沖縄の思想的不幸





 戦前の日本は帝国主義国家であり、軍隊を強くして植民地を増やすことによって国が豊かになるという富国強兵が政府の方針であった
 富国強兵の日本は日清戦争、日露戦争に勝ち、植民地を拡大していった。一方国内では大正デモクラシー運動があり、民主主義運動も台頭してきたが、軍隊によって首相や閣僚が暗殺されて、軍部の政治力が強まり、とうとう軍隊が政治の実権を握って、日本は軍国主義国家になった。

 「りゅう子の白い旗」の作者新川明氏は軍国主義時代に育った人物であり、少年時代に徹底して皇民化教育を受けている。彼と同じ時代に育った少年のほとんどが終戦まで天皇崇拝者であり軍国主義少年であった。版画家の儀間氏も解説文の中里氏も同様である。

 彼らは民主主義教育を受けていない。彼らは民主主義の立場から日本軍を否定しているのではない。日本が敗戦したことは、天皇崇拝や軍国主義の敗北であり、敗北によって天皇崇拝や軍国主義を否定するようになった彼らは、天皇崇拝や軍国主義を180度回転させた場所に立つようになった。それはあたかも民主主義のように見えるが、天皇崇拝や軍国主義を否定すれば民主主義であるというわけにはいかない。
彼らは天皇崇拝や軍国主義を180度回転させて反戦平和主義者にはなったが、民主主義者にはなっていない。

 戦争が終わり日本はアメリカによって強制的に民主主義になった。戦後は民主主義国家になり、民主主義教育をするようになった。民主主義教育を受けたのは戦後生まれの人間であり、新川明氏たちは民主主義教育を受けていない。
 軍国主義時代に少年であった人間たちは戦後に大人になり戦後の沖縄の思想を牽引していった。彼らは天皇崇拝を否定し、軍国主義を批判して、反戦・平和主義者になっていった。

 しかし、彼らは天皇崇拝・軍国主義の呪縛から逃れることはできなかったようだ。天皇崇拝を否定し、軍国主義を否定すれば天皇崇拝や軍国主義を乗り越えたということにはならない。
 天皇崇拝や軍国主義を根本から否定できるのは民主主義である。天皇を否定し、軍隊を否定するのは反戦平和主義ではあるかも知れないが、民主主義ではない。

 反戦平和主義の彼らは、軍国主義国家の軍隊と民主主義国家のシビリアンコントロールされた軍隊と区別することができないのだ。

 日本軍による沖縄の住民への犯罪的な行為の原因のひとつは天皇崇拝・軍国主義の国家の軍隊であったことである。
 民主主義国家の軍隊であったら沖縄戦のような悲惨なことにはならなかっただろう。日本が民主主義国家であったなら真珠湾攻撃はなかっただろうし、もし、あったとしてもアメリカ軍の沖縄上陸の前に敗戦の宣言をしていただろう。
 戦前の日本は軍が政権を握っていたから、武士精神を豪語して「最後の一兵まで戦う」という覚悟をしていた。天皇陛下の玉音放送がなかったら、九州も戦場になっていただろう。

 民主主義教育を受けていない戦前育ちの彼らはどんな軍隊でも政治力をもっていると思っている。沖縄戦の日本軍が軍隊の本性だと信じている。だから、帝国主義思想の否定や軍国主義思想の否定ではなく軍隊否定になってしまうのだ。
 軍隊は国家のあり方に大きく左右される。戦前の軍隊は軍人が政権を握っていて軍隊が日本社会を支配していたから、沖縄戦の悲劇が起こった。しかし、戦後の日本は民主主義国家であり、自衛隊が日本社会を支配しているのではなく、国民に選ばれた政府が自衛隊を支配している。
 防衛庁の全権をにぎっているのは首相であり、直接の指揮者は防衛庁長官である。自自衛隊の予算や方針を決定するのは政府である。制服組が政府と違う方針や思想活動をすれば政府によって排除されるのが戦後の日本である。戦前の軍隊と戦後の自衛隊は全然違う。
 憲法第九条がなくても、自衛隊が日本国民の意思に反して戦争を起こすということはあり得ないことである。

 リビアでは政府軍から離脱して市民の側についた多くの兵士がいた。彼らの活躍でリビアの市民革命は大きく前進した。カダフィ独裁国家の政府軍も軍隊であれば、市民革命の側についた軍隊も軍隊である。軍隊は一様ではない。
 国家が独裁国家であるか民主主義国家であるかという国家のあり方で軍隊の性質が違う。軍隊を国家から切り離して、軍隊はすべて沖縄戦の日本軍と同じであると決め付けるのは間違いだ。

 解説文で、「その隠然たる力は中央の政治家を巻き込んでますます大きくなってきつつある」と書いてあるが、民主主義を理解していない、戦前の恐怖がトラウマになっている彼らにとって中央政府の政治家は国民に選ばれた政治家というよりも、中央の政治の実権を握っている存在であるイメージのほうが強い。彼らにとって戦前の軍国主義の政府も戦後の民主主義の政府も同じ性質の中央政府なのである。

 戦後の政府は国民の選挙によって成り立っているのであり、国民の意思にそぐわない者は国会議員になれないし、政府の閣僚にもなれない。「美しい日本」を歌った首相はすぐに首相の座から下ろされた。

