反米主義より民主主義・・・目取真俊氏批判

目取真俊氏のブロクより

「さらし者にされる反米の独裁者」

「スパイク通信員の軍事評論」というブログで、殺害されたリビアのカダフィ大佐の遺体が、ショッピングセンターの冷凍室でさらし者になっている様子が、映像とともに紹介されている。
 それにしても、どうしてカダフィ大佐の遺体がショッピングセンターで保管されていたのか。厳重な管理が必要なら、もっと別の場所があったのではないか。最初からさらし者にし、見物人に映像を撮らせて拡散させるのが目的だったということか。
 カダフィ大佐が兵士らに小突かれて路上を引き回される様子や、血まみれになって車のボンネットに載せられている姿など、カダフィ大佐の最期をめぐる映像が次々に出てくる。冷凍室の遺体の映像を含めて一連の映像を見ていると、反米の旗を掲げた独裁者の惨めな末路を印象づけようというプロパガンダの臭気が漂ってくる。
 中東やアフリカの「民主化」といえば聞こえがいい。しかし、独裁者を排除したあとに行われるのは、石油資源や軍事拠点の確保など、欧米諸国・多国籍企業の利益の追求であり、そのための反カダフィ派への軍事支援であったはずだ。アメリカのいう「民主主義」の胡散臭さは、沖縄にいれば毎日のように目にすることだ。




芥川賞作家目取真俊(めどるましゅん)<http://blog.goo.ne.jp/awamori777>氏のブログからの転載である。目取真俊氏は有名人であるし、転載して批判するのは有名人を利用しているようで気が引ける。このブログに転載しないで直接目取真俊氏のブログにコメントを書きたいのだが、目取真俊氏のブログはコメントができない。そういう事情があって、目取真俊氏のブログに掲載している「さらし者にされる反米の独裁者」をこのブログに転載して反論することにした。

 目取真俊氏はリビアが市民革命によってカダフィ独裁国家を倒し、民主主義国家つくりを宣言したことよりも、カダフィ大佐の遺体がショッピングセンターで保管されていたことを問題にしている。
 
 カダフィ氏がショッピングセンターの冷凍室でさらし者になっている様子や、 カダフィ大佐が兵士らに小突かれて路上を引き回される様子や、血まみれになって車のボンネットに載せられている姿など映像が次々に出てくるのはカダフィ氏が反米の旗を掲げた人物であり、反米の旗を掲げた独裁者の末路を印象づけようという目的があると目取真俊氏は述べている。
 目取真俊氏はカダフィ氏の無残な姿の映像が流れた裏にはアメリカの存在を感じるようだ。カダフィ独裁政治に自由を奪われ、弾圧され、カダフィ氏に逆らえば有無も言わさずに牢獄にぶち込まれ、今度の内戦では四万人以上の市民が殺されたリビヤ市民の怒りを目取真俊氏は感じないようだ。
 カダフィ独裁国家は石油利権を独り占めにしてリビアの冨を独り占めにした。カダフィ軍はカダフィ独裁国家に抗議する武器を持たない市民のデモにも銃弾を打ち込み平気で市民を殺害した。
  カダフィ独裁国家に抗議する市民が次々と殺されていく現実に、アメリカやEUはカダフィ氏に市民を攻撃しないように何度も要請した。しかし、カダフィ氏は無視して市民への攻撃を緩めなかった。このままだと カダフィ軍の情け容赦ない弾圧によって市民の反政府運動は消滅するかも知れない危機状態に陥ったのでアメリカとEUは空爆を行って市民の反政府運動を支援した。
 欧米諸国の空爆に至るまではカダフィ氏の説得や警告など時間をかけた。 欧米諸国の忠告や警告をカダフィ氏が無視したことが空爆の原因だ。
 
 「中東やアフリカの「民主化」といえば聞こえがいい。しかし、独裁者を排除したあとに行われるのは、石油資源や軍事拠点の確保など、欧米諸国・多国籍企業の利益の追求である」と目取真俊氏は述べている。その通りである。
その通りであるが、、欧米諸国・多国籍企業だけではなくリビアにも恩恵がある。目取真俊氏は欧米諸国・多国籍企業の利益の追求だけに目を向けていて、リビアの国民の利益のことは考えていない。
目取真俊氏は、欧米諸国・多国籍企業の利益だけを見てリビアの市民革命を否定的にみているが、リビアの石油基地を「欧米諸国・多国籍企業が所有して「欧米諸国・多国籍企業だけが儲けるわけではない。「欧米諸国・多国籍企業はリビアから石油を正当な価格で買うのだ。リビアで生産する石油は輸出することによってリビアは莫大な利益を得る。生産した石油を輸出しなければリベアに金が入ってこない。
石油の輸出は欧米諸国・多国籍企業とリビアの両方が儲けるのだ。目取真俊氏はリビアはリビアの利益を無視している。

