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今日の祈祷会はクリスマスの黙想でした。祈祷会で学んだことの一部を紹介させていただきます。
「エサイの根より 生いいでたる くすしき花はさきそめり わが主イエスの うまれたまいし このよき日よ」
これは、讃美歌96番の歌詞の一節です。
エ(ッ)サイの根とは、イザヤ書の救い主誕生の預言、「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。(イザヤ書11:1)」からきています。
根株というのは、腐りかけている切り株のことで、新芽というのは、細い芽なのだそうです。若枝が出て実を結ぶとは、イエス・キリストが誕生するという意味です。エッサイというのはダビデの父親の名です。事実、エッサイの子孫、ダビデの家系にイエス・キリストが誕生しました。(マタイの福音書はその系図からはじまっています)
ダビデはイスラエルの統一王国を立てた王です。預言者ナタンによって「あなたの家とあなたの王国は、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ」と約束されていました。
ところが、イスラエルはダビデの孫の代で南北に分裂し、後に外国に侵略されて滅んでしまいます。
前回も書いたようにイザヤが預言していたのは、イスラエルにとって暗い時代でした。ユダ王国は北イスラエルとアッシリヤに脅かされていました。絶望的状態の中で救い主が生まれるという預言がなされたことは意味深いことだと思いました。
南ユダ王国のアハズ王はアッシリヤに囲まれたとき、アッシリヤと手を結ぶか戦うか迷いました。イザヤは、まず、神を信頼すべきだと言いました。神に信頼していくとき、平和が必ず訪れるというのがイザヤのメッセージです。
神さまを信頼するというのは簡単なようでとても難しいことです。なぜなら神さまは、目に見えなくて、声も聞こえないからです。わたしはかつての過ちを思い出しました。
30年以上も前のことです。短大を受験して補欠の10番という結果にショックを受けました。当然合格すると思い他校を受けていなかったからです。電話で問い合わせると、毎年補欠の8-10番ぐらいまで繰り上げ合格になっているけれど、その年によって違うのでわかりませんとの答えが返ってきました。母は親戚の人で学校関係の人がいるから頼んでみて、ダメだったらお金でなんとか合格させてもらおうと言いました。
当時18歳のわたしは、それが悪いことと感じつつも合格したい一心で同意しました。
まだ信仰をもってない時だったとはいえ、黙って結果を待つことなどできなかったのです。
しかし、学校側からきっぱり断られて、逆にほっとしたことを覚えています。裏口入学したら、きっと在学中うしろめたい気持ちで過ごしたでしょう。
結果を待つ時間の長かったこと。夜になっても電話がないのであきらめていたら、午後9時に電話。「合格です。前の人が断ったから合格になったのです。よかったですね」と言った教務の先生の言葉が忘れられません。
こんなとき、神さまを信頼して神さまに委ねることができたなら、心は平安ですね。
祈祷会では、このあと絵本「この国が好き」(鎌田 實 作、木内達朗 絵)が朗読されました。日本は憲法九条が守られていたからこそ60年間平和だったのに、それを変えていこうとする動きがあることを憂いた文章です。孫に向かって語るという書き方で、憲法の問題がわかりやすく書かれています。
外国から攻撃されないために武器をとることが平和を守ることになるのでしょうか?本当の平和とは何でしょうか?
イエスさまは平和の君と呼ばれています。クリスマスを前に平和について考えさせられました。