日曜日の午後に教会で教育講演会が開かれました。講演を聞いての感想や考えさせられたことを書かせていただきますね。
教育講演会では、小児科医の田澤雄作氏とキリスト教愛真高等学校の先生、来栖達郎氏のお話を聞きました。田澤氏は9年前にも来てくださいました。
近頃テレビやビデオ、テレビゲーム漬けになっている子どもが多く、その子どもたちが体の不調を訴えてくるケースが増えているそうです。
1日4時間もゲームをして、慢性疲労になっている子がいましたが、ゲームを1週間やめただけで、すっかり良くなったそうです。
また、テレビやビデオをつけっぱなしにして子どもに見せていると、子どもは考えることをしなくなってしまいます。テレビを見たり、ゲームをしているときは、前頭葉がほとんど働いていないそうです。
また、母親がスマホに夢中になり、授乳しているときも赤ちゃんの顔を見ずにスマホを見ていると、赤ちゃんは情緒不安定になります。
赤ちゃんはお母さんと目を合わせて安心するのに、目が合わないのですから不安になるのは当たり前ですね。
言葉は、テレビやビデオで覚えるだろうと思う人がいます、テレビやビデオは一方的にしゃべっているだけで、子どもが何か言っても応答してくれません。
言葉は周りの人とのコミュニケーションによって、覚えていくのです。
日本は、自尊心の低い子どもが多いそうです。幼児期に母親と目を合わせなかったり、家族での会話が少なかったりすると、自尊心が低くなり、『生まれてこなければよかった』と思ってしまうことがあります。
行き過ぎた進学競争に巻き込まれて、自分を見失ってしまう子どもたち。いい大学に入れば幸せになると思っている小学生は79%もいると聞いて驚きました。これは親の価値観を子どもに植え付けた結果だと思います。
ちかごろ、スマホの普及率が高く、世の中は万人がスマホを持っていると想定して新しいことを始めてきます。
わたしはガラケーを持ち続けていますが、都内に出かけたときなど、電車が遅れたとき調べるのにスマホがあればいいなあと思うこともあります。
便利な世の中になってしまって、スマホや携帯、テレビやビデオのない時代に後戻りができません。メディアにさらされて育つ子どもたちが可愛そうです。
電車に乗っていると、ほとんどの人がスマホを見ているかノートパソコンを膝の上に乗せキーボードをたたいています。ペーパーの本を読んでいる人はひと車両にひとりぐらいしかいません。
スマホが悪いとは言いませんが、膨大な時間をスマホに費やすのはどうかと思います。依存症になっていて、やめたくてもやめられない人もいるそうです。
人の顔すら見ないで必死にスマホの画面をみている人たちを観察していると、異様な風景の中にいるようでぞっとします。
実際に人と会って目と目を合わせて会話しないと、人の心を想像することができないのではないでしょうか。
自分勝手な思い込みで好きな相手を殺してしまうような事件が起きたのは、メディアのもたらした害だと思います。
それでは、どうしたらいいのでしょう。依存症にまでなってしまった子どもたちからゲームやスマホを取り上げるだけで解決することではありません。
ゲームやスマホよりもっと魅力的なことを実生活で体験させたり、本を読むことの楽しさを教えられたらいいですね。
また、聖書を読み、神様がわたしたちにどのように生きていけばよいのか知ることも大切です。
聖書のテモテの手紙2には「そして、あなたにゆだねられた良いものを、私たちのうちに宿る聖霊によって、守りなさい。(1:14)」と書かれています。
神様からゆだねられたというのは、神様がまかせてくださったという意味です。神様が喜ばれるような使い方をしたいですね。
規範なき時代にあって、良いことと悪いことの判断さえつかなくなっている社会の中に生きている子どもたちです。聖書から正しい規範を学んでほしいと思いました。
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教育講演会では、小児科医の田澤雄作氏とキリスト教愛真高等学校の先生、来栖達郎氏のお話を聞きました。田澤氏は9年前にも来てくださいました。
近頃テレビやビデオ、テレビゲーム漬けになっている子どもが多く、その子どもたちが体の不調を訴えてくるケースが増えているそうです。
1日4時間もゲームをして、慢性疲労になっている子がいましたが、ゲームを1週間やめただけで、すっかり良くなったそうです。
また、テレビやビデオをつけっぱなしにして子どもに見せていると、子どもは考えることをしなくなってしまいます。テレビを見たり、ゲームをしているときは、前頭葉がほとんど働いていないそうです。
また、母親がスマホに夢中になり、授乳しているときも赤ちゃんの顔を見ずにスマホを見ていると、赤ちゃんは情緒不安定になります。
赤ちゃんはお母さんと目を合わせて安心するのに、目が合わないのですから不安になるのは当たり前ですね。
言葉は、テレビやビデオで覚えるだろうと思う人がいます、テレビやビデオは一方的にしゃべっているだけで、子どもが何か言っても応答してくれません。
言葉は周りの人とのコミュニケーションによって、覚えていくのです。
日本は、自尊心の低い子どもが多いそうです。幼児期に母親と目を合わせなかったり、家族での会話が少なかったりすると、自尊心が低くなり、『生まれてこなければよかった』と思ってしまうことがあります。
行き過ぎた進学競争に巻き込まれて、自分を見失ってしまう子どもたち。いい大学に入れば幸せになると思っている小学生は79%もいると聞いて驚きました。これは親の価値観を子どもに植え付けた結果だと思います。
ちかごろ、スマホの普及率が高く、世の中は万人がスマホを持っていると想定して新しいことを始めてきます。
わたしはガラケーを持ち続けていますが、都内に出かけたときなど、電車が遅れたとき調べるのにスマホがあればいいなあと思うこともあります。
便利な世の中になってしまって、スマホや携帯、テレビやビデオのない時代に後戻りができません。メディアにさらされて育つ子どもたちが可愛そうです。
電車に乗っていると、ほとんどの人がスマホを見ているかノートパソコンを膝の上に乗せキーボードをたたいています。ペーパーの本を読んでいる人はひと車両にひとりぐらいしかいません。
スマホが悪いとは言いませんが、膨大な時間をスマホに費やすのはどうかと思います。依存症になっていて、やめたくてもやめられない人もいるそうです。
人の顔すら見ないで必死にスマホの画面をみている人たちを観察していると、異様な風景の中にいるようでぞっとします。
実際に人と会って目と目を合わせて会話しないと、人の心を想像することができないのではないでしょうか。
自分勝手な思い込みで好きな相手を殺してしまうような事件が起きたのは、メディアのもたらした害だと思います。
それでは、どうしたらいいのでしょう。依存症にまでなってしまった子どもたちからゲームやスマホを取り上げるだけで解決することではありません。
ゲームやスマホよりもっと魅力的なことを実生活で体験させたり、本を読むことの楽しさを教えられたらいいですね。
また、聖書を読み、神様がわたしたちにどのように生きていけばよいのか知ることも大切です。
聖書のテモテの手紙2には「そして、あなたにゆだねられた良いものを、私たちのうちに宿る聖霊によって、守りなさい。(1:14)」と書かれています。
神様からゆだねられたというのは、神様がまかせてくださったという意味です。神様が喜ばれるような使い方をしたいですね。
規範なき時代にあって、良いことと悪いことの判断さえつかなくなっている社会の中に生きている子どもたちです。聖書から正しい規範を学んでほしいと思いました。
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