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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

キリストを信じて死んだ者は……

2006-04-13 17:39:54 | 聖書から

「死んだらすぐイエスさまのもとにいける」というのがわかりづらいというコメントを頂きましたので、今日はそのことについて書きます。わたしは、牧師でも伝道師でもないので詳しいことはわかりませんが……。わたしのわかる範囲で書きます。

 イエスさまが十字架につけられたとき、共に十字架につけられていた犯罪人のひとりに「まことにあなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます(ルカ23:43)」と言われました。その数時間後にイエスさまも犯罪人も息をひきとるわけですから、犯罪人が死後キリストとともにいることは確かです。

ジョン・パイパーの『イエス・キリストの受難』の本の中では、以下のように書かれています。

パウロは、「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です」(ビリピ1・21)と述べています。死ぬこと、つまり一時的に体を脱ぎ捨ててしまうことは、益であると。それを益だと言えるのは、何にもまして、死はクリスチャンにとって帰郷であり、キリストのもとにいくことだからです。パウロは続けてこう言います。「私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています」(同1・23)
(中略)
キリストを信じる人々は、死んだときに、その存在が消滅するのではありません。たましいの眠りにつくのでもありません。私たちはキリストとともにあるのです。主とともに神の家に住むのですから、「はるかにまさっている」ことであり、「益」です。
「主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです」(Ⅰテサロニケ5-10)
眠っているかのように肉体は墓に横たわりますが、私たちはキリストとともに天国で生きるのです、最終的な希望は、それを越えて復活の体を授かるときが来ます。しかしそれに及ばなくても、キリストとともにいることは筆舌に尽くしがたく貴いことです。


「{キリストを信じて死んだ者は、キリストとともにいる}ということは、確かですね。
自殺した場合はどうなのかわかりません。自殺は、神さまの与えて下さった命をおろそかにすることで、神さまが最も悲しまれることですから。

 

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5 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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ひつじ (J,J)
2006-04-15 03:00:16
お疲れのところ、メッセージありがとうございました。感謝します。

すばらしい神様の家族ですね。以前、クリスマスの聖歌隊が、病室の外で賛美してくださった様子を想像し、美しいなぁと思いました。神様の愛から離れた教会があることは、哀しいことですが事実です。神様はご存知ですし、最近では、インターネットでも問題を明らかにし、御心にそった教会のあり方や、深く傷ついたクリスチャンの援助者となる牧師先生も現れています。

神様の召しによる働きに、深く感謝しています。私はこちらの先生のHPを見るまで、私たちが経験した哀しい教会が、こんなにたくさんそして同じ事を行っているのを知りませんでした。

あなたは、若い方にイエス様の愛を届けようと筆をとる方です。つまずきという間違った目で見もしないことを判断しないでください。心からのお願いです。どうかお願いします。
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J,Jさんへ (土筆文香)
2006-04-14 13:27:33
「リピート・シンドローム」を読んで下さったのですね。有り難うございます。読む人によって受け止め方は様々です。ドラッグ経験者の方からは、ドラッグで苦しんでもないくせに……。と怒りのメールを頂きました。

でも、小説というのは(ノンフィクションは別ですが)作者が経験したことだけを書くものではありません。もちろん取材したり、調べますが、想像の域を出ないので、非難されることもあります。でも、フィクションの中に真実がこめられています。それに気づいて下さった読者の方は幸いです。



教会はキリストの体です。わたしの通っている教会の牧師先生は「教会はホスピスだ」と言っておられます。心の病んだ人たちが来て、主によって癒されるところなのだと。

ですが、悲しいことにやっとの思いで教会の門を叩いたのにつまずいてしまう人もおられます。誤解もあるでしょうし、人につまずくこともあるでしょう。教会に通っていても離れてしまう人がいることも事実です。

でも、教会にいって、生きる希望を見いだした人は大勢おられます。わたしもその一人です。教会につながることは、キリストにつながることだと思っています。



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お願い (J,J)
2006-04-14 02:58:53
土筆さん、ご存知ですか。残念なことですが、あなたの知らないところには、神さまの名を語り、神様が哀しむことを行う教会が存在します。プロテスタントの教会です。私の友は、教会に通ううちに、聖書の教えと(相反する)教会の板ばさみになり、倒れました。退院してご迷惑をかけましたとお詫びに行ったら、用は無いと叱責されていました。教会の門をたたき、大変な苦しみを担う人々もいます。そんな哀しい事実があることを知ったうえで、御本をお書きでしょうか。教会と神さまと結びつけて、あなたの読者が迷わないようお祈りしたいです。
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God bless us ! (J,J)
2006-04-14 01:38:29
どうか私の真意をご理解ください。24年程前摂食障害になったとき、病名自体、知名度がありませんでした。今同じ病を担った友は、透析を受け生かされています。クリスチャンです。身近で3人の人が自殺しました。それほど親しくする時間は、ありませんでした。2人はクリスチャンで、亡くなる直前まで礼拝に来て祈っていました。自殺が罪だということは本人の口から聞きました。重い心の病でした。どうか、こうした病にある方々に、イエス様の恵みが豊かに注がれますように。家族の方々にも希望を与えてください。神さまが最も哀しまれると知っていて犯した罪をお赦しください。
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キリストのうちに (J,J)
2006-04-13 23:51:33
わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。ヨハネの福音書5章24節 神の国は、あなたがたのただ中にあるのす。 ルカ 17章20節 あなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちに在るのです。第一コリント1章30節

わたしは世の終わりまで、いつもあなた方とともにいる。マタイ28章20節

メッセージありがとうございました。

クリスチャンは信じた瞬間から、永遠の命が始まっていると信じます。神の国は私達のただ中にあるので、死ななくてもイエス様のうちにあると、私は信じます。ご本の紹介があるそうで楽しみにしています。ただ、摂食障害等の病を知らないあなたが、書かれた事に関して、哀しみの声が聞かれます。実際病を経験したもの、家族にとってそれが人として

どんなに哀しいことか、ご想像ください。ご自身の「自殺願望」と、実際自分を傷つけその傷とともに生かされる人生は違うと思います。「知らないからかけるんじゃない。」皆口々にため息をついています。神さまと土筆さんに感謝 祈りのうちに
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