育鵬社不採択は明らかに無効



義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律
3  公立の中学校で学校教育法第七十一条 の規定により高等学校における教育と一貫した教育を施すもの及び公立の中等教育学校の前期課程において使用する教科用図書については、市町村の教育委員会又は都道府県の教育委員会は、前二項の規定にかかわらず、学校ごとに、種目ごとに一種の教科用図書の採択を行うものとする。
4  第一項の場合において、採択地区が二以上の市町村の区域をあわせた地域であるときは、当該採択地区内の市町村立の小学校及び中学校において使用する教科用図書については、当該採択地区内の市町村の教育委員会は、協議して種目ごとに同一の教科用図書を採択しなければならない。

地方教育行政の組織及び運営に関する法律
(教育委員会の職務権限)
第二十三条  教育委員会は、当該地方公共団体が処理する教育に関する事務で、次に掲げるものを管理し、及び執行する。
一  教育委員会の所管に属する第三十条に規定する学校その他の教育機関(以下「学校その他の教育機関」という。)の設置、管理及び廃止に関すること。
二  学校その他の教育機関の用に供する財産(以下「教育財産」という。)の管理に関すること。
三  教育委員会及び学校その他の教育機関の職員の任免その他の人事に関すること。
四  学齢生徒及び学齢児童の就学並びに生徒、児童及び幼児の入学、転学及び退学に関すること。
五  学校の組織編制、教育課程、学習指導、生徒指導及び職業指導に関すること。
六  教科書その他の教材の取扱いに関すること。
七  校舎その他の施設及び教具その他の設備の整備に関すること。
八  校長、教員その他の教育関係職員の研修に関すること。
九  校長、教員その他の教育関係職員並びに生徒、児童及び幼児の保健、安全、厚生及び福利に関すること。
十  学校その他の教育機関の環境衛生に関すること。
十一  学校給食に関すること。
十二  青少年教育、女性教育及び公民館の事業その他社会教育に関すること。
十三  スポーツに関すること。
十四  文化財の保護に関すること。
十五  ユネスコ活動に関すること。
十六  教育に関する法人に関すること。
十七  教育に係る調査及び基幹統計その他の統計に関すること。
十八  所掌事務に係る広報及び所掌事務に係る教育行政に関する相談に関すること。
十九  前各号に掲げるもののほか、当該地方公共団体の区域内における教育に関する事務に関すること。

 教育委員会は地方教育行政法によって任命されるし、石垣市教育委員であるなら石垣市の教育について19項目に渡る仕事がある。項目からみても、石垣市教育委員会の職務権限は石垣市内の教育に及ぶのであり、隣の武富町や与那国町の教育には介入できない。一方義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律では、当該採択地区内の市町村の教育委員会は、協議して種目ごとに同一の教科用図書を採択しなければならないと述べている。

 「協議」というのは話し合いで決めるものであり、県が指導したような全教育委員による多数決で教科書を選択しるのは「協議」で決めるという趣旨として不適切である。それに石垣市が人口比で九割も占めるのに、各市町の教育委員を同数にして多数決で選択するのは非民主的である。

 文科省が「法の趣旨に基づき」判断するというから、文科省の判断を待ってみよう。県はどうするのか。





 民主党が政権を取り、民主党の新しい幹事長は輿石氏である。輿石氏は日教組のドンと呼ばれた人間だ。石垣市の教員OBを中心とした市民集団は日教組と親密な関係である民主党と対立しているのだ。おもしろい対立である。

 弁護士の中山氏は「詳しい協議の方法が法律に書かれていない以上、8日の協議の運営は協議の中で決まる。多数決で決めることになったが、それは協議で決めたことなので有効だ」と述べている。
 法律に書かれていないからといって、やっていいことと悪いことがある。8日の協議の運営は協議会の主旨にふさわしい運営をしたのか。民主的な運営をしたのかを問題にしなければならない。法律に書かれていないからといって無法地帯にしてはならない。

 協議で全教育委員の多数決で決めるのを石垣教育長と与那国教育長は反対している。今までになかった新しい採択のやり方だから全員一致でなければ実行するべきではない。石垣教育長と与那国教育長は反対したのだから、多数決で採択するのは実行するべきではなかった。
それに、全教育委員の多数決で決めるという新しい規定をつくることになるから、行政ではなく立法の問題になる。県議会にかけなければ成立しない。

 弁護士の中山氏は8日の協議で多数決で東京書籍の教科書を採択したのは有効だと言っているが、中立に立つ弁護士の立場からも同じことが言えるだろうか。疑問である。

 新聞は「地域で一本化ができない場合には国の介入も辞さない。一度介入を許せば悪しき前例となるのは目に見えている」と八重山の教科書問題が地方の問題であると思っているが、そうではない。
育鵬社問題は自民党と日教組の勢力争いであり、全国的に広がっている問題だ。沖縄は革新政党、沖教祖、高教祖の政治力が強いから育鵬社の教科書が選択される状況はなかった。

 石垣市の新市長は自民党側の人間であるから育鵬社の教科書を選択した。育鵬社の教科書に反対している組織も全国組織の日教組や高教祖を母体としている地方組織である。育鵬社の教科書問題はすでに全国問題であり、新聞が心配するのは見当違いである。

