生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

素晴らしい約束

2007-07-02 12:03:01 | 教会

ブログを通して親しくさせていただいているメメントドミニの優子さんから、わたしの書いた記事が掲載された「よろこびの泉」を送って欲しいとメールを戴きました。ご主人の会社にも置いて下さるとのそうで、感謝、感激。さっそく今朝メール便で送りました。自分の書いたものが載っていると、恥ずかしくてなかなか配れません。わたしのことを知らない人に渡して戴いた方がいいのです。
優子さんのブログ、メメントドミニ(ブックマークにあります)の6/29と7/1に「よろこびの泉」のことが紹介されています。ぜひご覧下さい。


昨日は礼拝の中で聖餐式がありました。
聖餐式とは、イエス・キリストが最後の晩餐でパンとぶどう酒を弟子たちに与え「パンは私のからだであり、杯は私の血による契約である」と言ったことを記念して、パンとぶどう液を会衆に分けるキリスト教の儀式です。キリストの十字架を思ってパンとぶどう液を戴きます。

聖餐式を年に何回するか教会によって違います。毎月、毎週行っているところもあるそうですが、わたしの通う土浦めぐみ教会では、年4回行っています。クリスチャンにとって聖餐式は意味深いものです。


今年は、聖餐式のたびにその意味がメッセージの中で語られています。
1月に行われた聖餐礼拝では聖餐式は領収書のようなものであると語られました。(1/7のブログに書いています)
4月に行われた聖餐礼拝では聖餐式は契約書のようなものであると語られました。
そして今回、聖餐式は宣言文のようなものであると語られました。


昔は国王からの通達があると、広場に集められ宣言文が朗読されていました。聖餐の儀式そのものが、宣言文を読み上げているようなものです。その宣言文は3つの意味があります。




1)喜びの宣言文

 罪を犯し、滅びるしかなかったわたしたちのために、神さまはイエス・キリストをおくり、十字架につけました。キリストは、わたしたちの身代わりに死んでくださいました。そのことを受け入れたとき、罪が赦され、解放され、自由になったのです。だから喜びの宣言文です。


2)完了の宣言文

イエス・キリストが十字架上で最後に言った言葉は「完了した」です。人類を救う神の業が完了したという意味です。救われるためになすべきことは、すべて神さまがやってくださったのです。だから、自分に何かが足りないと嘆いたり、こんな自分じゃいけないと責めることは必要ないのです。

3)委任の宣言文


すなわち、神はキリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。
こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちはキリストに代わってあなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。(Ⅱコリント5:19-20)



全知全能の神が、罪を犯してしまった人間に「和解」を受け取って欲しいと懇願しているのだと聞いて胸が熱くなりました。

神さまは、決して無理強いはなさいません。ご自分が造られた人間を深く愛しておられるので、罪によって断ち切られてしまった関係を回復させたいと願っておられます。


「どうかお願いだから、わたしの用意した和解を受け取っておくれ」
と懇願しているのです。そして、それを「はい」と受け取った人には次のような、約束が与えられています。


こういうわけで、今は、キリストイエスにある者が罪に定められることは決してありません(ローマ8:1)


なんと素晴らしい約束なのでしょう!!


(かつてわたしは、このことが解らなくて洗礼を受けてから間もなく教会を離れてしまったのでした。)


