暑さの中にあって、ソークン(娘の赤ちゃん)は元気です。大きすぎると思った産着が小さく感じられるほどになりました。まだ起きている時間より眠っている時間が長いですが、顔を見ていると、寝ていても起きていても、実に様々な表情をします。しかめつらもすれば、微笑んだり、口をすぼめたり、いきんで真っ赤になったり、くしゃみをしたり……。泣くときは全身で大声を上げます。生命力の強さに圧倒される毎日です。
日曜日にはソークンを見に妹と姪が都内からやってきました。息子一家も来て次々顔を見せたので、ソークンは興奮してその夜はなかなか寝付けなかったそうです。新生児でもわかるのですね。
今日は6日のTEENS(中高生)礼拝のメッセージから考えたことを書かせていただきます。
最初の人間は、アダムとエバです。アダムとエバはお母さんのおなかから生まれたのではなく、神様によって直接造られました。
ふたりは神様と共にエデンの園に住んでいました。神様は、アダムとエバに園の木に実っているどの果物でも食べてよいが、善悪の知識の木から取って食べてはならないと言われました。
アダムとエバがエデンの園で過ごしていた日々がどれくらいの期間だったのかわかりませんが、ありとあらゆる木の実を自由に食べられて、幸せだったのではないでしょうか。
ふたりはいつも神様と一緒で、隠しごともなく、どんな小さなことでも神様に話していたのだと思います。
「今日の夕食は何を食べたらよいでしょう。バナナですか? ブドウですか?」
と尋ねたかもしれません。
でも、神様はどの果物を食べたらよいか指定しませんでした。自分たちで選ぶようにされたのです。
神様のみこころに従って生きたいと願うとき、選択肢があるとどれを選んだらよいか迷います。神様がはっきり示してくださればよいのにと思います。
聖書を読んで、あるいは祈っていて示されることもありますが、わからないときの方が多いです。
そんなとき、神様が「何を食べてもよいのです。善悪の知識の木の実以外は」とアダムとエバに言ったことを思い出すようにと教えられました。
神様は人間をロボットのようになってほしいとは思っておられません。何から何まで命じてその通りにさせようとするのではなく、選択の自由を与えてくださっています。
自由があるからこそ、個性を生かすことができるのです。
神様が悲しまれるような道を選んでしまって、罪を犯してしまうこともあります。でも、罪を犯したからといってそれで終わりではありません。
エバは蛇にそそのかされて、唯一食べることを禁止されている木の実を食べてしまいます。そして、アダムにも食べるようにすすめ、アダムも食べてしまいます。その直後、ふたりは神様から身を隠します。
神様に見つけられたとき、ふたりは自分以外のもののせいにしてあやまりませんでした。それでエデンの園から追い出されてしまいました。神様はどれだけ心痛めたことでしょう。
神様はアダムとエバに皮の衣を作って着せてくれます。
それは、後にキリストによって人類を救うことを表しているのだそうです。
神様は罰を与えるとともに、人類の救済計画をこのときから考えてくださっていたのだと思うと、心が震えます。
人生は選択の連続だと言われているそうですが、選択をするとき迷います。間違ったらどうしよう。この道を進んだら大変なことになってしまうかもしれない。
決断力のないわたしは、どうしよう、どうしよう……と思ってばかりでした。
けれども、神様が禁止されている道でなければ、どれを選んでもよいのだと気づかされました。
聖書には次のように書かれています。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)」
どの道を選んでも、神様は益としてくださいます。益となったことがずっと後になってわかることもあります。だから、恐れずに選んでいきたいです。
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最初の人間は、アダムとエバです。アダムとエバはお母さんのおなかから生まれたのではなく、神様によって直接造られました。
ふたりは神様と共にエデンの園に住んでいました。神様は、アダムとエバに園の木に実っているどの果物でも食べてよいが、善悪の知識の木から取って食べてはならないと言われました。
アダムとエバがエデンの園で過ごしていた日々がどれくらいの期間だったのかわかりませんが、ありとあらゆる木の実を自由に食べられて、幸せだったのではないでしょうか。
ふたりはいつも神様と一緒で、隠しごともなく、どんな小さなことでも神様に話していたのだと思います。
「今日の夕食は何を食べたらよいでしょう。バナナですか? ブドウですか?」
と尋ねたかもしれません。
でも、神様はどの果物を食べたらよいか指定しませんでした。自分たちで選ぶようにされたのです。
神様のみこころに従って生きたいと願うとき、選択肢があるとどれを選んだらよいか迷います。神様がはっきり示してくださればよいのにと思います。
聖書を読んで、あるいは祈っていて示されることもありますが、わからないときの方が多いです。
そんなとき、神様が「何を食べてもよいのです。善悪の知識の木の実以外は」とアダムとエバに言ったことを思い出すようにと教えられました。
神様は人間をロボットのようになってほしいとは思っておられません。何から何まで命じてその通りにさせようとするのではなく、選択の自由を与えてくださっています。
自由があるからこそ、個性を生かすことができるのです。
神様が悲しまれるような道を選んでしまって、罪を犯してしまうこともあります。でも、罪を犯したからといってそれで終わりではありません。
エバは蛇にそそのかされて、唯一食べることを禁止されている木の実を食べてしまいます。そして、アダムにも食べるようにすすめ、アダムも食べてしまいます。その直後、ふたりは神様から身を隠します。
神様に見つけられたとき、ふたりは自分以外のもののせいにしてあやまりませんでした。それでエデンの園から追い出されてしまいました。神様はどれだけ心痛めたことでしょう。
神様はアダムとエバに皮の衣を作って着せてくれます。
それは、後にキリストによって人類を救うことを表しているのだそうです。
神様は罰を与えるとともに、人類の救済計画をこのときから考えてくださっていたのだと思うと、心が震えます。
人生は選択の連続だと言われているそうですが、選択をするとき迷います。間違ったらどうしよう。この道を進んだら大変なことになってしまうかもしれない。
決断力のないわたしは、どうしよう、どうしよう……と思ってばかりでした。
けれども、神様が禁止されている道でなければ、どれを選んでもよいのだと気づかされました。
聖書には次のように書かれています。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)」
どの道を選んでも、神様は益としてくださいます。益となったことがずっと後になってわかることもあります。だから、恐れずに選んでいきたいです。
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【選択の自由】
私たちの日常は、神様が与えてくださった驚くべき、最高の霊性訓練の場です。神様を最優先するか、そうしないでただ面白おかしい日々にするか、選ぶのは私たち自身ですね。
各人の置かれた場所でひたすら主に従う生き方こそ、日常の中で霊性が練られる事になりますネ。
つまり、霊的成長と衰退の責任は、私たちにあります。
【選択の自由】は、大きな大きな神様の愛ですね。
Hallelujah‼️
その通りだと思います。何を選ぶかは、わたしたち自身にかかっているのですね。
神様がすべてのことを働かせて益としてくださることを信じ、祈っています。