 沖縄の教育界は現場教諭から県や市町村の教育関係者まで沖教祖や高教祖が支配している。県教育長も例外ではない。もし、県教育長が中立の立場だったら育鵬社の教科書を選択するように武富町を説得していたはずである。しかし、県教育庁も反育鵬社だったから、全教育委員の多数決で強引に東京書籍の教科書を選択したのだ。

 沖縄の教育界の政治力はとても強い。県教育長を県知事の意思で選ぶことができないほどだ。県教育庁の幹部もがっちりと沖教祖、高教祖と連携している。沖教祖、高教祖は祖国復帰運動の中心的存在であったし、初代県知事は沖教祖委員長であった屋良氏であった。沖縄の先生たちは強い政治勢力であるのだ。

 新聞解説は「このまま地域で問題を解決できず、国の介入を許せば将来に禍根を残す。沖縄の教育の自治力が問われている」と心配しているが、民主主義国家は法治主義であり、教育の自治は法律で保障されている。地域で解決できなければ県が解決の指導をやり、県が解決できなければ国が指導するというシステムであり、このシステムが崩れることはない。今度の国の介入が沖縄の自治を破壊することはない。そもそも日本は民主主義国家であり、法治国家だ。新聞解説が危惧するようなことは起こらない。地方が解決能力がないときに国は介入してくる。今回の八重山教科書問題のように。

 
 今日の新報の論壇で、憲法26条2項に「教育はこれを無料する」と規定されていることを明らかにしている。教科書の無料化は憲法の精神に通じるものであり、公的機関なら教科書の無料化に努力し絶対に実現するべきである。
本土でも今回のような問題は何度も生じているが、地域で解決しているという。沖縄だけが地域で解決できなかった。沖縄には法を守る精神が強くないのだろう。

 八重山の石垣市、竹富町、与那国町の教育長や教育委員長、そして教育委員は教科書の無償化は憲法の精神によるものであると自覚していない。県教育庁も同じように憲法の精神を軽視している。憲法の精神を守るなら教科書の統一にもっと真剣になるべきだ。

 憲法の精神を優先させるなら、教科書をどれにするかより、教科書を無料化にするために話し合いで教科書を統一することである。





 福地氏は憲法26条2項の「義務教育は、これを無償とする」を理由に、八重山地区で教科書が統一されなかった場合、文科省が期限切れを理由に無償給付をすれば憲法違反になると主張している。
 
 義務教育諸学校の教科用図書の無償に関する法律は昭和37年に公布されている。そして、全学年が無償化されたのは昭和44年である。福地氏の主張だと、国は昭和44まで憲法違反をしていたということになる。
 
 憲法26条2項の「義務教育は、これを無償とする」の「教育」をどのように解釈するか。もし、教育に関するすべてのものと解釈すると、給食、制服、修学旅行代金、PTA会費等々、現在有料であるものも全て無料化しなければならない。すると現在も国は憲法違反をしていることになる。
 憲法のいう「教育」を学校設備と授業料に限定すれば教科書は無料化の対象からはずれる。憲法の「教育」を拡大解釈するのと矮小に解釈するかで微妙に違ってくる。教科書は憲法の「教育」の範疇には入らないが、憲法の「義務教育はこれを無料とする」の精神にのっとったものと考えると、教科書が有料であっても「憲法の精神」には反するが、憲法違反ではないということになる。
 八重山地区で教科書が統一されなかった場合、文科省が期限切れを理由に無償給付をすれば憲法違反とするのは必ずしも正しい判断とはいえない。

 福地氏は育鵬社版不採択は有効としている。その根拠として、3市町の全教育委員による協議会が行われたからとしている。
 しかし、「協議して種目ごとに同一の教科用図書を採択しなければならない」をどのように解釈するかである。「協議」とは基本的に話し合いで決めることを意味しているのであり、多数決で決めるといういみではないこ。
 このようなケースは本土て何度か起きたが「協議」で決着をつけたということだ。協議会で多数決で決めるのは沖縄が歴史上初めてであ。本土では「協議」で決めたのだ。

 石垣町と与那国町の教育長が多数決で決めることに反対したのだから、多数決で採択するのは成立しないはずなのに県の教育庁が多数決を強行した。それは横暴だ。
 多数決の原理を用いるならば、人口比を考慮しないといけない。人口比では石垣市が九割の人口を占める。民主主義的に多数決の原理を適用するならば、石垣市の教育委員は全体の九割、武富町0,5割、与那国町0,5割の割合にするべきだ。

 そのように考えるなら協議会は多数決を前提にしたものではないということが理解できる。協議会は話し合いで決着することを前提にしている。そのような協議会に多数決を導入した県教育庁は間違った指導をしたのだ。

1、全教育委員に多数決による教科書選択方法は石垣市、与那国町の教育長が反対したことのだから成立して いない。
2、協議会は話し合いで決めることを主旨としているのであり、全教育委員による多数決は協議会の主旨に反 するものである。
3、三市町の人口比を無視した全教育委員による多数決は民主主義の多数決の原理に反するものである。

だから、育鵬社府採択は無効である。

 県教育庁の指導は不当介入ではないが、間違った指導をしたということだ。
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