今日は教会で教育講演会があって、託児の奉仕に出かけました。
昨日はOさん宅での家庭集会でした。
百万人の福音(いのちのことば社)の記事から、祈れないときどのようにしたらよいか教えていただきました。
(【】で囲んでいる文章が百万人の福音に掲載されたものです)
悩みがあまりにも深くて祈れないときがあります。
「神様、助けてください」と祈るのが精いっぱいなときがあります。
不安に押しつぶされそうになったとき、怒りと憎しみが湧き上がり、どうすることもできないとき・・・。
そんなとき、以前は祈れませんでした。憎しみを抑え、心を整えてからでないと神様の前に出られないと思っていたからです。
ところが、心に湧き上がった感情を自分で抑えようとすると、かえって混乱することがあるそうです。
【不安や怒りを押し殺してばかりいると、不機嫌を撒き散らしたり、自分を責めて鬱状態になったりする。】
詩篇55編を読むと、ダビデ(作者)が不安と恐れの真っただ中にいることがわかります。
神よ。私の祈りを耳に入れ、
私の切なる願いから身を隠さないでください。(1節)
私に御心を留め、私に答えてください。
私は苦しんで、心にうめき、泣きわめいています。(2節)
……
私の心はうちにもだえ、
死の恐怖が私を襲っています。(4節)
恐れとおののきが私に臨み、
戦慄が私を包みました。(5節)
ダビデは心の内にあるすべての思いを吐露し、不安をそのまま訴えています。
ダビデは、同輩や友に裏切られました。その憎しみを神様に訴えています。
死が彼らをつかめばよい。
彼らが生きたまま、よみにくだるがよい。
悪が彼らの住まいの中、彼らのただ中にあるから。(15節)
「あなたの敵を愛しなさい」とイエス様は言われるのに、なぜこんなことが聖書に書かれているの? と疑問に思ったこともありました。
詩篇には他にもたくさん敵をのろう言葉が出てきます。
【詩編は学ぶ対象としてよりは、声に出して読むべき祈りの書ではないかと思わされています。そこに理屈を超えた変化が生まれるからです。】
詩篇を教えではなく、祈りだと考えると、読んでいるうちに自分のかかえている問題が小さくなっていくような気がします。涙を流して読みながら癒されていくのです。
これからは、祈れないときは詩篇を読もうと思いました。
つづく
喜怒哀楽をぶつけて正直に祈ると、自分が変えられていくのがわかりますね。
マザーテレサもいろいろな感情があって、それを神様にぶつけていたのでしょうね。
引っ越されて新しい地に行かれるのですね。新しい土地での生活が祝福あふれたものになりますように。ご家族の皆様の健康が守られますようにお祈りしています。
また、落ち着かれましたら訪問してくださいね。
教育講演会の託児のご奉仕をしてくださったのですね。貴いご奉仕をありがとうございます。
祈れない時、私は以前とにかく祈れるまで放っておいてしまいました。
文香さんと同じように、整えられてから神さまの前に出ようと思っていたのかもしれません。
私は、マザーテレサの祈りを読んだ時に、あまりに正直なお祈りでビックリしました。
(こちらのページに載っています。→http://www.hikoboshi.com/eba/inori/inori179Teresa.htm)
ダビデも同じなのですね。
あと、私は喜怒哀楽の感情の中では、怒りを神さまの前に持っていくのがとても苦手だったのです。
でも、怒っている気持ちを神さまの前でも出せるようになってから、何となく神さまとの関係が変化したように思います。距離が縮まったと言うか・・・。
詩篇、声に出して読むんですね。
やってみようと思います^^
コメントの最後になりましたが、3月末でこちらの土地を離れることになりました。約7年も住んでいたので、土地にも教会にも愛着があり離れがたい気持ちでいます。
でも、神さまが最善を備えてくださっていることを信じ進んで行こうと思います。
しばらく、ネットもつながらなくなってしまうので、文香さんのブログを拝見するのは引っ越した後になります。
また、離れてもブログにお邪魔させていただきます^^。よろしくお願いします。