生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

心はうちに燃え

2018-03-23 13:30:22 | 聖書から
4月1日はイースターです。
イースターとは、キリストの復活を記念して設けられた祭りです。

キリストの復活とは、キリストが十字架につけられて死に、3日目によみがえられたことを意味します。

イエス・キリストは何も悪いことをしてないのに十字架につけられました。どういうことでしょう。

わたしたち人間は、生まれながらに罪を持っています。罪のために神様から罰を受けなくてはならない者たちです。でも、神様はわたしたちに罰を与えるのがしのびなくて、わたしたちの身代わりとしてひとり子のイエスを十字架につけてくださいました。
神様はそれほどわたしたちを愛してくださっているのです。

イエス・キリストは、十字架につけられて死にました。でも、3日目によみがえられたのです。弟子たちの前に何度も姿を現してくださいました。
家庭集会でも礼拝でもエマオ途上の箇所(ルカの福音書24:13~35)が取り上げられたので、エマオ途上のシーンを物語ふうに書いてみました。

二人の弟子がエルサレムからエマオという町に向かって歩いていました。二人はうつむいて、何度もため息をついていました。師と仰いでいたイエス様がむごい死に方をしたのです。
「あの方が王様になって同胞の者たちを救ってくれると思っていたのに……」
「どうしてこんなことになったんだ。あの方にすべてを賭けていたのに、これから誰を頼りに生きて行けばいいんだ……」
そのとき、ひとりの人が近づいてきて「何を話しているのですか?」尋ねました。弟子たちは、「近ごろ起こった出来事を知らないのですか?」と逆に質問しました。

その人は旧約聖書の中に救い主の預言が書かれている箇所から、二人の弟子たちと語り合いました。語っているうちに二人の心はうちに燃えました。
夕方になってもその人はまだ先へ行こうとしたので、弟子たちは自分たちの宿に誘いました。

夕飯の時、パンを裂いたその人を見て、弟子たちはあっと驚きました。その人はイエス様だったのです。これまでは二人の目が遮られていて、気づかなかったのでした。
それからイエス様の姿は見えなくなりました。

弟子たちは、すっかり暗くなった夜道を走り出しました。エルサレムにっもどって仲間たちに知らせるためです。
「イエス様はまことの救い主です!」
「イエス様はよみがえられました!」
ふたりは夜道の危険も暗さも全く気にすることがなく、走り続けました。心がうちに燃えていたからです。



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