの高齢者が病院に行こうにも自宅から動けず、自宅で亡くなる事例が相次いで発生していた。食糧自給率が200%に達し、豊かな生活ができるはずの自分たちが、なぜ東京よりも貧しく不便な生活を強いられなければならないのか。そんな不満も積もり始めていた。

 北海道の人たちが、沖縄の人たちに「一緒に日本から独立しないか」と持ちかけられたのは、まだ安倍政権時代の数年前のことだった。「このまま日本という枠組みの中にいても東京に収奪され、永遠に植民地のままで終わりだ。自分たちの未来を自分たちで決めたくても決定権もない。でも独立して自己決定権を持てば、我々ウチナンチュは米軍基地撤去を自分たちの判断で決められる。北海道のみなさんも、自分の生きる道を自分たちで決められる」――今、琉球共和国政府職員となった元沖縄県幹部は独立の重要性を説いた。

 その場に居合わせた北海道庁幹部(現アイヌ共和国政府幹部)はこの提案を受けたとき、冗談だと受け止め真面目に取り合わなかった。そんなことができるとは夢にも思っていなかったからだ。だが、沖縄県幹部の熱い語りを聞いているうち、だんだん独立への夢が膨らんでいくのがわかった。「北海道でも独立すればいろんなことができる。今、道庁財政は厳しい状態だと思いますが、観光と食料という重要な武器があなた方にはある。観光客に課税する、あるいは東京に出荷する食料品に高額の輸出関税をかけるなどすれば、やりたい政策をやるための独自財源なんていくらでも創れますよ。それで財政を豊かにして、農業や観光、鉄道を保護する政策を思う存分やったらいい。沖縄では、日本政府が行っていた米軍基地への思いやり予算をやめ、逆に迷惑料として米軍基地から税金か土地使用料など、何らかの費用徴収をできないかと考えています。そうなれば、米軍はコスト負担を嫌って自分から出て行ってくれるかもしれないし、居座られたとしても、やりたい政策をやるための独自財源をそこから創ることができる。少なくとも、地元にとっていいものは全部東京に取られ、要らないものは押しつけられている今よりは、絶対に明るい未来が拓けます」と、彼は続けた。

 「おっしゃることはわかりますが、日本政府がやすやすと沖縄・北海道の独立を認めるとは思えません。せっかく独立を宣言しても、日本政府が沖縄・北海道の再併合のために軍隊を差し向けてきたらどうしますか」と北海道庁幹部は当然の問いを発した。沖縄県幹部の答えは明快だった――「できるわけがありませんよ。米軍基地の7割は沖縄にある。自衛隊の人員の4分の1、駐屯地の2割、そして弾薬庫に至っては全体の半分が北海道内にある。これらのすべてを一夜にして我々がもぎ取るんですよ。しかも、沖縄と北海道は東京から見て180度、正反対の方角にある。米軍基地の7割、駐屯地の2割、弾薬庫の半分を失った日本が、180度正反対の方角に、残った戦力を同時展開しなければならないんです。あなたが日本政府高官の立場だとして、それが可能だと思いますか」

 北海道庁幹部は、沖縄県幹部の勉強ぶりに舌を巻いた。日本からの独立は、沖縄だけでも北海道だけでも無理だろう。でも、両方一緒なら――。北海道は食料や天然資源は豊富にあるものの、有能な政治リーダーが見当たらない。沖縄はその逆で、有能な政治リーダーには事欠かないが、食料も天然資源も自立するには不足しすぎている。この両方がお互いに足らざる部分を補い合えば、案外、いい国家を造れるかもしれない。そんな思いが芽生えた。

 飲み屋談義にとどめておくには今の話はもったいないし、何よりも断然面白い。「知事周辺には半分冗談、半分本気の話として伝えておきます」と道庁幹部は引き取り、その場はそれでお開きになった。もう数年も前、暑い夏の夜のことだったとこの幹部は記憶する。当時は、寝苦しい夏の夜を涼しくするための怪談程度のつもりだった。

 この道庁幹部は、北海道知事に話をする予定だったが、直前で取りやめた。「経産省からの天下りで中央べったりの高橋知事にそんな話をすれば潰されるに決まっている。お前が本気なら、隠密に事を進めるほうがいい」と知事周辺の心ある職員から「忠告」されたためだ。この独立話は知事周辺の一部幹部だけの秘密プロジェクトとされ、水面下で沖縄県と準備が進められてきた。