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6 コメント

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先日洗礼を受けました (スザンナ)
2007-07-04 04:24:35
私はイエス様に救われた者です。今年24歳になりました。小学1年生の頃から死にたいと思い始め、高校生の頃、いじめ、性の矛盾、裏切り、世の中の不条理、混沌に苦しみ、拒食症になって死のうと決意しました。マーリャホーンバッカーのこんな体大嫌いという小説に影響され、骨のような身体になり、死んでしまおうと決意したのです。その頃の私には、死こそ救いでした。そして、リストカット、摂食障害、性同一性障害、男性恐怖症、恋愛依存症である少女達の生きることの苦しみを描いた、金色の牢獄という小説を書き、それを遺書の代わりにして死のうと決めたのでした。しかし、拒食期間は長くは続かず、高校2年生の頃から、過食嘔吐が始まりました。生きようとする身体と死にたいという精神とのアンビバレンスの故にそれは酷くなる一方であり、体重は減り、拒食症の体系を手に入れたものの、精神状態は悪化していくばかりで毎日死にたいと言っては母に叫び散らし、挙句の果てはリストカットをしました。そのうちに、生きているのか死んでいるのかも解らなくなって、結局高校を止め、通信の高校に通うことになりました。その頃でした。過食嘔吐に明け暮れている自分にに嫌気が差してそれでも止めることができない自分、それから一日のうちに、その卑劣な行為に多大なお金を掛けている自分に大きな罪を覚えたのです。その時から私は強迫神経症という病に陥りました。メールを打っている今でさえ色んな強迫観念に襲われ、何度も打ち直しています。神様を知った今、私は本当に救われています。苦しかった過去でさえ、恵みに変えられているのです。今、私は学校カウンセラーを目指して勉強しています。小説も書き続けているのですが、書いているうちにほとんどがイエス様に救われてしまいます。このように救われた私ですが、まだ完全に病気が治ったわけではないので時々苦しくて死にたくなります。でも、イエス様が側にいてくださっていること、イエス様が自分よりもっと深い苦しみを知っているお方なのだと思うと生きていかなくてはと思います。これからもメールを送りたいです。よろしくお願いします。 
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スザンナさんへ (シナモン)
2007-07-04 11:27:32
この場を借りて失礼致します。
スザンナさんのお話を読み、涙が止まりません。
思わず、キーを打ち始めました。
このブログの、土筆文香さんはスザンナさんのために、お祈りを捧げておられることでしょう。
私は、スザンナさんに、イエス様の生き生きとした言葉を贈りたいと思います。

ルカの福音書8章
48節
そこで、イエスは彼女に言われた。
「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。
安心して行きなさい」

スザンナさんに、神様の愛と、平安が豊かに注がれますように。
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スザンナさんへ (文香)
2007-07-04 14:00:49
心の内を書いて下さって感謝します。いままで、どれほど辛い思いをされてこられたかと思うと胸が痛みます。

でも、イエス様を信じて洗礼を受けられたこと、よかったですね。そしてカウンセラーの勉強をされていることが素晴らしいと思います。

あなたのような辛い経験をされた方が学校カウンセラーになれば、多くの子供たちの心を理解し、傷ついた心に寄り添うことができるでしょう。

スザンナさんの歩みが主によって豊かに祝福され、守られますように。強迫神経症という病気がどのようなものか詳しくはわかりませんが、病気の癒しのためにお祈りします。
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シナモンさんへ (文香)
2007-07-04 14:08:15
スザンナさんへ聖書の言葉を贈ってくださって有り難うございます。

シナモンさん、泣いて下さったのですね。わたしも今朝パソコンを開いて、スザンナさんの文章を泣きながら読んで、それから祈り続けています。

スザンナさんは、神さまに愛されているのだと感じました。
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文香さんとシナモンさんへ (スザンナ)
2007-07-04 15:23:56
先程、教会のライフラインの会から帰ってきました。今朝届いたリピートシンドロームを今読み終え、とても精神が揺るがされました。現代を生きる少女達の苦しみが伝わってきて、最後のページにある七恵と美晴の会話が胸にすうっと入ってきて、イエス様に救われた時の自分と重なりました。七恵や美晴のような少女達が世界中に沢山います。彼女達に耐え切れない重荷が課せられないように、そして、試みに打ち勝つ力を与えて下さいますように心から祈ります。
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スザンナさんへ (文香)
2007-07-04 17:23:11
ライフラインの会というのがあるのですか。

「リピート・シンドローム」読んで下さり、有り難うございます。

>七恵や美晴のような少女達が世界中に沢山います。
そうです。そのことを考えると“書かなくては”という思いにせきたてられます。

スザンナさんも小説を書かれるのですね。辛い体験を生かして救いの作品ををぜひ書いて下さい。
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