 カダフィ独裁時代にも欧米諸国・多国籍企業はリビアから石油を買っていた。しかし、カダフィ独裁時代と違うのは、リビアの石油輸出から得る収入はカダフィ氏ではなくリビアの国民の収入となることだ。莫大な石油収入がリビアの民主主義国家再生に使われるのだ。
リビアの石油輸出は、リビアも儲けるし、欧米諸国・多国籍企業も儲けるのが正常な商売である。「欧米諸国・多国籍企業の利益の追求」だから悪いというのはおかしい。「欧米諸国・多国籍企業の利益の追求」は悪いという商売蔑視の目取真俊氏の考えは士農工商という身分制度をつくった江戸幕府の商売蔑視と同じである。

 カダフィ独裁政府の時も欧米諸国・多国籍企業はリビアから石油を輸入していた。だから、カダフィ独裁国家であっても欧米諸国・多国籍企業の利益は確保していたし、、カダフィ独裁国家であっても欧米諸国・多国籍企業は困ってはいなかった。
欧米諸国・多国籍企業の商売から見れば、リビアがカダフィ独裁国家であっても民主主義国家になっても変わらない。欧米諸国にとってはリビアが内戦状態になることが困ることだった。内戦状態になったら石油生産がストップする恐れがあったからだ。だから、欧米諸国は内戦にならないように何度もカダフィ氏の市民攻撃を止めて、話し合いで解決するように要請をした。
しかし、カダフィ軍の市民攻撃は止まらず。多くの市民が殺されていった。政府軍から離脱した兵士が政府軍と戦い、市民も武器を持ち内戦状態になった。カダフィ軍が圧倒的に強く、このまま内戦が続けばカダフィ軍による市民の虐殺が拡大する恐れがあった時にアメリカや北欧が市民を支援するために空爆を始めた。

リビアの内戦は欧米諸国が内戦を仕掛けたのではない。チュニジア、エジプトの市民革命の連鎖でリビア市民は立ち上がったのだ。カダフィ氏がチュニジアやエジプトのように平和的に政権を市民に譲れば内戦は起こらなかった。カダフィ氏は政権を譲るどころか市民の虐殺を始めた。カダフィ氏が市民を弾圧したことが欧米諸国の軍事介入の要因である。

内戦が始まれば欧州諸国は市民の味方をするのは当然である。欧州諸国が軍事介入をしなければリ、カダフィ軍のビアの市民殺戮はずっと続き、四万人どころか恐ろしいほどの死人が出ていただろう。
カダフィ独裁政権でも、「欧米諸国・多国籍企業の利益の追求」は成功しており、欧米の軍事介入はカダフィ軍によるリビア市民の殺戮を止めるための人道主義のほうが強い。 目取真俊氏のいう「、石油資源や軍事拠点の確保など、欧米諸国・多国籍企業の利益の追求」というのは本当ではない。

 目取真俊氏は、最後に 「アメリカのいう『民主主義』の胡散臭さは、沖縄にいれば毎日のように目にすることだ」と述べているが、理解できない内容である。沖縄にはアメリカ軍しかいない。沖縄はアメリカではない。毎日見えるのはアメリカ軍であり、アメリカ軍を見てアメリカの民主主義が見えるなんてあり得ない。
 
 民主主義は民主主義であり、アメリカのいう民主主義とかという問題ではない。民主主義は、基本的には国民の選挙によって国会議員が選ばれ、国会議員によって法律が決まり、法律は条文化され、法律は国民に平等に適用されるということだ。
 民主主義国家にもいろいろな形がある。信教の自由な民主主義が欧米やアジアであるが、イスラム教の民主主義国家では信教の自由が許されない場合もある。それでも国民の選挙で選ばれた議員によって決められるならばそれもよしだ。
 
 民主主義国家こそが国民のための国家である。完成した民主主義国家というものはないが、民主主義国家だからこそ、歴史を経れば経るほど国民のための社会をつくっていく。 目取真俊氏は民主主義よりも反米主義の傾向が強いようだ。反米主義であれば独裁主義者でも歓迎する目取真俊氏に民主主義思想はない。残念である。
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軍国主義がトラウマになっている人たち




 満州事変が始まり、中国、東南アジアに日本軍が進出するにつれて天皇崇拝・軍国主義はどんどん強化していった。玉音放送が流れ終戦する間際が天皇崇拝・軍国主義は最高潮に達していただろう。天皇崇拝・軍国主義を心のそこから信頼していたほとんどの日本国民は玉音放送が流れるまで日本が勝利することを信じていた。
 杉本信夫氏は少年の頃の天皇制国家の体験を述べている。杉本氏の少年時代は天皇制帝国主義の被害者であったかのように述べているが、都会人が閉鎖的な田舎に転向すれば苛められるのは普通であり天皇制帝国主義とは関係がない。杉本少年が田舎に転向した時期が日本の軍国主義時代であり、軍国主義に染まった田舎の少年たちに苛められたということだ。

