県には法治主義がないのか




 
 
 民主主義と法治主義は両輪だ。国民に選ばれた国会議員が法律をつくり、県民や市民に選ばれた議員が条例をつくる。法律、条令は国民、市民に選ばれた議員だけがつくることができる神聖なものであり、行政は法律、条例に従って行動しなければならない。

 八重山で九月八日に行われた教育委員全員の多数決による東京書籍の選択は、法律で決められていない行為だ。だから無効である。多数決で決めたのだから民主主義に沿っているし、それでいいではないかと私は思っていたが、法律では三教育長が賛同した時にのみ、教育委員全員の多数決による東京書籍の選択有効であるとなっているらしい。
石垣市教育庁と与那国教育長は、教育委員全員の多数決による教科書の選択に賛成しなかったのだから、教育委員全員の多数決による東京書籍の選択は無効である。文科省も同じ理由で認めていない。

 教育委員全員の多数決による選択には他にも問題があるのに気がついた。三市町の人口比問題である。石垣市は4万9千人、竹富町は4000人、与那国町は1600人である。人口では石垣市が9割を占めているのだ。ところが協議会委員は3つの自治体から同数の委員が選ばれる。これは平等な公正といえるだろうか。教育委員が同数であるのは、地方教育行政法によって、それぞれの地区で教科書を選択するための教育委員であるから同数になったのだ。多数決で教科書を選択するのを前提とした教育委員の人数ではない。
 ところが、そのような人口比でありながら、県は教育委員全員の多数決による教科書選択をしたのだ。それが民主主義的な多数決といえるのだろうか。

 もし、教育委員全員の多数決による教科書選択の法律をつくるとしたら、人口比の差をどうするかが大きな問題になる。現在のように教育委員を同数にして、教育委員全員の多数決による教科書選択の法律はつくれないだろう。法律をつくるのが難しい人口比の問題がありながら、県は三市町の人口比を無視して全教育委員による多数決を強行したのだ。

 教育行政は教育に関する法律に従って行動しなければならない。そして、法律に従って解決をしていかなければならない。県教育庁が勝手に法律をつくってはならない。ところが県教育庁は解決方法として、法律にはない新たな方法で解決しようとしたのだ。県教育庁は法治主義の精神が欠けている。

 八重山地方で解決できなければ、県が解決に向けた指導をする。県が解決できなければ国が県を指導する。八重山の教科書問題で、県が解決できないので、問題は文科省までいき、文科省は、八月に八重山採択地区協議会で育鵬社版が採択されたのは有効であり、九月八日の全教育委員の多数決で東京書籍を採択したのは「整っていない」と、全教員の多数決で東京書籍を採択したことを無効であると県教育庁に通知している。
 文科省は八重山採択地区協議会で育鵬社版が採択されたのは正しく、全教育委員の多数決で東京書籍を採択したのは間違っているとはっきりと通知しているのだから、文科省の指導を尊重すれば、県教育庁は武富町を説得して八重山地区は育鵬社にする努力をするべきである。

 ところが大城県教育庁は、文科省が成立していないと判断した八日の教育委員による全員協議は成立していると主張し、「8日の協議が有効かどうかを3市町の教育委員会で検証してほしい」と、全教育委員の多数決で東京書籍を採択したことにこだわっている。県教育庁は文科省の指導を蹴ったのだ。
 問題は法律的に有効であるかでないかの問題になっている。3市町の教育委員は法律の専門家ではない。彼らに8日の協議が有効かどうかを検証する能力はない。県教育庁が検証を委託するべき相手は法律の専門家だ。教育委員ではない。

 8日の全員協議で多数決で東京書籍の教科書を選択したのは有効であるかそれとも有効ではないかは、地方教育行政法(と教科書の無償措置法の法律に準じているかどうかの問題である。ところが県教育庁の狩俣課長は、「当事者の3教委が判断すべきであるという認識を持っている」と発言している。3教委が判断すべきではない。法律の専門家が判断するべき問題だ。狩俣課長の法治主義のかけらもない発言にはあきれてしまう。

 八重山地区で解決できなかったから、県教育庁や文科省が解決してあげなければならないのに、県教育庁の「指導」は八重山地区で解決しなさいである。八重山の3教委の教育長は「何をしていのか分からない」のは当然だ。

 アメリカ軍や日本政府に文句を言えば立派な政治をやっているように見えるかもしれない。しかし、反発し文句をいうのが政治ではない。政治は建築のようにつくりあげる作業だ。立法、行政、司法の三権分立の民主主義国家では、行政は法律を理解し、法に従ってスムーズに政治を行うのが大事だ。
 地方で解決てきなかったら、県が解決し、県が解決できなかったら中央政府の指導を仰ぐ。それが県教育庁のやるべきことである。ところが今回の八重山地域教科書選択問題では、県教育庁は地方教育行政法と教科書の無償措置法を理解しようとしないし、文科省の指導にも従わないで、あげくの果てに八重山の方で解決しなさいである。

 見出しは「3教委に一本化指導」となっているが、内容は八重山に丸投げしてしているだけだ。県教育庁は八重山教科書問題の解決指導の責任を放棄をしている。行政を司るものとして失格である。法治主義の放棄である。民主主義の放棄である。
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リビア市民革命・大佐出身地で激戦




 いよいよリビアの市民革命が大詰めを迎えた。「国民評議会」はカダフィー出身地シルトや大佐支持派の拠点バニワリードに本格進攻を始めた。シルトとバニワリードが陥落するのは時間の問題だ。
 リビアの市民革命で五万人以上の市民の血が流れたという。リビア市民が自由を獲得するに死をも恐れぬ勇気で戦ったからであろう。
 もう少しで血を流す戦いは終わる。
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コザの昼・・・アート俳句 六百八十六~六百八十八句

六百八十六句





六百八十七句





六百八十八句




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