Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

光にもある「適量」

2009-06-30 01:23:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

今年2009=平成21年6月も、早や最終日となりました。1年の半分が終わり、過ぎてみると月日の経過の速さを感じます。
今月後半は、米合衆国の芸能界に激震が走ったのはご存じかと思います。
世界的大ポップ歌手、M・ジャクソンさんの急逝。幼少時より同国の歌謡界入りしていた同氏の活躍は随分前より存じており、特に1979=昭和54年発表の「Off the Wall」と1982=同57年の「Thriller」は最高傑作として知られ、一時は私も真剣にアルバムの購入を考えた程でした。
努力と才能の開花の一方で、虐待疑惑などの奇行の一面もあったとされ、賛否の分かれる所ではありますが、大きな富と名声を手にした反面、最近は心身の健康を大きく損ねていたとの指摘もあり、やはり人気者にありがちな無理が祟っての今回の不幸に繋がったと見るのは、私だけではないと思います。
ご逝去は現地の6/25。奇しくも同日には、若き日の我々の憧れだった美人女優、F・フォーセットさんも病の為失われ、合衆国の芸能の世界もあるいは大きな移り変わりの時期に入ったのかも知れません。正にオバマ大統領の名台詞「CHANGE」の時かな、とも思いますね。一言、亡くなられた各位のご冥福をお祈りしたく思います。

さて芸能人の仕事は、その活動を見たり聴いたりする人々の心に「光」をもたらす事ですね。形こそ違え、今月最後の話題は、その「光」に関する記事で締めくくろうかと思います。

一昨日の地方紙、C新聞に「光の量は豊かさの証しか」との記事が、同社福井支社の記事として紹介されました。以下、引用しながらこの問題を見てみようと思います。

『無秩序に放たれた明る過ぎる証明が景観を損なっているとして、北海道函館市や東京都渋谷などで、街の光を抑える動きが広がっている。福井氏は市景観計画を策定し、企業ビルなどが新たにライト・アップを始める際、市への届け出を義務付けた。環境にも良い上、市民の評判も上々だ。
「明るければ人が集まる」こんな常識を、大都会でこそ変えてみてはどうだろうか。
(市民や県も協力)
5月下旬、福井市の福井城跡を歩いてみた。城門が暖かいオレンジ色に照らされている。東京都内から定年退職を機に引っ越してきたという夫婦が隣にいた。2人は言った。「風情のある光。気持ちいい。」記者も同感だった。
福井市の景観計画は3年前。当時の市長の肝入りで計画が始まった。市コンパクトシティ推進室によると、少子高齢化や長年経済を支えてきた繊維業の衰退などで、人口流出に歯止めをかけなければならない課題を抱えていた。市民をつなぎ留める施策のひとつに街の明かりがあった。
JR福井駅周辺の中心市街地のにぎわいは東京や名古屋、大阪とは比較にならないが照明を(少し)落とした結果、福井で犯罪が増えたなどの「負」の情報はない。むしろ肯定的に見ている市民が多い。
景観計画の指針に沿って、ギラギラした証明を避け、優しい光で陰影ができるような照明法を採用する建築物が増えた。街に統一感が生まれている。市によると「仰々しい照明はもういらない」などの声が寄せられているという。
昨年10月にできた景観計画では、中心市街地で高さ12m以上、延べ床面積1000平方m以上の建築物を建設、または増改築する際には市に照明方法の届け出義務がある。届け出をせずに市側の再三の要請を無視したりした場合は、最高\300000が(罰金として)徴収される。
計画策定に当たり、東京タワーのライト・アップを手がけた専門家の講演を聞いたり、行政主導で建築物へのスポットライト照明を取り入れた大阪市の御堂筋を視察したりした。
市にとってうれしい反響もあった。市民レベルの活動が出てきたのだ。旧松平家の別邸を再現した国の名勝・養浩館では、地元住民らが児童と廃油のろうそくや行灯で庭園をライト・アップしている。市も「夜の散歩を楽しむ市民も増えている」と手応えを感じている。
市の景観計画を受け、県は県道の街路灯を200Wの水銀灯から180Wの高圧ナトリウム灯に取り換える工事を進めている。本年度中にJR福井駅から半径1km以内の中心市街地のすべての工事が終わる。
景観計画では、建物内部の照明やネオン・サインなどに制限はないが、市は「街の景観を著しく損なう場合、個別に企業側に働きかける可能性はある」とする。
(各地で取り組み)
大手コンビニ店「ローソン」は、京都市・八坂神社近くの店舗看板にはシンボル色の蒼を採用せず、白と茶にした。広報担当者は「街に合ったデザインにすることは、地域に根差すコンビニ店の役割でもある。店内の照明を落とす取り組みはしていないが、今後必要性があれば対応したい」と言っている。
函館市では平成初期の1990年代より続けてきた華麗なライト・アップを見直し、色の統一感や、光の放射性の低い発光ダイオードLEDを使った照明方法に転換している。東京・渋谷区のセンター街では、試験的に半年前から98基ある100Wの街路灯の1/3を80Wに落としている。本年度内に、すべてを80Wにすることが決まった。
同センター街の関係者は「明るくすれば客が集まるという発想は間違っている。明るさはもう十分なんですよ」と話す。
愛知県出身の記者は5月下旬、ネオンきらめく名古屋市中区の街を注意深く歩いたが、光がまぶし過ぎて落ち着かなかった。
名古屋市に今後の予定を聞いてみた。「市独自の議論もなければ、四民からの要望もありません」(環境都市推進課)と素っ気ない。地方都市の福井からあえて言いたい。
光の量が、決して豊かさの証しではない、と。』
正論である、と私は思いますね。
街には、確かに防犯と安心の為最低限の明るさが必要てあるのは分かるが、それは街並みとか街造りに見合ったデザインとしての整合性も求められる訳です。ただ、むやみに明るければ良いと言う訳ではない。そうして真に必要な明るさはどの位か、どの様な光の質が合っているのかを見極めるのは、結局エネルギーの効率ある利用にも繋がるし、環境保全にも有効でしょう。
記事を拝見する限り、名古屋市の関係各位は学習不足ではと思います。又、それを結果的に助長している市民の姿勢も好ましいものではありません。
「派手好きやから仕方がない」の見方から脱却し、少しはこうした「他所の事例」を学んで活用する姿勢が必要なのではと思いますね。
河村市長にも、こうした動向は是非注視をお願いしたい所です。
P.S 今月の拙日記は、以上です。*(キラキラ)*
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