 民主主義が発展してきた日本が戦前回帰することはあり得ない。
民主主義は表現の自由を保証している。慶良間問題について色々な意見があって当然だ。それを批判したり裁判に訴えるのも自由である。
 しかし、表現は自由であっても裁判は公正中立であるべきである。「集団自決裁判では裁判所は公平な立場から判断を下している。判断を下した理由もきちんと述べている。裁判結果が日本が民主主義国家である証拠である。

 日本が民主主義国家であるか否かを判断するのは裁判のありようであって、一部の政治家や活動家の右傾化うんぬんではない。日本は民主主義国家であり、思想信条の自由、表現の自由は保障している。だから、新川氏や中里氏が嫌う右翼的な人間の表現・活動が許されているし、右翼的な人間が嫌う新川氏や中里氏の表現・活動も許されているのだ。

 
 天皇崇拝・軍国主義を単純に180度ひっくり返しただけの天皇崇拝否定、反戦平和主義が戦後の沖縄の思想を牽引してきたのは沖縄の思想的不幸である。
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リビア「解放」、チュニジア「議会選」




 カダフィ氏の死によって、「国民評議会」はリビア「解放宣言」をした。市民4万人以上の血を流してリビアの市民革命は成功した。
 リビアはこれから民主主義国家の建設が本格始動する。一方、「アラブの春」の始まりをつくったチュニジアは23日に、新憲法を制定するための政権議会(217議席)選挙が行われた。
 チュニジア、エジプト、リビアには、これからさまざまな問題が起こり、民主主義国家つくりには紆余曲折あるだろうが、イラクやアフガンのような激しい内戦は起こらないだろうし、独裁政治にもどるということも絶対にないだろう。
 チュニジア、エジプト、リビアと並んでいる三国が市民革命に成功したのは非常に価値がある。これからの中東の民主化は大きく前進するだろう。

 リビア、チュニジアのニュースの側に「不法操業の中国選拿捕」という記事が掲載されている。中国漁船3隻が韓国の排他的経済水域内で不法操業をしていたので韓国は拿捕した。
 漁船員はスコップや棒を振り回して激しく抵抗したのでヘリコプターで催涙剤を散布するなどして制圧したと書いてある。中国の横暴な態度は健在だ。
 このような事態が尖閣諸島の領海で起こる可能性はゼロではない。中国は日本の隙を狙っているのであって、尖閣諸島の領海への侵入をやめたわけではない。

 中国が共産党一党独裁国家である限り、中国との緊張は続く。
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行政と渡り合えるのは松井氏だけ


 大阪府の橋下徹知事(42)は23日、地域政党・大阪維新の会の全体会議で、11月27日投開票の府知事選に、同会幹事長の松井一郎府議(47)を擁立すると発表した。
 同日選となる大阪市長選には自ら立候補することも改めて表明。ダブル選で「大阪都構想」の是非を問う姿勢を鮮明にした。
 橋下氏は松井氏とともに大阪市内で記者会見し、「行政組織と渡り合えるのは松井幹事長しかいない。2人で都構想に突き進みたい」と述べた。松井氏は維新の会旗揚げの中心メンバーで、橋下氏の信頼が厚い。
 大阪市長選では平松邦夫市長(62)が再選出馬を表明。また、共産党などが擁立する前大阪市議の渡司考一氏(59)、前兵庫県加西市長の中川暢三氏(55)も立候補を表明している。
 知事選では共産党などが弁護士の梅田章二氏(61)を擁立。建設会社社長の羽柴秀吉氏(62)も立候補の意向を示している。

(2011年10月23日20時57分 読売新聞)



 大阪府と大阪市の二重行政を解消するには大阪全体に関わる水道事業や道路、大学、病院などの事業は府が受け持ち、市民への直接サービスは市が受け持つという理論を府と市が共有しなければならない。しかし、橋元氏の大阪都構想は大阪市の市長というより大阪市の行政幹部の抵抗が強くて理論を共有することができない。
 橋下氏は「行政組織と渡り合えるのは松井幹事長しかいない。2人で都構想に突き進みたい」と述べて、大阪を改革するには行政組織と真っ向勝負して力でねじ伏せなければならないことを主張している。国の官僚問題と似た問題が大阪にも存在するということだ。
 国は官僚をねじふせることができないが、大阪なら橋下氏と維新の会が行政の反抗をねじ伏せて改革を実現することができる。
 
 橋下氏が街頭演説をしているのに対して、平松市長は地域の祭りに顔を出していた。平松市長は、橋下氏は大阪のことを知らないなどと言っていたが、昔ながらの、政治は抜きにして祭りに顔を出して支持者を拡大するという人情に訴える選挙運動こそ腐敗した政治の象徴だ。
 政治家は政治を語る場をつくり、積極的に自分の政治姿勢を訴えるべきであり、平松市長のような祭り顔出しは止めたほうがいい。

 橋下氏と維新の会の大阪都構想、教育改革案、公務員改革案の内容ははっきりしているし、松井大阪府知事、橋下大阪市長は構想を実現してほしい。大阪で改革が実現すれば日本全体の地方自治を変革することができる。
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ジャニスのサマータイムを聞きたいな・七百九十~七百九十二句

七百九十句





七百九十一句





七百九十二句





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