八重山そして大阪そして大城立裕氏



 玉津石垣教育長は育鵬社の教科書を選択するために、綿密な計画のもとに規約変更をしたといえる。
 玉津氏の規約改定の手順は巧妙であり、法律と規約改定に通じている自民党議員の指導がなければできなかっただろう。
1、教育委員を8人にした。
2、教育委員会は協議会の答申に基づき、採択すべき教科書を決定する。
3、教育委員会の採択が答申内容と異なった場合は協議会による再協議の結果を最終決定とするとしたが、武  富町が反対をして、3教育長による役員会を設置して、役員会で再協議する。となった。
4、調査員の順位付けの廃止。
5、調査員を選任委託・。
6、無記名投票
7、協議会を非公開にする。

 玉津石垣教育長は次々と改定を提起した。そして、玉津氏の提案は他の教育長が承認した。注意すべき点は玉津石垣市教育長のやり方が強引だったとしても、玉津氏の提案は協議会で全員に承認されたことである。
 新聞は協議会委員へ学校長を追加する同議案が、玉津氏を含む反対多数で否決された後、「数の力」の前に、制度変更案については議論もなく決まったと書いている。
 新聞や革新系は、少数意見を大切にするのが民主主義であるといい、相手側が多数決で決めると「数の力」といい、数の暴力で物事を決めているというイメージを持たせる。
 革新系が過半数である場合は、「数の力」という表現は消え、数の暴力で決めるイメージを全然感じさせない「民意」という言葉で表現する。

 新聞や革新系には「民意」は常に新聞や革新系にあるという妄想があり、保守系は民意に反する存在であると決め付けている。だから、保守系が過半数を占めて、事案を決めていくと、少数の意見を無視した、数の力で決める横暴なやりかたであり、数の暴力であると非難する。ところが、革新系が多数を握ったときには、多数決で決めることは「民意」であると、少数意見を完全に黙殺する。

 玉津石垣教育長が強引に規定変更をしたように書かれているが、玉津石垣教育長は規定の変更を提案したのであり、提案は協議会の全メンバーが承諾したのだ。提案が強引であっても全メンバーが承認したのだから、玉津石垣教育長が強引に決めたとはいえない。

 県教育庁が指導した9月8の協議会では、新しい教科書を教育委員の多数決で採択するという新しい提案が出された。その提案に2人が反対したので、多数決で決めてしまった。規約の変更は全員一致で決めるのが前提であるのに、規約の変更を多数決で決めたのだ。これは明らかに規約違反であり、数の暴力である。
ところが、教員OBや革新系の人たちは「多数決は民意」であると、9月8の協議会の決定を正当であると主張するのだ。実に情けない。泣けてくる。








 大阪では、維新の会が「教育基本条例案」と「職員基本条例案」に関して、職員と激しい討論をやった。橋下府知事の提案で、職員も遠慮なしに発言できる場を設けての討論会だったようだ。見出しに「職員の反発受け修正」と書かれているように、維新の会は対話を大事にし、いい意見であれば敵味方なく採用する。それが維新の会のすばらしいところだ。
 維新の会が提案している「教育基本条例案」は沖縄だったら猛反発され、討論会どころではなく、「教育の危機」などと大規模な反対集会が開かれ、県民大会まで発展するかもしれないシロモノだ。
 校長を公募し、教科書推薦を校長がやってもいいとし、駄目教員には厳しい処分をするなど、教育界のぬるま湯体質を一気に改革するというのだからすごい。育鵬社の教科書を採択するかしないかの問題なんか軽く吹っ飛ぶ。

 大阪で維新流の改革が進み成果を挙げれば全国に広まるだろう。楽しみだ。





 大城氏は、「危険な原発は、東京の人々の生活を助けるために」地方にあると述べているが、原発が地方にある理由は、原発をつくるには
1、広大な土地が海の近くあること。
2、地元が原発建設に賛成すること。
この2点の条件が必要だ。

 1の条件だと、原発をつくる広大な土地を都市部で見つけるのは難しいし、都市部の土地は高いからを買い上げるとなると莫大なお金が必要となる。
 2の条件は、都市部の人たちが危険な原発の誘致に賛成することはありえない。原発は、一方的に地方に押し付けたのではなく、県、市の地域住民が誘致に賛成したから建てられた。誘致した理由は貧困からの脱出である。産業のない地方は冬は出稼ぎをしなければならなかった。原発ができれば就職できるし、補助金も出て地域が潤う。だから、田舎の人たちは原発を誘致したのだ。

 経済的にみれば、原発は都会で使う電気料金が原発のある住民へと流れるから都会の冨を田舎に流す仕組みであり、田舎が潤う仕組みになっている。原発は「東京益」を「田舎益」に転換するのだ。
 大城氏には原発を誘致しなければならない過疎地の人々の迷い、苦しみ、決断を知らない。

