
神様は私たちの必要をご存じであり、満たして下さるお方ですから、必要なものは求めなくても与えて下さいます。
それでは、何も求めなくてよいのでしょうか?
何年祈り求めていても、それがかなえられないとき、祈りをやめてしまうことがあります。最近のわたしは、少し消極的な思いになっていました。
先日、Ⅱ列王記4章1-7節からメッセージを聞きました。
預言者エリシャが、子どもを奴隷として売られそうになっているやもめに「何をしてあげようか。あなたには、家にどんな物があるか、言いなさい(Ⅱ列王4:2)」と尋ねます。
やもめの家は貧しくて油のつぼひとつしかありませんでした。
エリシャは、からの器を近所から借りて来て、その器に油を注ぐように言います。やもめは子どもたちにたくさんの器を持って来させます。すべての器がいっぱいになるまで、つぼの油はなくなりませんでした。油を売って子どもたちは売られずにすんだのです。
もし、やもめと子どもたちが、少ししか器を持って来なければ、少しの恵みしかいただけなかったでしょう。でも、床いっぱいになるほどたくさんの器を持ってきて並べたので、たくさんの恵みが注がれました。
先週の家庭集会では、ふたりの盲人がイエスさまに目を治してもらおうと必死に求めていくところを学びました。(マタイ9:27-31)イエス様は「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われ、目が見えるようにしてくださいました。
「神様は、わたしたちが『求める』ことを求めておられる。」と牧師先生が言われました。
神様が、わたしたちが広げた分、与えて下さると言われるのなら、狭い範囲でとどまらずに両手を広げて恵みを求めていきたいです。
求めなさい。そうすれば与えられます。(マタイ7:7)