その趣旨は同法第2条によると「建国をしのび、国を愛する心を養う」とありますね。この場合の建国とは紀元前660年、つまり皇紀元年に神武天皇がご即位になった日を意味するとされます。これには一部異論もある様である事は認めますが、この日を以て建国の日とする事を、素直に認め尊重するのが拙見解であります。
さて、長らく我が父より借りていた、心理学者 河合隼雄さんの著書「対話する生と死」の文中に、大変興味のある一節がありましたので、少し長くなりますが以下引用してみる事と致します。
『日本人としての問題~もっと日本人自身を知るために』
「ヨーロッパに行くたびに、日本および日本人に対する関心が高まっているのを感じさせられる。それに呼応して、日本研究、あるいは日本人論というのも盛んになっている。筆者も自分なりの意見をもち、日本人論を述べてきたが、日本人論を発展させるという意義とともに、日本の将来のことを考えるためにも、ぜひともなすべき研究として、第二次世界大戦の開戦に至る経過を詳細に追究し、それを日本人論との関連において考察する研究を提案したい。
現在における日本の経済力の強さや、先進国のなかにあって社会的な問題が少ない点などが評価されるためもあって、現在の日本人論はややもすると、日本礼賛になりがちである。確かに欧米の人々と話しあっていても、現在における日本の繁栄の秘密は何か、といったような問いかけを受けることが多いので、勢い日本人の長所について、他との比較について述べることが多くなってくる。しかし、一般に長所と短所は表裏の関係にあり、いま日本人の長所として述べられていることは、見方を変えると短所となることも、われわれはよく自覚しておくべきではなかろうか。
敗戦後、日本人が自信喪失していたときは、日本人の他人志向性、非合理性などが西洋の近代合理主義の立場から非難され、そのような日本人論が盛んであった。しかし、それらの傾向があまり変化しないまま、いまでは単純に見方を変えることによって、かつては欠点としてあげていたところを、いまは長所として見直しているとさえ言えるような状況が認められる。日本人のもついろいろな傾向を、長所とか短所とか価値的判断を性急に下すことなく、もう少し冷静に見てみることが、現在では必要なことと思われるのである。そこで、ここに提案したいことは、後になって考えてみると、単純計算的な考え方をもってしても、全体に無謀とわかる第二次世界大戦を、日本人はどうして開戦したのかを、一度詳細に研究すべきだということである。
誤解のないように言っておきたいが、これは戦争責任の追及などということを、ここにやり直そうと意図しているのではない。敗戦後には、ここに述べた点について多くの追及がなされたが、それらはどうしても感情的な色合いが濃くなることを余儀なくされ、どうしても「誰が悪かったか」ということに集約されがちであったし、どうしても西洋的な観点から見られがちであった。
筆者がここに提案しているのは、むしろ、いままでのそのような色合いを脱して、現在、日本人論で、いろいろ優秀性を論じられている国民が、なぜ、どのような経過を経て、あのようなばかげた決定を下すに至ったのかをあらゆる角度から検討すべきであるということである。ここに「ばかげた」と書いたが、研究の結果では、そのような表現も変更されねばならないかもしれない。
単に軍閥が悪いとか財閥が悪いとか言うのではなく、当時の日本においては、最高の判断力をもった人たちが、国の利益とか将来とかを考えつつ、なぜこのような決定をしたのかを、もっと客観的に研究すべきであると思うのである。おそらく、いままでは「研究」というよりは価値判断や感情的な要因が先行して、多くの重要な点を見逃していると思われる。このような研究を通じて、われわれは、日本人というものが重大な意思決定のときに、どのような思考パターンや行動パターンをとることを知ることができるのではないだろうか。そして、それは現在の「日本人論」に論じられているところと、どのように関連して来るのかを考えてみる必要があるであろう。
この研究をもし行うとするならば、まさに学術的な研究として、じつに広い分野の専門家を必要とするであろう。軍事、政治、経済などの専門家のみではなく、社会、人文系の学者も多数加わるべきと思われる。
欧米を訪れて、あちらの多くの人が東洋の宗教に強い関心をもちはじめていることを感じるのだが、東洋の宗教というものが、戦争決定の過程において、どのような関連をもったのか、日本人の世界観、宗教観がどのような意味をもったのか、などもぜひ明らかにしなくてはならないことであろう。
いまごろになって嫌なことを言う、と思われる人もあるであろう。しかし、筆者は欠点を暴くということではなく、現在、日本人が自分に対して相当自信をもったときにおいてこそ、自分についてもっと的確に知ろうとすることが大切と思うから、このような提案をしているのである。
自分自身のもつ光の部分も影の部分も直視することができないと、思いがけない不幸を招くことがある。ここにこのような提案をあえてするのも、おそらく将来において、このことが役立つであろうという予感に支えられてのことである。日本はまた重大な意思決定をしなくてはならないときが来るようにさえ思われるのである。」
この文章は1992=平成4年暮れに綴られたものであります。想えば最後の文言は、正に今の祖国日本の置かれた現状を言い当てているのではないでしょうか。
米合衆国の金融危機に端を発した世界的な経済不安。最早輸出だけでは国内経済を賄えなくなった祖国日本は、今後のあり様について重大な意思決定を迫られている様に思われます。又、米合衆国より我国に対し、毎年送りつけられる要求「年次改革要望書」には明らかに不公正な内容も存在すると言われ、我国は独立国として、今までとは異なる毅然とした対応が求められる事となるでしょう。これは前回取り上げた、西欧諸国よりの、不当かつ時期尚早な死刑廃止要求に対しても同じ。我国は我国の大義に基づいて進むべきでありましょう。
又、先の大戦の客観的見直しの下りは、戦後の我国が歴史、それも近代史の教育を怠り続けて来たツケの意味合いも大きいと思います。
左傾政党や左派的識者、それに日本教職員組合などの執拗な妨害に屈する事なく毅然とした教育姿勢を執らなかった旧文部省の問責も必要ではないでしょうか。その意味で近年の「新しい歴史教科書をつくる運動」は歴史教育の健全化を目指した動きとして、大いに注目すべきものがあると思います。
河合さんの、こうした有意義なご提案が活かされれば、それは祖国日本の成立ちと歩みを知る上で、大きな宝になると私は見ています。 P.S 次回は2/15(日)~に掲載致します。*(日本)*