生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

愛の中にとどまって

2017-01-30 20:59:43 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
土曜日は、日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の例会でした。今年は自分史を書くことになったこともあり、たくさんの新しい方が来られました。

文章を書く訓練をするなら、文章教室に行ったり、文章の勉強をすればいいのですが、JCPでは、あかし文章を書くことを学びます。
あかし文章とは何でしょう。JCP理事であった満江巌先生は、「文は信なり」と言われ、あかし人として、よき文章を創作するように勧められました。あかし人とは、キリストをあかしする人のことです。

聖書には「あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく生ける神の御霊によって書かれ……(Ⅱコリント3:3)」と書かれています。

JCPの趣旨には、「わが生涯がキリストの作品として与えられていることを自覚し、信仰生活に励むこと」とあります。自分の生涯が、存在そのものが、キリストの作品なのだと思うと、襟が正されます。

JCP礼拝ではヨハネ15:4-5からメッセージを聞きました。

「わたしはぶどうの木であなたがたは枝です。(ヨハネ15:5)」

イエス様がこの言葉を語られたのは、生涯の最後の時期でした。最後の晩餐で、ユダが出て行ったあと、惜別説教として語られたのです。

とどまるとは、単にじっとしているというのではなく、強くとどまる。英語ではstayより強いremainという言葉が使われているそうです。

イエス様は「何があってもわたしにとどまっていなさい」と、十字架を前にして言われました。
この後、イエス様は捕らえられ、弟子たちは散り散りになってしまいます。

イエス様はどんなお気持ちだったでしょう。せつなる思いで弟子たちに「わたしにとどまっていなさい」と言われたのですね。
それは、弟子たちにだけ言われたのでなく、わたしに言われた言葉だと受け止めました。

イエス様にとどまるとき、実というプレゼントが用意されています。

聖書には次のように書かれています。
「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことはできません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。(ヨハネ15:4)」

「イエス様がいのちを捨ててまでわたしたちを愛してくださったことを思い、イエス様の愛の中にとどまりましょう。イエス様に堅くとどまり続け、活動しましょう」と勧めを受け心の中に灯がともされたような気持ちになりました。


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