生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

引退はまだでした

2016-07-05 16:07:19 | 教会
ピアノ奏楽引退と書いた翌日に、奏楽者のひとりが就活のためできなくなったので、お願いできますか……というメールが届きました。

神様はもう十分だと思っているわたしに弾き続けなさいとなぜ言われるのでしょうか……。

50歳近くになるわたしのピアノ(結婚するときも数回の引っ越しのときも、運びました)は、数年間調律もしていないので、音が低くなり、少し狂ってきています。主人は捨ててしまえ言うのですが、わたしはこのおばあさんのピアノに愛着があります。

奏楽をやめてしまったら、全く弾かなくなってしまうでしょう。少し迷ったのですが、また引き受けさせていただくことにしました。
大変だというより、なんだか嬉しく思えるのが不思議です。

今週も教会にヒックンを連れていくことができました。上の写真は教会へ行く土手の道。道は草が生い茂り、歩きにくくなっていました。下には細い道路があるのですが、車が来るとよける場所がなくて危ないのです。土手の道はあまりにも暑くて、何度も休憩して水分補給しながら歩いていきました。

礼拝メッセージでは人のために祈ること(とりなしの祈り)の大切さを教えていただきました。

聖書の第一Ⅰヨハネ5:16には次のように書かれています。
「だれでも兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば神はその人のために、死に至らない罪を犯している人々にいのちをお与えになります。」

『神様が「祈りなさい」と言っておられるのは、神様が祈りを聞いてくださるということです。とりなしの祈りをすれば、神様はいのちを与えてくださるというのです。
祈り求めれば、神からいのちを引き出すことになるのです』
と聞いて、毎朝の祈りを続けていく力をいただきました。

わたしは朝起きると洗面を済ませてからまず聖書を読みます。
そのあとで、祈りのカードをみながら祈ります。祈りのカードには友人知人、親戚の人、かつて住んでいた場所で知り合った人などたくさんの人の名が書いています。

ひとりひとり顔を思い浮かべながら祈っています。20分から30分はかかります。旅行へ行く日でも旅行中でも毎日祈ります。
娘が3歳のころ、友人から電話がかかってきました。娘が出ると「〇〇です。お母さんとかわってください」と言ったようです。

「お母さんがいつも祈っている〇〇さんから電話だよ」と娘が言いました
それを聞いて、〇〇さんはすごく喜んでくれました。キリスト教ではなく、別の宗教を信じている方でしたが、喜んでくださったことが驚きで、嬉しかったです。

それにしても娘はどうして知っていたのでしょう。娘の前で祈った覚えはないのに……。
とりなしの祈りは多くの罪を覆うのです。わたしも誰かに祈られていることを覚え、感謝しています。

ヘルマン・ホイヴェルスの詩「最上のわざ」が紹介されました。(2年前にもブログで紹介させていただきましたが……)年をとって何もできなくなっても、祈ることができるのですね。

最上のわざ
この世の最上のわざは何?
楽しい心で歳をとり
働きたいけれども休み
しゃべりたいけれども黙り
失望しそうな時に希望し
従順に、平静に、己の十字架を担う!
若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役立たずとも、親切で、柔和であること!
老いの重荷は神の賜物。古びた心に、これで最後のみがきをかける。
まことの故郷へ行くために!
己をこの世につなぐ鎖を少しずつはずしていくのは真にえらい仕事。
こうして何もできなくなれば、それを謙虚に承諾するのだ。
神は最後に一番よい仕事を残してくださる。
それは祈りだ。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために!
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ。われ汝を見捨てじ」と。



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