
昨日の続きです。この写真は中山手。かつて学んだ頌栄短期大学のあったところです。
グリムとあだ名がつけられたのは、中学1年のとき、神戸へ引っ越して間もないころでした。
わたしは、そのあだ名が嫌でした。それはグリム童話に出てくる意地悪な魔法使いのお婆さんと顔が似ているからということで、「グリム婆さん」と呼ばれていたからです。
「あだ名がつけられるのはいいことよ」と母にいわれましたが、後で考えると確かにそうでした。存在を認められているということですから。中2のときは、そのあだ名でさえ呼んでもらえず、寂しい思いをしました。
短大で人形劇部に入ったとき、本名で呼びあうのはやめようと決め、それぞれニックネームを考えました。
むかし呼ばれていたあだ名があればそれを……といわれたので、わたしは婆さんをつけずに、「グリム」というと、みんなが「ぴったりやー」と言って(なんでやろ?)
それ以来、ずうっと「ろっち」の仲間ではグリムと呼ばれています。
久しぶりに神戸を訪れたグリムは、着いた途端とまどってしまいました。短大のあった場所の近くの中華料理屋で待ち合わせしていたのですが…。
「新神戸駅からタクシーに乗ればすぐやで。中華同文の近くのSというお店やからね」と聞いていたので、さっそくタクシーに乗り店の名前をいうと、
「知らんで。どのへんや?」と運転手さん。
「中華同文の近くです」と答えると、
「中華同文て学校?」と聞かれました。
「いいえ。中華料理屋さんです」(注:これはわたしの勘違いです)
「ええっ! そんな中華料理屋知らんで」
「中山手なんですが」
「中山手言うたかて東西に広いんやで」
「電話してみます」
ケイタイで友人にかけるとつながりません。あせびっしょり。(そういえば、友達の送ってくれたFAXに店の電話番号が書いてあった)
店の電話番号がわかり、早速電話して場所を聞くと
「どこにいはるんですか?」
「えーっと、ここはどこでしょう?」
わたしがトンチンカンなことを言うのでイライラした運転手さんは、
「ちょっとケイタイ貸してんか」
と、わたしのケイタイを手に取り、運転しながら道を尋ねています。
(あっ、どないしよう。ケイタイ運転禁止やのに……大丈夫やろか?)いつの間にかわたしも関西弁モードになっています。ハラハラドキドキ。店の近くに友達のひとりが出てきてくれていて、とにかく無事着きました。
グリムとあだ名がつけられたのは、中学1年のとき、神戸へ引っ越して間もないころでした。
わたしは、そのあだ名が嫌でした。それはグリム童話に出てくる意地悪な魔法使いのお婆さんと顔が似ているからということで、「グリム婆さん」と呼ばれていたからです。
「あだ名がつけられるのはいいことよ」と母にいわれましたが、後で考えると確かにそうでした。存在を認められているということですから。中2のときは、そのあだ名でさえ呼んでもらえず、寂しい思いをしました。
短大で人形劇部に入ったとき、本名で呼びあうのはやめようと決め、それぞれニックネームを考えました。
むかし呼ばれていたあだ名があればそれを……といわれたので、わたしは婆さんをつけずに、「グリム」というと、みんなが「ぴったりやー」と言って(なんでやろ?)
それ以来、ずうっと「ろっち」の仲間ではグリムと呼ばれています。
久しぶりに神戸を訪れたグリムは、着いた途端とまどってしまいました。短大のあった場所の近くの中華料理屋で待ち合わせしていたのですが…。
「新神戸駅からタクシーに乗ればすぐやで。中華同文の近くのSというお店やからね」と聞いていたので、さっそくタクシーに乗り店の名前をいうと、
「知らんで。どのへんや?」と運転手さん。
「中華同文の近くです」と答えると、
「中華同文て学校?」と聞かれました。
「いいえ。中華料理屋さんです」(注:これはわたしの勘違いです)
「ええっ! そんな中華料理屋知らんで」
「中山手なんですが」
「中山手言うたかて東西に広いんやで」
「電話してみます」
ケイタイで友人にかけるとつながりません。あせびっしょり。(そういえば、友達の送ってくれたFAXに店の電話番号が書いてあった)
店の電話番号がわかり、早速電話して場所を聞くと
「どこにいはるんですか?」
「えーっと、ここはどこでしょう?」
わたしがトンチンカンなことを言うのでイライラした運転手さんは、
「ちょっとケイタイ貸してんか」
と、わたしのケイタイを手に取り、運転しながら道を尋ねています。
(あっ、どないしよう。ケイタイ運転禁止やのに……大丈夫やろか?)いつの間にかわたしも関西弁モードになっています。ハラハラドキドキ。店の近くに友達のひとりが出てきてくれていて、とにかく無事着きました。
笑ってしまいました。
良い思い出ですね。
私も旧友に会いたくなってきた。
あと、関西の人って明るいですよね。
芦屋にすんで居たけど、実家から関西に
戻ると、まずホームに降りた時に
周りの世界が違うって想ってた。
なんと言うか、華やかです。
ファッションも皆の顔つきも。
わたしにとっては、異国です。
すみません。ながなが・・・。
わたしは神戸でいちばん芦屋寄りの東灘区に住んでいました。高校は、県立芦屋高校でした。
いま振り返っても、人生で最も
人間的に楽しい時期でした。
日本海に日帰りで遊びにも行かれたし。
毎月のように、家族で旅行していました。
ちっちゃい子を連れてね。
良い思い出ばかりです。