生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

母を偲んで(その2)

2016-10-01 11:21:00 | 家族
今日は土浦の花火大会です。これから息子一家がきます。今、雨はあがっているようです。花火の間は雨が降らないようにと願っています。

昨日の文章で、母が病床洗礼を受けたと書きましたが、唐突のように思えたかもしれません。

母の信仰はどのようなものだったのでしょうか。

以前母は「神様なんかいない。いたとしても頼らない」と言っていたのですが、病気になったころから「イエス様に祈っているの」とよく言うようになりました。

東京の病院で手術を受けた時は、人前では苦しいとか痛いとか言いませんでしたが、「イエス様、助けて、痛いよう」と書かれたメモが残されていました。

「神はわれらの避け所また力。苦しむときそこにある助け。それゆえ、わたしは恐れない。(詩編46:1-2)」という聖書の言葉を暗記していました。

わたしは、母が東京で入院していたときも土浦で入院していたときも、ホームで暮らしているときも毎日聖句とそれにまつわる文章を書いて母に渡していました。入院中は本を読む体力はありませんでしたが、わたしが書いたものは読んでくれました。

母は、頭はしっかりしており、手術直後に一時的にせん妄状態になるかもしれませんと先生に言われると、「わたしはなりません」と自信たっぷりに言いました。
はたして、術後初めて発した言葉は、「預けていた携帯、返して」でした。

母はキリストを信じたことによって、病の恐れから解放され、安らぎと平安が与えられたようでした。

退院後は昼食だけですが、ホームのキッチンで自分で料理していました。
娘が毎日11時ごろホームに行って、一緒に料理をして食べるという生活がしばらく続きました。娘は結婚が決まって、午後3時からのパートに出かけていただけなのでそれが可能でした。娘は母に料理を教えてもらって、いい花嫁修業になりました。

わたしは夕飯どきに毎日通い、食事を共にしました。
8月~9月始めまで体調がよかったので、妹の車で茨城県内の五浦と袋田の滝、2回も旅行に連れて行けました。

ところが9月末ごろから末期癌の症状が出てきました。足がむくみ、体のあちこちに水がたまってきて、寝返りさえできなくなってしまいました。
自分の部屋にはいられず、ケアー室といって介護士さんの目の届く部屋のベッドで過ごしました。

点滴の抗がん剤治療は受けていませんでした。点滴治療しても、死期は同じぐらいだと言われたので副作用の辛い点滴は受けないことに決めました。東京の病院にいたとき、抗がん作用のあるTS-1という飲み薬を飲みましたが、目に副作用が出たのでやめました。(眼球が傷ついて、失明するかもしれないということでした)

ケアー室が落ち着かないので、もう一度、自分の部屋に戻りたいと母がいったとき、介護士さんの計らいで部屋に連れて行っていただきました。数時間でしたが願いがかなえられて、母は嬉しそうでした。それからは自分の部屋に行きたいと言わなくなりました。

その数日後が最後の日でした。その夜も食事をしました。その日の夕食は、わたしが食べさせました。自分で食べる力もなくなっていたので。おかゆと豆腐とおからを3口ずつ食べて「おいしい」と言っていました。
 
夜7時ごろ「また明日ね」と言って家に帰りました。
9時45分にホームから電話があり駆け付けたときは、息をしていませんでした。
眠っているようで穏やかな顔でした。苦しみも痛みもなかったようで、ナースコールを押さずに亡くなっていました。(具合が悪い時はすぐナースコールを押していました)

身体がむくんで重く、つらかったと思いますが、今は神様に新しい身体をいただいて、天国で走り回っていることでしょう。
            

つづく


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