「原発を東京の人々の生活を助けるために地方に設置され」というような単純な問題ではない。原発がなくなればその地域の収入が激減し過疎化するという深刻な問題がある。原発を廃棄するなら原発に替わる産業を作り出さなければならない。それが難しい課題である。太陽光発電や風力発電などベンチャー企業を原発の代わりの産業する案もあり、これからの大きな課題だ。

「ただ沖縄は反基地の素地が強い上、観光業などで経済も一定程度自立し、それが基地への抵抗を支えている」というのは嘘だ。基地への反対運動は戦後すぐに米軍が土地を収用しようとした1950年代から生まれている。沖縄の人々の反米反基地闘争は観光事業が全然ない時代から盛んであった。

 沖縄は社会主義者や共産主義者が多く、瀬長亀次郎率いる人民党は反資本主義だったから反米主義であり反基地運動は反米反基地闘争であった。反米反基地闘争を推進する組織と祖国復帰復帰運動を推進する組織はダブっていたから、祖国復帰復帰運動と反米反基地運動が絡んだのが沖縄の大衆運動だった。

 祖国復帰運動推進者は戦前のような「芋と裸足の極貧生活」をしてでもいいから、沖縄からアメリカ軍を追い出し、沖縄を日本にするのだという思想が強かった。だから、反基地運動と経済とは関係がない。基地経済で潤っている経営者や労働者には反基地運動に消極的であった。

 今でも、建設業者などはアメリカ基地の工事に参加したがっているし、普天間基地が辺野古に移設するとなると工事費は莫大であるから、辺野古移設を望んでいる業者や労働者も多い。
 沖縄も色々な人間がいるというわけだ。

 基地への抵抗を支えているのは基地とは利害関係のない革新系の人たちであり、教師や公務員を中心とした人たちである。基地の騒音に悩まされ、賠償請求の裁判をしている人たちでも基地撤去を主張しているわけではない
 沖縄には色々な階層の人たちがいる。資本家、公務員、労働者、農業儒自社、二次産業従事者、三次産業従事者。どの層の人たちが基地撤去を主張し、どの層の人たちが基地撤去に消極的であるかを知るべきだ。

 大城氏は小説「琉球処分」を書いた人である。大城氏は、「1879年の琉球処分以来、本土の幸福のために、かなりの程度で沖縄が犠牲になってきた」と述べている。
 大城氏のいう「琉球処分」とは廃藩置県のことである。廃藩置県は沖縄だけがされたわけではない。全国で廃藩置県は実行された。例えば江戸は東京都になった。薩摩藩は鹿児島県になった。廃藩置県は日本を四民平等にし、武士支配をなくすためのものだった。
 琉球処分が本土の幸福のためというのは大城氏の勘違いである。

 政治的、社会的差別があったと大城氏は述べているが、明治政府が目指したのは中央集権政治であった。明治政府のやり方は沖縄だけではなく全国一律に実行した。「琉球処分」は沖縄だけへの差別なのか、それとも中央集権国家であるが故の全国の県と同じ差別なのかを区別するべきである。

 廃藩置県は近代国家をつくるための過程であり、処分されたのは琉球王朝であり、開放されたのは圧政に苦しんでいる農民たちであった。八重山、宮古の武士や財産のない下級武士たちも廃藩置県に賛同したという。大城氏が廃藩置県を「琉球処分」とみなす限り、沖縄の歴史や現実を正確に認識するのは難しいだろう。

 大城氏は、「多数決の民主主義では、人口が多い東京などの都市の多数が優先する」と述べているが、政治と経済は区別して判断するべきだ。民主主義は政治であり、東京に人口が集中しているのは東京が経済的に栄えたからである。民主主義の原理とは関係がない。東京はどちらかというと資本主義経済の恩恵は受けているが、民主主義の政治的な恩恵は受けていない。

 国会では東京の議員もその他の議員も権利は一票である。東京の議員だから票が多いというものではない。東京が優遇されるような政治にはならない仕組みになっている。むしろ、地方議員は当選するために地元の経済を発展させたいから、地元にお金が落ちるように頑張る。だから、沖縄のような貧乏で経済力のない地域には都市部から得る莫大な税金を回す仕組みになっている。地方は切り捨てられない。これが民主主義政治のよさだ。

 東京に政府も経済の中枢も集中している。それが東京の経済を異常に発展させている原因である。アメリカは経済の中心はニューヨーク。政府はワシントン、映画はハリウッドというように政治、経済を分散している。日本も分散したほうがいい。

 那覇に県庁、那覇港、那覇空港があり、沖縄はも那覇市に政治も経済も集中している。分散させたほうがいいと思う。

 大城氏は普天間基地について、「例えば他の都道府県で知事個人として沖縄に同情し『わか県で引き受けましょう』といったら落選する」述べているが、県民が望まないことをすれば落選するのが民主主義だ。知事は自分が選ばれた県のために働くのであって、他県の沖縄に同情して普天間基地を引き受けるなんて知事失格だ。そもそも知事は公人であり、個人的な感情で政治をするものではない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )