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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

人はなぜ病気になるの?

2012-02-06 16:25:06 | 教会
今日はメッセージの紹介ではなく、メッセージを聞いて考えたことを書きます。

アメリカの公立小学校4年生の宿題で、中世ヨーロッパの女の子が書いた日記を読んでどう思うかという質問が出たそうです。

その日記には、「神様はなぜ一度に病気を治してくださらなかったのか。神様はなぜひとりひとりに手を置いて病を癒すという効率の悪い事をされたのか。一度に治る薬や、食べればどんな病気でも治る草を与えて下さらなかったのか。それより、どうして人が病気にならないように造って下さらなかったのか?」
というようなことが書かれていたそうです。

さすがキリスト教国だけあって、公立小学校で子どもにこのような文章を読ませ、考えさせるとはすごい!と思いました。

日記に書かれている神様というのはイエス・キリストのことで、聖書にはイエス・キリストが病を癒された記事がたくさん書かれています。ただ病を癒すだけでなく、ひとりひとり、その人に応じた対応をされ、言葉がけをされています。

なぜ病気というものが存在するのでしょうか……人類の歴史の中で多くの人が病に悩まされ、苦しめられてきました。科学は発達し、特効薬が作られましたが、恐ろしい病が根絶したかと思うと、新たに恐ろしい病気が発生して、それは不思議に思う程です。
どんな病気にでも効く草や薬があればいいのに……それより病気にかからない体にしてほしいと、病に苦しめられた人は誰でも思うことでしょう。

もし、どんな病にも効く草があって、誰でもそれを食べることができ、病気というものが世界からなくなってしまったらどうでしょう。この世界はパラダイスのように幸福に満ち溢れるでしょうか?
そうではないと思います。病気がなくなればすべての悩みが解決するわけではないですね。

病気にかからなければ、各々が自分の欲するままに行動し、何かなし得たときは、自分の力でできたのだと誇り、立ち止まって自分を顧みることがなくなるのではないでしょうか。
そして、病にかかることがなければ、人は神様を必要としなくなってしまうと思います。

「イエス様が、病人をいちどに治すのではなく、ひとりひとり癒したのは、ひとりひとりと関わることを大切にされたからです。羊飼いが羊に対してするように、神様はその人の悩みを見、叫び声を聞き、痛みを知ることを望んでおられます。」と牧師先生が言われました。

わたしは、神様が共におられることを知ったので、たとえ病気が治らなくても幸せです。
以前は何が何でも病気を治して下さいと訴えていたわたしですが、病気が治ることより神様が共におられるという実感を得ることの方が大切だと気づきました。

聖書の言葉
「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません、あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。(詩篇23:4)」



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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (ジャスミン)
2012-02-07 02:03:15
正直にいうと私の求道は「病や死に対する恐れ」から始まったと思います。 クリスチャンになった今でもやはり病気や死ぬことに対する恐怖はあります。 完治を確信できない病にかかってからは毎日綱渡りをしているような、命の砂時計の音を聞いているような、そんな耐えられない気持に襲われます。
本当に弱く、信仰薄い自分が嫌になります。
文香さんの言葉はいつも心に響きます。 主にのみすがって生きていきます。
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ジャスミンさんへ (文香)
2012-02-07 16:32:51
ジャスミンさんのお気持ち、よくわかります。
わたしも、耐えられない気持ちに襲われることがいまだにあります。

でも、ご自分を嫌いにならないで……。イエス様はジャスミンさんのことを愛し、共にいてくださっています。
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