 最大の不安は、沖縄県内や北海道内の米軍や自衛隊が独立後、日本ではなく新政府の統制に従うかどうかわからないことだった。「独立組」幹部たちは在沖米軍が琉球独立後、新政府側に立って動いてくれるよう米トランプ政権と水面下で交渉した。トランプからもたらされた回答は「我々にとって得になるなら、イエスだ」というものだった。米国第一主義のトランプらしい回答だと「独立組」幹部たちは苦笑した。沖縄県内、道内の自衛隊に対しては、独立後、彼らが日本でなく新政府の統制に服するなら自衛隊時代より給与・待遇を引き上げる「秘策」を用意した。

 遠く離れた両地域がいつまで日本政府にかぎつけられることなく、秘密裡に事を進められるかも懸念材料だった。「独立組」幹部たちは情報の漏れにくい第三国で秘密協議を続けながら準備を具体化させていった。いくつかの第三国が極秘に協力してくれたことも彼らへの後押しになった。

 「琉球・アイヌ連邦人民民主主義共和国」は独立宣言後、直ちに中国、ロシア、朝鮮民主主義人民共和国、韓国から国家として承認された。「独立組」幹部たちの独立準備を水面下で支援してくれた「第三国」の国々だった。米国は「独立後早い時期に全住民が参加する投票で独立賛成が勝つこと」を条件に、その後国家承認するという立場を表明した。この新しい国が日本による再併合から逃れ、国際社会で確固たる地位を築くには、1つでも多くの国による承認が必要だった。

 国民が「日本時代より良くなった。独立して良かった」と思えるようにするため、新しい国家は早急に成果を出す必要があった。玉城「国家主席」の下、新国家は社会主義的政策を導入した。連邦を構成する国家のひとつ「アイヌ共和国」の支配地域(旧「北海道」)の占冠村では、民営ガソリンスタンドが経営難で撤退した後、村が経営を引き継いだ。占冠村以外でも、ガソリンスタンドはもちろん、生活物資を扱う商店さえ民間では経営が成り立たず公営となる例が出始めていた。アイヌ共和国支配地域は旧日本時代からすでに実質的に社会主義化が始まっており、新国家による社会主義政策がさしたる違和感もなく受け入れられた。40年ほど前に国鉄から民営化されたJRが再国有化され、廃止された路線の復活が次々に始まった。10年ほど前に大停電を引き起こした電力会社も国に接収された。日本政府がろくに議論もせず決めたTPPなど、不公平な貿易機構からは離脱し農業を保護することにした。病院、学校も国有に変わり、貧困層の子どもたちには無償で1日3食、給食が支給されるようになった。新国家の支配地域に唯一存在していた泊原発は即時閉鎖が決定、旧日本時代の福島から避難してきた人たちには無償で住宅が提供されることになった。

 新国家は、日本時代から沖縄にあった地域政党と、北海道で結成された社会主義政党が合併した「社会大衆党」が政権を担った。社会大衆党が推薦する代議員や、地域や労働組合内部で選出された代議員によって構成される「人民代議員大会」を最高意思決定機関とした。旧日本時代のような自由選挙にすべきだとの声も根強くあったが、富裕層が金に物を言わせていくらでも票を買収できる「自由」選挙など必要ないとの声が勝り、このような制度となった。重要な社会的インフラ以外の企業には当面、私有形態を認めることとされたが、経営者の選任と報酬の決定は人民代議員大会の承認事項となった。

 今まで地球上のどの国でも見られなかった新しい国家の新しい試みは注目を集め、世界中から視察団が次々と訪れるようになった。視察団を出迎えた玉城国家主席はこの日もいつもと同じ笑顔を振りまきながら同じ言葉を繰り返した。「無意味に虚飾された言葉やイデオロギーなど要らない。新しい時代の国造りに必要なのは、私たち自身がどう生きたいかという、いわばアイデンティティーですよ。私たちは自分の手で、国民の意思を本当の意味で代行する本当の代表を選ぶこと、基地と原発、放射能におびえなくてもよい生活をすること、みんな平等に仲良くやること、それを自分の手で決めたいと思ったからです。いま私の言ったことは、全部当たり前のことです。世界中の学校で、みんな仲良くしましょう、弱い人はいじめるのではなく助けましょう、ウソをつくのはやめましょう、危ない物は遠ざけて、触らないようにしましょうと子どもたちに教えているはずです。それと同じことがなぜ日本ではできないのですか。理由はわかりませんけれども、私は日本がその当たり前のことを許してくれないから縁を切ったんです」

 ――ここまでストーリーが進んだところで目が覚めた。今日は2019年1月2日。すがすがしい朝だ。夢にしてはやけにリアルだったな。昔から縁起の良い初夢は「一富士二鷹三茄子」と言うけれど、こんな夢を見られたのだから、2019年はいい年にしなければ。今朝、見たことが夢でなく現実になるよう、今年も自分のやるべきことを、淡々と頑張りたいと思う。

(黒鉄好・2018年12月16日)

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