Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

日本国憲法第99条への曲解

2018-11-01 21:02:43 | 国際・政治

2018=平成最後の 11月も、拙ブログを宜しくお願い致します。日本国憲法中 第99条にて政治家や公務員などの尊重擁護義務が表されているのは有名な所だ。一昨日の 10/30(火)、臨時国会召集に際しての 安倍総理大臣所信表明演説に対する各党代表質問が参院本会議で行われたが、安倍総理は 憲法尊重擁護義務を定めた第99条について「憲法改正について検討し、主張することを禁止した趣旨ではない」と語った。

立憲民主党・吉川沙織参議が「憲法順守義務を負う総理は、改憲に係る発言は自制的、抑制的であるべきだ」と指摘、総理に答弁を求めた。対する総理答弁は以下の通り。「国会議員中から指名された私(総理)が、国会に対し議論を呼びかけることは禁じられておらず、三権分立の趣旨に反していない」(憲法99条は、総理や閣僚らが、憲法を尊重し擁護する義務を負うと規定)。

法学者・西 修(にし・おさむ)駒沢大名誉教授によれば、近頃は色んな場面で立憲主義という言葉が多用されるも より正確に用いようとする姿勢に欠ける嫌いがあるという。左派野党とそのシンパ的報道メディアが盛んに唱えるのが、枝野立憲民主代表を先頭とする「憲法とは、国家権力を縛るもの」との定義づけや「国民は憲法を守る義務を負わない」とか「集団的自衛権を全面禁止していた政府見解の変更は、立憲主義の破壊」などの言説であるとされる。

ここでは、集団的自衛権についての見方は他の機会に譲るとして、他の所を見て参りたい。西名誉教授はまず「憲法とは 国家権力を縛るもの」との定義が実は至って曖昧で、その曖昧さを拠り所にして、自分や自勢力の意に沿わない行為が国家によって行われれば、立憲主義違反と決めつける。手前勝手な立憲主義論の横行を懸念された上で「立憲主義の本質は、国家権力の恣意的行使を制約することにある」とされる。

その上で「国家の役割が肥大化した今日は その機能も大きくなり、同時に 国家権力の濫用リスクも増大する。その様な権力暴走を抑止するのが、立憲主義の根本的考え方。国家権力が恣意的に行使さけているかどうかは、民主主義のルールによって定まる」とされる。安倍政権の軌跡を振り返ると、確かに集団的自衛権の一部行使などを巡る国会審議で無理筋な所はあったも、民主主義のルールを全否定する様な暴挙とまでは言えない、のが拙印象である。

次に「憲法を守らなければならないのは、国家権力保持者であって国民ではない」と唱えられる。その根拠とされるのが、憲法99条の規定。「天皇又は摂政(せっしょう)及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」。主権者たる国民の破堤はないが、この憲法尊重擁護義務は 普段権力行使に携わる政治家や公務員などを「特別に」対象としたのであって、国民が憲法を守るべきは「理の当然」だから条文中に入れずもがなという事の由。因みに海外では、国民に対しても憲法尊重擁護義務を課す諸国があるそうだ。

ここまで読んでくると、日本国憲法といえども完全無欠ではない事が分かる。つまり、第96条で改正発議は国会で行う事が定められているにも関わらず、第99条ではその全国会議員に向け 憲法尊重擁護義務を課している。その矛盾を真に受け、発議の為の改憲議論さえ認めないとするのが社民・日共両執行部見解だが、勿論こんな主張に正面から取り合う必要はない。

改憲発議に向けた議論が国会議員から発出されるのは 勿論基本的人権の理念による思想信条の自由による所であり、発議の是非を審判するのは勿論主権者たる国民である。それが、民主主義のルールだ。発議の為の国会議員の賛成は全体の 2/3以上必要だし、発議が通っても その後の国民投票で過半の賛成を要する。日本国憲法は、通常の法規より改正条件の厳しい硬性憲法だ。今後の改正を考えるにしても、十分な安全性を有するし、安倍総理もそこの所を踏まえての主張であると理解する。恣意的に国家権力を行使する意図などないのは勿論だし、そうしようとすれば 国会初め 三権分立という保安装置が働き、そうはさせない事だろう。

拙者も、拙速な改正を求めているのではない。近い将来の 改正へ向けての道筋を閉ざすべきではないからである。今や日本国憲法は、規定が文書で表される成文憲法としては世界最古だといわれる。時代や価値観の変化に、人の作った決め事が永遠不変で良いはずはなく、変化に見合った見直しや新規定の追加などがなされるのは当然だし、国の目指すべき国民市民の利益実現の方向にも合ったものだろう。前のめりが良くないのは分かるが、指一本触れさせまいとする 病的な姿勢も糾されなければならない。今回画像は、拙地元 JR名古屋駅構内の線路状態を徐行で見守る試験列車「ドクター東海」の様子を。以下に、西名誉教授のご見解が載った ネット記事をリンク致します。先年のものですが、内容は今でも重視すべきものでしょう。 https://ironna.jp/article/3234


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