 杉本信夫氏は軍国主義時代のひどい状態は述べているが、自分が天皇を崇拝していたかどうかは述べていないし、軍国主義教育を受け入れていたかも告白していない。問題にするべきは杉本氏の思想である。軍国主義教育を受け入れていたなら、自己批判をしなければならない。うやむやにしながら戦後の民主主義思想を受け入れることはできない。
 杉本氏は、敗戦後に廃墟の中から「自由の風」を得たと述べているが、廃墟が自由を与えるはずがない。戦後の自由は日本軍国主義を敗戦に追い込んだアメリカが与えたものであり、廃墟が与えたものではないし、天や神が与えたものでもない。

 日本国憲法が制定され、立法、行政、裁判の三権分立の確立、財閥の解体などが行われた結果、杉本氏は廃墟の中から自由を得たのだ。そのことは中学や高校の教科書にも書かれている。
 杉本氏は、敗戦後に廃墟の中から「自由の風」を得たと述べているが、そのように「自由」を理解しているということは天皇崇拝・軍国主義を信じていたことをうやむやにしながら、戦後の「自由」がどこからやってきたかも理解しないで「自由」を享受したと思われる。

 戦前の天皇制国家の教育を受けた人たちは、国家とは天のような手の届かないところに存在し、民の意思とは関係なく、上部で変化すると思い込んでいる。だから、戦前の軍国主義に戻るかもしれないという恐怖心があってしまう。
 そのような人たちは戦後60年以上も続いてきた民主主義国家が簡単に崩れたり、国民が簡単に軍国主義思想に戻ったりするかもしれないと思っている。しかし、国や国民は簡単に変わるものではない。杉本氏がそのような危惧を持つのは杉本氏の間違った歴史観によるものである。

 日本が軍国主義国家になるのは不可能であると断言できる。明治政府は富国強兵を掲げて、軍隊を強化した。軍隊を強くした目的は他国に戦争をしかけて植民地にするのが目的であった。帝国主義日本は、協力な軍隊つくり大陸や東南アジアに進出して次々と植民地を拡大していった。
 しかし、日本が軍事力で他国を制圧して植民地する時代は終わった。もう日本軍が他国に攻め入って植民地をつくることができる時代ではない。日本軍が韓国、中国、フィリピン、台湾、カンボジアの国々に進出すれば侵略された国は激しく反撃するだろうし、国際社会も許さない。戦争をすれば外国との貿易はストップして日本の経済が破綻する。国際貿易時代の現在は隣国を軍隊で攻めて植民地にできる時代ではない。
 国際状況を冷静に見れば、日本が軍国主義国家になるのは不可能であることが認識できる。

 国内的に見れば、日本が軍国主義国家になるためには、民主主義社会ではなくするために、日本国憲法を廃棄し、選挙制度を廃止しなければならない。全てのマスコミを軍が統制しなければならない。経済を軍が握らなければならない。
 日本の選挙制度を廃止することができるだろうか。それは不可能だ。自衛隊が政府や国民を支配することはできない。 国内を見ても日本が軍国主義に戻る可能性ゼロだ。

 杉本氏は、「沖縄の『教科書問題』は『日米合意』による日米軍事基地強化と連動します」とめちゃくちゃな解説をしている。教科書問題は八重山の石垣市長が革新系から保守系に変わったからである。尖閣諸島における中国との緊張の高まりが革新系から保守系に変わった原因のひとつだろう。教科書問題は日米軍事基地強化とは関係がない。

 杉本氏が八重山の教科書問題くらいで、日本が再び軍国主義、全体主義的なファシズムへ進むかもしれないと思ってしまうのは、日本の天皇崇拝、軍国主義の歴史を正確にしらないからであり、天皇崇拝、軍国主義体験がトラウマとなって国民や国家が簡単に変わると思い込んでいるからでいる。
 
 杉本氏の「自由」は政府が守り保障しているから得られている「自由であり、政府なしには杉本氏の「自由」はない。日本国民の自由を保障している法律、日本国民の「自由」を守る警察、裁判があるから杉本氏は「自由」を生きることができる。杉本氏は民主主義国家に守られていることを理解していない。

 杉本氏は、「過去の悪夢に戻そうとする、政府加担の今回の八重山における『教科書問題』は決して許すことはできない」と述べている。杉本氏にとって国の介入は悪夢を戻すものらしいが、杉本氏が「自由」を享受し、暴力に見舞われない平穏な生活をおくっているのは国が介入しているからである。国が介入していなければ無法地帯になってしまうのだ。

 八重山教科書問題で国が介入したのは、八重山地域で公民の教科書をひとつにまとめることができないので、県にまとめるように指示した点である。ところが県は教科書無償化法の規定を破って強引に東京書籍を選択した。
 戦前の軍国主義的な乱暴なやり方をしたのは県教育庁のほうであり、国は法律の規定に従って処理しようとしているだけだ。国は県に法律を守らせようとしているのだ。
 国は悪であると決め付けるような杉本氏は戦前の天皇崇拝・軍国主義がトラウマとなっていて、民主主義国家を理解できないからだろう。

 天皇崇拝・軍国主義がトラウマとなっていて、本来の民主主義を理解できない彼らが「国家」「自由」「民主主義」を謳歌して戦後生まれの人間たちに影響を与えている。残念なことである。
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今日の秋真っ赤になって暮れてゆく・七百九十三~七百九十五句

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